100年目の王子様
見つめるだけの(18)

 

 

 

肌を滑る指が辿る、ほんのりと熱をもった肌がぴりぴりと騒ぐ。

とうに緩く束ねた髪は乱れ、肩に臥所に散るように落ちた。

その髪を伊織はすくうように指に絡め、または手のひらに巻き、ちょっとかすれた、声でささやく。

わたしの髪から、肌から花の匂いがすること。そして、自分ですら知らない、密かなほくろの場所を覚えていると言う。

「脚と、乳房の…、ここ」

伊織の触れる懐かしいほどの、だけれども身体が記憶している感覚に、いまだ開かないのに、じんとしびれるように、震えるように、わたしの芯の部分がふっくらとほころびそうになる。

「触れたくて、焦れていた」

その言葉だけで、心が満ちてくる。長子には上手く言葉に出来ない柔らかく甘いもので、気持ちがあふれてくるのだ。

問いたいこと、重ねたい言葉の代わりに、唇からもれるのは、どこかしどけなくも感じられる自分の吐息ばかり。

やっぱり手妻〔手品〕のように不思議な、厄介をするりと解いてしまう彼の物事の運び方の訳も。

しゃくに思った彼の言葉や、時間の切れには、突き放すように背を向けるあの嫌な癖のこと。長子にくれる甘いささやきの足りないこと……。

伊織への小さな不満の詰まったものは、触れ合うことで、肌に感じることで、ごく些細なものに、重さを変えてしまう。

他愛のない、まるでそれはくしゃみのように一瞬で消えるもの。

 

「あ」

 

不意に訪れた軽い痛みに声がもれた。唇を指先で覆い、そのまま噛んだ。

労わるように、髪を撫ぜてくれる指と、口づけと、何か小さなささやきの言葉。確かに優しいそれらに、好きな殿方と肌でつながる喜びがわたしを包む。

どうしてだろう、何の関わりか、こんなときふっと大奥の御台様のお顔が浮かんだ。それから、「詰まらない」と不平顔のあのお方の寂しさが、こんなとき、うっすらと感ぜられるように思うのだ。

数多の女性方のあふれるあの大奥で、一のお方の御台様は、上様が召される他の女君を、どのようにご覧になるのだろう。そして、どれだけお一人の夜を過ごすのだろう。どのように、お気持ちをやり過ごしていらっしゃるのだろう。

そんなことすら推し量ることが及ばなかった長子は、なんて子供なのだろう。

そう思い至ると、あのお方の憂いとため息の重さが、今更にしんと胸に響いた。『大奥の御事』と、ご自身もの経験をもっても、聡明な叔母さまであれば、当たり前と笑うだろうか。さらりとやり過ごされるかもしれない。

けれど、それが誰しもに可能な訳では……。

お可哀そう。

たとえば長子には無理。

絶対に嫌。

長子一人を愛してくれるのでないと、嫌。

「どうした?」

瞳ににじんだ場違いな思いの涙を、彼はどうとったのか、やや慌てたように指で涙を拭ってくれた。瞳に唇を当て、いつかのように涙を含んでくれるのだ。

彼が考える涙の理由はどれも的外れで、けれどもそれをわたしは正さなかった。いつになく気遣ってくれる思いが、言葉が嬉しくて、それに甘えたいから。

伊織は優しい。長子に優しい。

だから、わたしは誤解のままで置いておいた。微かなつながった痛みや、それに急な逢瀬と、そして長く会えなかった拗ね……。そんなものらにすり替えた。

そのままで、

「ねえ、長子だけでしょう? それ以外は嫌」

そんなことをねだってみる。

「ああ、姫だけだ」

そう返るその声に、ひたひたと嬉しさがこみ上げるのだ。

「知ってるだろ?」

 

伊織はわたしを包むように抱きながら、訊きたいことを話してくれた。父上には、ここに来る前に挨拶に上がっていたのだという。

父上は彼を前にご機嫌が悪く、なかなかお返事を下さらなかったらしい。それは以前、わたしにおっしゃったお言葉やあのご様子からも、想像に難くないのだ。

「幾つか条件を出された。それをのめば、許すと」

「なあに? 条件って」

伊織はそれをはぐらかし、すべてを答えてはくれない。もしかしたら、政治的なものも含むのかもしれない。

そうだとしたら、実の姫の婚儀に絡んで、そんなことを持ち出す父上が、ちょっぴり恨めしい。もしそうだとして、伊織はそれを、わたしのためにのんでくれたのだろうか。

「ごめんなさい。…いろいろ」

「気にするな。大したことじゃない」

教えてくれたのは、ちょうど静香さまと入れ替わるように、彼が柚城家に入ることくらい。

詰まらない話を終わらせるように、彼がわたしの顔を胸に押し当てた。「やっと俺のものになった」

「うん。忍んできてくれて、ありがとう」

「眠くないか? だったら寝たらいい。抱いていてやるから」

でも伊織は朝までいられないはず。時間が惜しくて、眠ってなどいられない。

わたしは首を振り、問いたかったことをあれこれと言葉に乗せた。

それは甘い睦言で、彼を笑わせたり、返事に詰まらせたりした。

伊織がわたしを選んだ理由を、叔母さまには性格が気に入ったようにだけ告げていたけれど、本当にそれだけなのかとふくれて見せると、

「あの香月さまに、そんなのろけのようなことを言えるかよ。一生、それで笑われる」

「それだけではないの?」

「え」

「ねえ」と言葉を重ねると、渋々とようやく言ってくれるのだ。顔立ちが愛らしいこと、髪が美しいこと、そして笑顔が特に好きなこと…。

「抱くと、いい匂いがする」

伊織のくれる言葉は、温かくわたしを包む。その居心地のよさに、しんなりと熱を帯びた身体が、それでとろけそうになる。

「ねえ…」

更に問いを口にしかけ、彼がそれを唇で封じた。

「いいからもう、目を閉じろ」

塞いだ瞳がじゅんと熱い。言葉を封じるように急に口づけたのは、もしや照れていたのだろうか。自分の言葉に、照れているの?

だから……?

伊織の腕を感じながら、うっとりとわたしは思いの他早く、すんなりと夢に入っていく。

 

目覚めたのは朝方。もれる明かりでそれと知れた。伊織の姿は既になく、それで、気持ちがしゅんと沈んだ。

こんな宵くらい、二人で過ごしたかった。

それはいつ叶うのだろう。忍び合う短い夜の逢瀬ではく、指を絡めて朝まで眠られるのは……。

髪をかきやり、寝返りを打ち、そのとき枕辺に白いものを見つけた。

「あ」

それは果たして折鶴で、それがまるで彼の代わりかのようにそばにあった。

その小さな凛とした姿に気持ちが凪ぐのだ。

伊織の気配は、いつだって長子のそばにある。

感じられる。

 

 

 

 

 

長らくおつき合いを下さり、誠にありがとうございました。



     サイトのご案内トップページへ♪

『見つめるだけの』ご案内ページへ

お読み下さり、ありがとうございます。
ご感想いただければ大変嬉しいです。メールフォーム、Blogなどよりどうぞ。喜んでお返事差し上げます♪

ぽちっと押して下さると、とっても喜んでます♪