天涯のバラ
26
 
 
 
聞き間違えたと思った。もしくは彼女が言い間違えたか。すぐに笑って、「愛人にしてくれって聞こえたぞ」
「そうです」
「おい…」
「だって、速水さんほど、わたしのことを真面目に思ってくれる男の人はいませんから。「北島マヤとつり合わない」とは、決して言わない」
「ちびちゃん、からかっているのか? 俺が君に積年の告白をしたから、それで…」
「そんなひどいことする訳ないでしょ。本気です。わたし、速水さんの気持ちを聞いて、すごく嬉しかった」
「喜んでくれるのは、俺もありがたいが、だからと言って、愛人はないだろう、正気か?」
「正気です。前に速水さん言ったじゃないですか。奥さまのご実家は、愛人を作ったって寛大だって」
それは言った。確かに言った。彼は弱って、額に手を置いた。彼女はそんな彼を見て、ちょっと笑う。
「それ、速水さんの困ったときの癖ですね。わたし知ってる」
「困らせているのは、君じゃないか。俺への同情や紫のバラの恩返しなどから言っているのだろう? ちびちゃん、それは余計な情けだぞ」
「そうじゃありません。こんなことを言うくらいだもの、速水さんと同じ気持ちです」
「は?!」
彼はあんぐり口を開けて、彼女を見返した。目の前の彼女は、ぽっと頬を赤らめている。がんがん飲んでも顔色も変えない彼女が、だ。彼はそのままじっと見つめ続けた。
再会してからの、彼女との理想的な関係が思い起こされた。その日々を反芻するまでもなく、一つ一つが楽しく、嬉しかった。彼のみの実感ではなく、彼女にとっても…。
(半年ほどのその間に、奇跡は起きたのだろうか)
しまい込んだはずの恋が、芽吹いて、気づかぬ間に花を咲かせている…。
大きな喜びと感激に、彼はしばし放心した。
ふっと我に返る。
「言えよ、そういうことは」
「自分だって、言わなかったじゃないですか」
だから、と彼女は話を戻した。速水さんの愛人になりたいのだ、と。
彼は自然首を振っていた。「いや、それは…。君の気持ちは嬉しいよ、本当に嬉しい、正直言って、舞い上がってる。でも駄目だ」
「どうして?」
彼を見上げる彼女の目が健気に光る。それにうろたえながら、「君を愛人にはしたくない。北島マヤだぞ。そんな…、できるか。君の名に傷がつくし、俺とつき合って人生を食いつぶすのは止めろ」
「人生を食いつぶしている最中の人が、何を言っているんですか」
「ああ言えばこう言う、君は変わらないな。…とにかく、君を大事に思っているからこそ、出来ないと言ってるんだ」
彼女は唇を噛み、彼を上目遣いに見る。やや睨むような視線だった。見慣れた、彼の好きな彼女の顔だ。シャワーの後で化粧っ気はない。きれいな白い肌はまだ赤らんでいる。
「いいんですか? それで」
「いいも悪いも、それしかないだろ」
「それで、幸せ?」
言葉に詰まった。幸せかそうでないかなど、彼は長く考えたことがない。言葉に窮するのだ、幸せではないのだろう。
「わたしが、これからに少し虚しくなっていることを話しましたよね。それで子供を持ちたいと考えるようになったって。わたし、速水さんと男女の中になれたら、もうきっと虚しくないと思うんです。こんなこと言うの、恥ずかしいけど…」
『精子バンク』からの精子データーをベッドで繰って物色する君が、その程度で照れるな、と突っ込みかけたが、彼は止めた。女性にここまで言わせているのは、口説きに応じない男の自分のせいなのだ。
夢のような現実を、理性をかき集めて拒否する今を、彼は地獄のようだと思った。大嫌いだ、ゲジゲジなどと罵られる方が、よほど楽だった。
さっき彼女が、彼が困ったときはそうすると言った、額に手を当てる仕草で頭を下げ、肩を落としうなだれながら必死に耐えている。絶望的な苦しみだった。焦がれるほど望む彼女がが、「同じ気持ち」だと、こうして手を差し伸べてくれている。なのに、自分は断ることしか選べないのだ。
「…駄目なんだ、君を汚せない」
「速水さん、わたしのために受け入れられないって言いましたね。だったら、それを棄ててくれませんか? わたしのために。それで、わたしきっと幸せなんです」
彼女は彼のだらりと膝に置いた手を取り、握る。口元に運び、甲に唇を当てた。柔らかい、熱い感触が、直に伝わる。
「わたしは、汚れません」
無理だと思った。
駄目だと思った。
(もう抑えきれない)
彼は彼女を引き寄せ、膝に抱き上げた。何も言わずに口づける。最初、彼の胸に置かれた彼女の両の手は、程なく彼の背に回った。
抱きしめてキスを繰り返す。
その狭間に、彼女が言う。
「…いつか、速水さんの子供を産ませて下さい」
 
長くキスを続けた後で、彼が訊いた。「抱いてもいいか?」
「…うん」
彼は彼女を肩に抱えるように寝室に運んだ。ひんやりと冷たい室内の、中央のベッドに彼女を横たえた。そのまま身体を重ねた。
唇から首筋にキスしながら、彼の手は彼女の肌を探っている。服の下から差し入れた手が、乳房に触れた。そのまま服を脱がした。
「あの、速水さん…」
「やっぱり止めます、は無理だ」
「そうじゃなくて…、わたし、あまり経験がないから、その…」
「経験豊富な君なら、がっかかりだ。それに俺も大したことはない、気にするな」
彼女は少し寒いと言った。彼は部屋のヒーターを入れる。彼もTシャツを脱いだ。素肌になった彼女の全てに口づける。匂いや柔らかさ、小さな身体の可憐さ。愛するその全てを味わいながら、彼は彼女に真っ逆さまに溺れていく自分を感じていた。
たっぷりと潤んだ彼女の中に入るとき、しまったと思った。用意もなく、避妊をしていない。それでも止めなかった。どんな責任も取る覚悟はある。
彼を受け入れながら、その下で儚く喘ぐ彼女が、「心配しないで、大丈夫」と、苦しげに言う。妊娠しにくい日なのだろう。
「辛いのか?」
「ううん、平気。嬉しいだけ」
(なんて可愛いことを言うのだろう)
「…速水さんは?」
「嬉しいよ」
悩まし気に彼に反応する彼女を労わり、優しさに努めた。




           


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