メロディ
〜ユラとガイの不思議な?蜜月〜
 
5
 
 
 
わたしが話す間、ガイは相槌を打たなかった。代わりに、瞬きさえも止め、わたしをそのブルーグレイの瞳で見つめ続けた。
「あなたの大事なものなどではないの。あれは…、わたしの…」
事の発端は、わたしがまずい出来のスケッチを、寝室のくず入れに捨てたこと。
それを、ガイのポケットに見つけ、捨てておいてくれない意地悪な彼がちょっと腹立たしく、そして、きっとガイはそれを見ながら、わたしをからかうだろう。そう思い、恥ずかしかった。
だから、わたしはひっそりと処分してしまおうと、スケッチを抜き取ったのだ。
なぜガイが、軍の機密文書と思い違えたのかわからない。
けれども、彼のジャケットは今朝触れたとき、あのスケッチの他は、シガレットケース、時計など、当たり前の物以外出てはこなかったのだ。
なら、ガイの言う機密の設計図など邸にはない。彼はパレスから持ち帰りなどしなかった。
「ねえ、勘違いをしていない? ジャケットには書類のようなものは何もなかったわ」
最後まで聞き、彼は手をわたしの背から滑らし、しばらく腰に留めた。
「何を描いたの? そのスケッチには」
ガイは口許に手をやり、ちょっと考えるように瞳を凝らした。わたしはそれに口ごもりながらも、画集のあるページを模して、古城を描いたのだと答えた。
「古城? …ああ、ちょっと描いて僕に見せてくれますか」
「え」
ためらったものの、ガイの誤解を解かなくてはいけない。わたしは書き物机に向かい、ペンを取ってその辺りの吸い取り紙にスケッチに近いだろうものを適当に描いた。
ガイが煙草の断りを入れたので、ええと応えた。
こうして見ても、どこが古城なのかわからない。まるで、以前あちらの世界でよく見た住宅の見取り図のよう。
見取り図……。
ガイは軍艦の設計図がなくなったと言っていた……。
「あ」
ガイから背を向け、わたしは机に向かっていた。自分の描いた落書きを見つめ、やっと気づいた。彼の指すものが何か。そして彼のおかしな勘違いに。
「嫌だ」
つぶやくと同時に、ガイの手が肩に置かれた。ふんわりと紫煙が流れてくる。振り返ると、彼は唇に煙草を挟み、肩越しにわたしの手の中をのぞいている。恥ずかしくて隠そうとする、そのわたしの指をやんわりとつかんで外す。
その絵に合点がいったのか、納得ができたのか。彼の笑い声が聞こえた。
「やれやれ、申し訳ない。僕はあなたの絵に、とんでもない見立て違いをしていたね」
そのまま書斎の扉を開け、そこから大声でフィッツジェラルド大佐の名を呼んでいる。「グレイ、来てくれ」
ほどなく現われた大佐に、ガイはわたしの名を出さず、端折ったあらましを告げ、引き揚げてもらって構わないと伝えた。
「僕のミスだ。すまない」
「かしこまりました」
怪訝だろうに、彼は表情を変えず頷くと、敬礼の後で部屋を出て行った。ガイがわたしといたときに、この件が片付いたのだ。大佐はきっと、そのきっかけがわたしにあるのだろうと察するだろう。そのことにも、恥ずかしさでいたたまれない気がする。
フィッツジェラルド大佐は、エドワード王子の側近なのだ。そのご用で彼とどこかで会うかもしれない。不意にパレスへ行くことが、気重くなった。ジュリア王女の絵のレッスンは、何か理由を作りしばらく休んでしまおう。

わたしから届くだろうレッスンを休む使いに、頬をぱんぱんにふくらませる王女の姿が容易に目に浮かんだ。
罪悪感がさほどわかないのは、多分、きっと、絵の教師であるフレドリックと二人の時間も、彼女は喜ぶのだろうと、わたしが知ってしまっているからだ。

二人になると、ガイはやんわりとわたしを抱きしめた。

「嫌な思いをした? 僕があなたの絵を、艦の設計図などと勘違いしたから」
詫びを言いながらも、彼の声は笑いを含み、その吐息が首筋に触れるのだ。「僕は、あなたの絵の一番の理解者だと思っていたのに」などと、やっぱり笑う。
「ひどいわ。笑ってばかり。だから、捨てたのに」
「申し訳ない」
わたしは、彼の手に捨てたスケッチがあったのは、寝室のくず入れにあるものをガイが見つけ、拾っておいたのだと思っていた。けれども、彼の口から、それがわたしの思い違いだと知らされた。
「僕はハリスから渡された。捨てていいのか問われて、そこで艦の設計図によく似ているので、確認しようと受け取った」
「ハリス?」
意外な彼の名が出て、わたしは眉をちょっと寄せた。執事のハリスが、寝室の掃除などする訳がない。ならば、最初にスケッチに気づいたのは、わたし付きのメイドのアリスだろう。
ガイはそれに頷き、彼女だけの判断で、ハリスには渡らないだろう言う。「多分、マーガレットに見せたのでしょう。それをマーガレットがハリスに渡した」
アリスだけならともかく、他に二人もの手を経ていることに驚くと共に、ため息が出る。
誰もわたしの絵の練習だとは、思いも寄らなかったのだ。ガイが、見覚えのある軍艦の設計図だと思い込んでもおかしくない。
「嫌だわ。あんなもの、描かなければよかった」
「ほらほら、そんなに拗ねないで。僕のせいだね、申し訳ない」
ほのかにふくらませたわたしの頬を、彼が指でなぞった。
彼のシャツに頬を当て、幾らか気持ちをそこに押し当てる。
彼の指が髪を撫ぜる動きと、抱きしめてくれる腕の強くなる気配に、頭の中の些細な苛立ちも気持ちの波立ちも、和んでしまう。
「ねえ、お嬢さん」
彼のいる、失ったはずの午後はやはり嬉しく、いつしか小さなこだわりは溶けた。
昼食の後で引いたルージュの唇を、ほころばせてみる。何でもないと、つまらないことはもうほらおしまい、と。
努めて笑顔でいたい。彼の笑顔を見ていたいから。わたしが笑うと、彼はブルーグレイの瞳にふんわりと笑みをにじませてくれる。それが好き。
それに出会うと、少し自分が強くあれる気がする。
ねえ、ガイ、あなたは知っている?
「ばら園がきれいなの。外へ出ましょう。ねえ、ガイ。」
わたしは彼の腕に触れ、少し引き、甘えが混じる仕草を感じながら、それを彼に差し出すのだ。
すべてをあなたにあげたい、と。
 
見つけたとき、わたしは息を飲んだ。
チェストに置いた懐中時計の鏡に、何か見えたような気がしたのだ。星のような、小さな点が、確かに見えた。
何だろう、これは何だろう。
バスの後で、ぬれ髪が肩を這う、そのしんなりとした感触の冷たさも忘れた。
アリスが目覚めの紅茶を持って現われた。その朝のいつもの何気のない光景に、わたしは頬を火照らせ、けれども冷たい指先を唇に押し当てている。
テラスからはレース越しにまぶしい朝の光が差し込む。天蓋から垂れた衣の影の中、わたしは落ち着かない思いで、いまだ眠るガイの気配をうかがった。
手のひらを上向け、目の辺りに当てて眠る彼が、どれほどかして、身じろぎの後で目を覚ました。
紅茶を差し出すと、ガイはカップに、少し眠そうに唇を触れる。
「ねえ…」
「どうしたの? お嬢さん」
話そうかどう切り出そうか迷い、わたしは結局彼の手に時計を渡した。「小さなものが見えたの。何かしら?」
「え」
ガイはカップをわたしに返し、非常にしなやかな手つきで、時計の蓋を開けた。瞳を細めて鏡を眺め、またぱちりと蓋を閉じた。ちょっと笑い、そのままそれを、わたしの夜着の広く取った胸元にすとんと落し入れた。
冷たい銀の感触が乳房に触れ、しぼったリボンのため、その辺りで留まる。
「たまにあることですよ。そのうち消える」
「何かの予兆ではないの? 次に現れる影の…」
彼は腕を上げて伸びをし、それから傍らのガウンを肌に巻きつけた。ベッドを出て、わたしに訊いた。
「何が見たいの?」
ガイの声はどこかひやりと冷たい。軽い響きであるが、微かな焦れが混じるような、ほんのり冷えた響きがあった。「え」とわたしは、それにすぐに答えを返せなかった。
見たいのではない。
そうではない。
ガイのように、わたしがあの列車で、誰かを迎えに行きたい。それはわたしの胸に自然に兆した思いだ。そして、それこそが、この世界に招かれたわたしの役割なのではないかと、ひっそりと考えるときがあるのだ。
だって、ガイは言った。『何か、お嬢さんにしかできない役割があるのだろう』と。だから、ここに存在するのだろうと。
ならば、もしかしたら……。
すぐそばに、触れられるほどそばに時計はある。
ガイは、これをおかしな発想だと、思い上がった自惚れだと、感じるのだろうか、笑うだろうか。
わたしは夜着の胸元に隠れた時計を、彼の前で取り出すことを避け、代わりにそっと指で押さえた。
「ねえ?」
ガイは振り返り、ベッドに横座りしたままのわたしを抱き寄せた。「あ」と言う間に、そのまま胸に長い指を入れ、乳房の下に滑った時計をつまみ出した。
一瞬握ったそれを、彼は枕元にぽんと投げた。
「何をするの?」
壊れはしないだろうが、大切な品であるのに、と彼をやや睨んだ。
「ユラ」
名を呼び、それから口づけて耳にささやいた声に、わたしは頬に両の手をあてがった。露わなほど、きっと熱く頬が染まっているはず。
『過去を、妬かせないでほしい』と。
 
「そんなもの、忘れてしまいなさい」
 
彼の声は耳朶から肌に流れ、わたしを嬉しさで染める。
彼の思いで染まる。



おつき合い下さいまして、誠にありがとうございます。




       

お読み下さり、ありがとうございます。
ご感想おありでしたら、よろしければ BBSなどにメッセージ残して下さると、大変嬉しいです♪
ぽちっと押して下さると、とっても喜んでます♪