プロローグ

亮と篤子ちゃんが、ペンション〜グリーン〜に至るまで

  



 

ほんの数時間前までは、あんなに明るかったのに。
もうすっかり暮れてしまった景色に、亮は疲れがにじんでくるのを感じた。
どれくらい運転しているのだろう。帰り着くのに、あとどれくらい運転しなくてはならないのだろう。
そんなことが頭に浮かぶほど、疲れを感じた。
それに、腹も空いたし。
トレーナーのポケットから煙草を取り出して、口にくわえた。箱には残りがわずかだ。
「亮さん、コンビニあるわよ」
助手席の篤子ちゃんが言う。
確かに前方に、見慣れた看板が明るく見える。
国道の割には道幅も細く、車通りもまばらだ。辺りは雪をかぶった鬱蒼とした林。死体でも捨てられていそうな雰囲気。
「こんなところのコンビニなんて、儲かるのかな」
「でも、町まで遠そうよ。案外はやってるのかも」
駐車場に乗り入れると、広く取ったスペースには、長距離を走るトラックが数台。ドライバーには休憩場として穴場なのかもしれない。
車を降りて、亮はちょっと伸びをした。肩がこっている気がする。首をぐるりと回すと、篤子ちゃんが、
「大丈夫? 運転代わろうか?」
「いいよ。若女将の運転する車に乗っている方が疲れる」
彼女が普段乗るのは、自分用の小さなオートマチックの車だ。亮の大き目のRV車など、免許はあっても動かせるのかも怪しい。
彼女が何か、言いかけた。言葉を遮るように、空から雷がとどろいた。
一瞬の間の後、ばらばらと大粒の霰が降ってくる。
二人は慌てて店に駆け込んだ。
 
 
店の中には若い店員のほか、マガジンラックの前で雑誌を立ち読みする男、それと弁当の棚で品を選んでいる男の二人だけ。
その男が、
「おい、お前、カツ丼と幕の内、どっちにするんだよ?」
弁当を手に、雑誌を立ち読みする男に大きな声をかけた。連れのようだ。
色は異なるが、同じような作業着を着ている。外のトラックのドライバーなのかもしれない。
亮は篤子ちゃんの持った買い物カゴに、パンやらお菓子やら、飲み物やら、いろいろ投げ込んだ。
レジ台にカゴを置き、いつもの煙草をワンカートン追加した。
「嫌な天気になりましたねえ」
商品のバーコードを通しながら、店員の青年が話しかけてくる。人懐こいたちなのか、こんな寂しいところで働いて人恋しいのか。
「雪、降りそうですね。積もらなければいいけれど。これから、山道なの」
篤子ちゃんが気さくに答える。
彼女は誰にでも朗らかだ。
「そうですねえ」
亮がお金を財布から取り出したとき、後ろから、二人に声がかかった。
「君ら、H県に行くの?」
弁当の棚の男だ。
「いや、その向こうのI県だけど」
彼は亮の言葉に、顔の前で手を振った。「駄目、駄目」と。
これから向かうH県への山道が、途中土砂崩れにより、通行不能になっているという。
「俺らも、引き返してきたんだ。高速は、下りが玉突き事故で処理にえらく時間がかかるっていうんで、下道に下りてきたのにな」
そこまで言って、マガジンラックの連れに「なあ?」と同意の声をかけた。
篤子ちゃんの表情がくもった。彼女だって疲れているのだろう。早く帰りたかったに違いない。
店内の時計は八時をちょっと回ったところ。
何だかどっと疲れが増すのを感じて、念のため宿泊施設が近くにないかを、レジの青年に尋ねた。
これには篤子ちゃんが、亮の袖を引いた。「ちょっと」と。文句がありそうだ。
無視して、尋ねる。
「そうですねえ、この国道をしばらく行くと、プチホテルみたいなのが、幾つかありますね」
こんなところに? と言いたげな顔でもしたのだろう。彼は続けて、
「冬はさっぱりでも、夏場は結構人が来るんですよ。バードウォッチングとか、陶芸作家の窯も近いから」
と教えてくれた。
礼を言って、店を出た。
先ほどの霰が、いつの間にかふわりとした雪に変わっている。
車に戻ると、さっそく亮は腹ごしらえだ。篤子ちゃんも缶のコーヒーに口を付けた。
「とにかく、先まで行ってみましょう。それから泊まるか考えればいいし」
おにぎりをほお張る亮にも異存はない。
あれこれ食べてから、彼は煙草を口にくわえた。火をつけて、それから車を車道にゆっくり進ませた。
 
 
車内のデジタル時計が、九時を指した。
コンビニで会ったドライバーの言っていたことは事実だった。細くうねった道路が、完全に土砂と倒れた木々に塞がれてしまっていた。それを何とかしようとする人の姿もない。
雪が激しくなり、深夜になっていく中、撤去作業はかなり遅れそうだ。
仕方なく、亮は来た道を引き返したのだった。
ラジオが高速道路の方も、事故処理ははかばかしくないと伝えた。
舌打ちでもしたくなる気分で、
「もう、今日のところはどっかに泊まろうよ」
すっかり音を上げた亮に、篤子ちゃんは「なるべくきれいなところがいい」
とうなずいた。
「選択肢が著しく狭いんだから、文句を言わないでほしいな」
亮はほっとして、そんなことを言った。泊まるのは嫌だと彼女にごねられたら、正直どうしようかと思っていたのだ。
「最低限、お風呂が清潔そうじゃないのは、きついもの」
「目をつむって入ればいいじゃない」
「そんなのじゃ、入った気がしない」
「どこの風呂だって、完璧に清潔なわけじゃないよ。バクテリアがうようよしてるんだから。君は上辺だけきれいなら、いいんだろう?」
篤子ちゃんはそれに答えない。彼女のちょっとむっとした表情が、亮にはおかしい。
林の小道に看板が見えた。[Green〜ペンション]とある。看板も洒落ていて、女の子受けのしそうなところだろう。
「ここでいいだろう?」
これ以上うろうろするのも面倒で、雪が積もってしまわないうちに宿に入りたかった。
篤子ちゃんもうなずいた。
一旦コンビニに戻り、下着の替えなどと缶ビールを幾つか買った。
ペンションの看板を通り過ぎ、百メートルほどの先に建物はあった。
後ろに森を背負う。行き止まりなのだろう。
ログハウスのそれはあちこちの窓に明かりがもれており、営業中のようだ。駐車場にも数台車が停まっている。
車を降りて、ドアベルの鳴るドアを開けた。
オレンジ色の暖かい光が目に飛び込んできた。ホールには目の前に受付のカウンター、左奥にソファやテーブルの置かれたラウンジスペースが見えた。
ショートカットの中年の女性が出迎えた。エプロンで手を拭きながら、
「いらっしゃいませ」
「あの、一泊いいですか? 二人なんですけど」
「よろしいですよ。でも、今夜はほら、土砂崩れの通行止めで、お客様が多くて……。ツインのお部屋を一つしかご用意できないんですよ」
篤子ちゃんの様子は敢えて見ずに、亮はそれで構わないと言った。
この様子では、どこの宿だって同じ状態だろう。部屋があるだけありがたい。
食事も済ませたと告げ、女性の案内でラウンジにつながる階段を上がる。
むっつりと篤子ちゃんが、彼の後から付いてくる。
まさか同室とは考えてもいなかったのだろう。亮はちっとも気にならないが、彼女は大いに気になるに違いない。
「きれいなところじゃない?」
振り返って彼女に問うと、硬い声で、
「そうね」

と答えた。






                                                       
        

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