小萩の恋文
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あたしが入道一味の連歌状を手に入れてから、事態は急展開した。
その翌日には、入道があたし呼び、ある書状を届けに、法珠寺へ使いをさせたのだ。
小火騒ぎを収めた功績を認めたらしい。あたしが火元だけどさ。
「法珠寺の観照殿に直接に手渡すのじゃぞ。わしの名を出してはいかん、わかったな」
と厳しく命じた。
箱に入れられた書状は何やらいわくありげだった。東宮の建立された法珠寺に使いをさせる、というのも、意味ありげだし。
これこそが陰謀の動かぬ証拠! そうに違いないと法珠寺への道すがら、興奮してきた。
膝の書簡を開けてみれば、中から現れたのは、男文字が連なる文で、いかめしい文章の後に、墨痕鮮やかなる東宮ご自身のご署名があった。
え?!
難しい表現や漢字なんかが連なって、平仮名に慣れた目にはひどく読みづらい。
それでも、拾い拾い意味を探れば、紛れもない、帝を呪詛奉る請願状だというのが理解できた。
これは…。
あまりといえばあまりの書状の内容に、あたしはがたがたと寒くもないのに震えがきた。
この宮廷社会において、未来永劫一族郎党、子々孫々消えない大罪が、謀反の罪である。
それは、いくら東宮である宗平親王さまでも同じはず。これが世に露見すれば、東宮は一巻のアウト。どうしようもない。その地位を追われ、太宰府かどっかに流されてしまう。
「なんて馬鹿なことを…」
ふと鷹男の顔が浮かぶ。
あの鷹男のような密偵を使い、密かに入道の悪巧みに気づかれ、探らせるような才覚がおありの御方なのに、どうして?
けれど、そこで引っかかる。
なぜ、こんな東宮にとっては命取りになりかねない重要な書状が、入道なんかの手にある訳? ご身辺にスパイでもあって盗まれた?
そんなうかつな、とは思うけれど、もしそうであれば、鷹男のような人物に、必死になって探させるはず。
でも、夕べの鷹男はそんなこと、一言も口にしなかったじゃない。
これは怪しい。
あたしは、揺れる車の中でぎゅっと目をつむった。考えるのよ、瑠璃。
あたしは今から、入道の使いで、直接渡すように命じられて、法珠寺の観照のもとへ行く。さらに入道は「わしの名を出してはいかん」と言ったわ。
もし、もしもよ、これが入道らの東宮を失脚させるための罠であったのなら、どうよ。
東宮建立の法珠寺。そしてそこの筆頭者の観照は、世に高い有験の僧だ。その者の手に、東宮からの帝を呪詛奉るこの書状があれば、東宮に謀反あり、と誰もがそう見るわ。
それを密告するのも、人を何人も介し、行えば、入道の存在にまで辿れやしない。
この方法だと、朝廷に届けるのなんかよりはるかに信憑性も増す。検非違使に投げ文したとても、書状の入手経路なんか洗われたら、疑わしいもの。
さらに進めて、考える。
もし、東宮お気に入りの祈祷僧観照の手元にこの書状があるとき、密告を受けた役人なんかが、寺に踏み込んできたりしたら?
「現行犯だ」
逃れようがない。毒より、刺客を放つより、簡単に確実に東宮を廃することができるのだ。
すべてがぴったりと符合するわ。
あたしはそこで、もっと恐ろしいことを確信してしまった。
このまま法珠寺へ着けば、あたしはきっと殺される。
入道の名を出すことを警戒した、やつらの手の者に、きっと。だってあたしだけが、入道と書状のつながりを知る人間なのだもの。
「ううっ…」
五条邸に潜入してスパイになって浮かれていたことを、思いっきり悔やんだ。
入道はこのために、新参で足の付かない、あたしのような使い捨てのできる女房が入り用だったんだ!
『花の盛りとて、いつかは散るもの…』
宴の夜の観如の言葉が脳裏に浮かぶ。
あれは、まさにあたしの前途を暗喩したものだったんだ。
侍に前後を固められたあたしの牛車は、止まることも許されず、進んで行く。
法珠寺へ。
 
 
法珠寺では、観照が不在だった。あたしを房へ案内した小坊主に聞けば、急な東宮のお召しだというから、驚く。
あたしは房を抜け出し、南にあるという観如の僧房をうろうろと目指した。
人目がないのを幸いに、唐衣を脱ぎ、表着も脱ぎ、袿も脱いで、長袴の裾をまくり上げて、腰で結んだ。
もう、姫、いや女としてはとんでもない格好だけれども、逃げ出すためにも身軽でいなくっちゃ。瀬に腹は変えられない。
観如の僧房では、東宮の御前から急ぎ下がってきたという左馬頭が、観如に事の急変を知らせているのに出くわした。
あたしは出口付近に潜み、話を盗み聞く。
それによれば、今東宮の御所では、そろいもそろい、一味に連なる連中が集められ、「公子女御のおために楽を奏でよ」と、演奏を命じられているのだという。
「朝からだぞ。興が足りぬと仰せで、われらに「春を愛でる連歌でもせぬか」ともおっしゃる。右大弁などは震えのあまり気を失ってしまったのだ」
しめしめ。あたしの盗んだ連歌形式の連判状が効いているんだわ、と嬉しくなる。
鷹男、法珠寺の件といい、急ぎ東宮に報告して差し上げたのね。
とにかく二人は、急な観照のお召しと、楽を命じられたことで、企てがどこからか洩れたことを、びくびくと危惧しているようだ。
へへ〜ん、あたしだよ。
「それでは、例の女が観照に書状を手渡す間に、検非違使が踏み込むという手筈は?」
「馬鹿な、観照がおらぬのに、どうして検非違使に踏み込ませることができる」
そこで、だん、と何かを打つ大きな音がし、あたしはぎゃっと身を縮込ませた。
「連判状の連歌の巻紙は燃えた。偽の呪詛状は三条という女の手にある。急ぎ殺して、取り上げて処分すればいい。それで、何の証拠も残らない!!」
え?
ええ??!!
証拠は残るって、東宮がもう、何もかもご存知だって!!
坊さんのくせに、殺生OKなの?! 
あんた、浄土に行けないわよ!!
観如は、あたしを「寺宝の弥勒菩薩像を盗みに入った女盗賊に仕立て上げればよい」などとほざくから、腰が抜けそうよ。
ひい〜、土壇場の馬鹿は強いわ。
ともかく逃げなきゃ。すぐに、ここから。
あたしは、部屋を離れ、庭へ降りた。そのまま縁の下に逃げ込む。
そこへ、観如の大声が降ってくるので震え上がった。
「女盗賊が寺に忍び込んだ。探せ、探して捕えよ。寺宝弥勒菩薩像を奪わんと企てた、不届きな輩じゃ。東宮のお使者とわれらを騙しておったのだ。断じて境内の外へ出してはならぬ」
命に、わらわらと人の散る気配が騒がしい。
「観如さまは、縁の下も探せと命ぜられたぞ。相手は女といえど、盗賊であるから」
ひい〜。
あたしは四つん這いでそろそろと、入ったのとは逆の方向へ進んだ。
そこで猫の死骸を手が踏んだから、ぬるりとしたその気持ちの悪さに、つい悲鳴を出してしまった。
しまった。痛恨のミス。きっと聞かれたはず。
ほどなく、人が四方から集まってくる足音がする。あたしは勇気を振り絞り、とにかく一番近い西門を目指した。人も手薄そうだ。
恐怖に、ぽろぽろと無意識の涙がこぼれる。
鷹男の手伝いをしたいと、ごねて頼んだ自分を恨んだ。あたし馬鹿だった。無茶だった。軽はずみだった。
くそ〜。おとなしく邸にいればよかった。スリルとサスペンスの果てに無残な死が待っているなんて、絶対に嫌だ。
そのとき、茂みから人が現れた。
「狩りはもう終わりだ」
左馬頭は太刀を握りしめ、あたしへ振りかざしている。
斬られる。
恐ろしさと、絶望があいまって、あたしは細い悲鳴をもらした。そのままへたり込んでしまう。
地面に置いた手が、ふと頃合の石に触れたとき、そこに小さな可能性を見つけた。
そうよ!
そうよ、むざむざ死んで堪るもんか。
起き上がると同時に、太刀を手に油断の左馬頭の顎を石で殴り挙げた。
まさかのあたしの反撃に、「ひでぶ」というヘンチクリンな声を上げ、やつが倒れた。
すぐに武器を奪う。
「近づくと斬ってやるから」
こちらへ近寄ってくる丸腰の僧の群れに、太刀を振り回して脅し、あたしは再び西門を目指した。
そこへ、ひゅんっと何かが飛んできて、そばの木に刺さったのが見えた。
弓だ。
目を上げれば、大弓を担いだ観如の姿がある。あたしへ弓の狙いを定め、じりじりと近づいてくるのだ。
乙女相手に弓まで持ち出すなんて、なんちゅう、破戒僧よ。
ここにきて、あたしは観念した。ちょっとでも逃げる気配を見つければ、ぴたりと心臓を狙った観如の弓は、あたしを射抜く。
さっきこぼした涙が、小刻みに痙攣する頬に乾いてぱりぱりと張りついている。
唇をきつく噛み、恐ろしい一瞬を待った。
怖くて目が閉じられない。見るのも怖いけれど、何も見えないまま死ぬのも怖いのだ。
そのときだ。
信じがたい出来事が起こった。不意に、本当に不意に、弓を番えた観如が崩れるように倒れた。
あたしを弓で狙っていたはずのあいつが、どうしてだか、胸を弓で射られているのだ。
そして、砂利を蹴る蹄の音が、耳に届く。
「観如さま」
僧らが倒れた観如に駆け寄るのと同じく、耳がとらえた蹄の音が、勇ましく、大きくなる。
誰か、馬でやってくる! 
砂利を蹴散らしやってくる、凛々しい馬上の人の姿に驚き、あたしは口がぽかんと開いた。手のひらの左馬頭を殴りつけた石を落とす。
「鷹男!」
彼の姿が視界に大きくなり、気づけば、あたしは馬上の人となっている。鷹男が抱き上げてくれたのだ。
高みに目を泳がせれば、物々しく弓を装備した、これも騎馬の者共が、まるで鷹男を守るように、頼もしく取り囲んでる。
恐怖が薄らぎ、ようやく歯の根が合うようになる。
「鷹男の馬鹿。怖かった」
「姫、遅くなり、申し訳ありません。あなたを恐ろしい目を遭わせてしまった。わたしを許してくれますか?」
あたしは命の危機を救われた脱力感から、彼にしがみついたまま。ぽかんと鷹男の言葉を聞き流していた。
「浅慮でした。解決を急くあまり、観照を召して…」
彼はこの場に自分が現れた経緯を、短く話したようだったが、あたしの耳を素通りしてしまう。
「姫、お怪我が? あなたの手が血まみれだ」
「へ?」
鷹男があたしの手を取り、それを申し訳なさそうにきつく握りしめた。
それは、さっき縁の下で踏みつけた猫の死骸の…。
「大丈夫」と、多くを語らず、あたしは血で汚れた手を、そっと鷹男の衣になすりつけた。
馬の前に左馬頭と僧侶が進み出た。東宮が建立された法珠寺に馬で乗り付けるとは不敬なやつら、とまくし立てる。
「何やつ、その女の仲間か?」
「痴れ者!」
鷹男の威厳ある一喝に、者共だけでなく、あたしの身にも雷に打たれたような緊張が走った。
威厳に驚きつつ、ほんのそばの鷹男をうかがう。
彼は、あたしがさっきなすりつけた猫の血をつけた袖を振り、緩く左馬頭へ指差した。
こんな時になんだけど、「痴れ者」って、あたしのせりふよ。あたしが鷹男によく使ってたんだもの。
かっこいいから真似したな、こいつ。
捕り物のときのせりふくらい自前でやってよ、もう。引き出しが少ないなあ。
ひっそりぼやきつつ、事態を見守る。
「左馬頭、お前などに、そう目通りも許しておらぬから、見忘れたか。だが声くらいはわかろう」
「まさか…」
左馬頭の反応に構わず、鷹男はあたしのなすりつけた猫の血のついた袖を下ろし、次に僧侶どもを睨みつけた。
「徳の高い観照殿の弟子ながら、情けない者共だ。ものの善悪の区別もつかぬのか。度重なる法会で、わたしの顔を見覚えておるものをいよう」
鷹男の声が抗えない風のように、僧侶共は、ばたばたと地に膝を折っていく。
そこから、しぼりだすような苦しげな声が届いた。
「春宮、宗平親王さま…!」
肯定の一拍を置き、鷹男は余裕のある声で返す。
「ついでに言う、わたしはぬらぬらと温い春が嫌いだ」
 
ぱあどぅん?
 
と、東宮?!
こ、このあたしがしがみついている、この人が?!
汚いから、猫の血をなすりつけたこの袖が?!
引き出しが少ない、とぼやいたこの人が?!
「あ!? 姫、瑠璃姫?!」
やんごとなき東宮その人の声を聞きながら、あたしは意識が遠くなるのをどうしようもなかった。
精も根も、今尽き果てた。
人生は、驚きの吹きすさぶ嵐よ。     
鷹男が東宮だなんて。ほんとに、ほんとに。
ぱあどぅん?
 
 
 
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