天涯のバラ
25
 
 
 
彼は顔を伏せ、立てた片膝に押し付けた。驚きが去れば、悔しさがあふれた。
自分のせいだと思った。彼女がお笑い芸人の新鮮味にほだされたのも、その甘言に負け、金を支払ったのも、自分が傍で彼女を守り切れなかったからだと悔いた。
悔いの根源は、己のプライドだ。彼女にどう思われるか、どう見えるか。それに細心過ぎて、機会を逸し続けたのだ。簡単なことだったのに。理由など要らない。好きだ、君しかいない、と告げるだけでよかったのに。
断られたって、いいじゃないか。何度だって打ち明け続ければよかったのだ。一番欲しいくせに、無理なやせ我慢を重ね、いつか他人に奪われるのを、指をくわえて待っていただけなのだ。意気地のない自分が、この結果を呼んだ。
彼女が自分を受け入れてくれる、くれないは関係ない。芯から彼女を見守っているという真意を伝え、実行すればそれで済んだのだ。幾つもの過ぎ去った機会に、自分の強い決断があれば、過去は必ず変わった。この現在の彼女を傷つけずに済んだのではないか…。
(俺が、言うだけで結果は違った)
その思いが、彼を打ちのめした。
いつだって、優柔不断で迷い続け、時機を逃し続ける、自分ほど愚かな男はいないと思った。それで今、彼女を守っている気持でいるのだから、
(馬鹿の極致だ)
自分が泣いているのに、彼女の方が先に気づいた。
「速水さん?」
彼女は驚いてソファに座り、彼の顔をのぞき込む。涙に気づき、はっとして顔を上げた。頬のそれを手の甲で拭った。彼女の手が彼の頭に伸びた。髪をなぜてくれる。
「びっくりしますよね、あのちびちゃんが、恋バナだなんて…」
彼女にとって意味のわからない彼の涙を、当たり前にその優しさでやり過ごしてくれる。
そうじゃないのだ。
そうではいけないのだ。
彼はまだまなじりに涙の残る瞳を彼女へ向け、彼の髪に触れる彼女の手首を捉えた。
「君だけが好きだ」
「え」
声を受け止めた彼女の反応は痛い。けれども、それを堪え、言葉を継いだ。もう我慢は要らない。
「ずっと昔から、女として、君だけを心から愛してきた」
間違えようのない告白だ。
それに彼女は表情を固まらせた。声はない。彼はそのまま彼女を抱きしめ、
「いいんだ、このままでいい。何も求めないから」
返事もなくていい、と彼は言った。
「勝手な言い分だから、答えに困るだろう」
彼の腕の中で、彼女は途方に暮れた少女のようだった。その様に、自身の情けない涙も引っ込む。自分が傍で守ってやるのだ、この先の彼女を。新たなその思いは、彼を奮い立たせる。
「告げたかっただけだ。それくらい許してくれ。もう二度と君を困らせないから」
彼女を放し、空いたグラスにワインを注いだ。それを彼女は飲まず、しばらく茫然と過ごした後で、お風呂にお借りしますね、と立ち上がった。
彼を一人にしてくれる配慮だろう。どこまでも、彼女は彼に優しい。
 
彼女が風呂に行っている間、彼はワインを飲みながら、彼女から聞いたお笑い芸人の名をタブレットで検索していた。すぐにオフィシャルブログがヒットする。
初めて見る顔に、まず嫌悪感が走った。まずくない顔立ちだが、にやけていると彼には見えた。うっとうしい提灯記事に、『面白くないですね』。『辞めたらどうですか?』。『笑いのセンスが十八年前ではないですか、懐かしいです』。『ファッションがアニメの一休さんみたいです、どうしてですか?』。『面白くないと思ったら、笑いのセンスがやっぱり十八年前でした』…。
思う様適当におかしなコメントを入れていれば、彼女が戻ってきた。
彼はただ検索して、そのブログを見つけたという体で、彼女に見せた。
告白後の照れ臭さはいかんともしがたいが、妙に爽快だった。長過ぎる心の思いを包まずさらけ出したことが、彼に心地よさを感じさせていた。悔いもない。格好も見栄えもいいのだ。彼女に対して、もう自分を取り繕う必要はない。
「評判悪いぞ、君の元彼は」
部屋着に着替えた彼女は、バッグに着ていたものをしまい、彼の手元をのぞく。
ざっと目を通した後で、彼女は彼を見た。
「これ、書き込みがみんなついさっきです。速水さんでしょ、書いたの」
「俺もコメントと同意見だが、同じ意見を持つ奴もいるんじゃないか」
「何ですか、一休さんのファッションって…」
「さあな。的確な意見じゃないか」
彼は立ちあがり、シャワーを浴びて来る、とリビングを出た。
シャワーを済ませてリビングに戻れば、彼女はワインを飲みながらケーキの続きを食べていた。
「飲みますか?」
「ああ」
ソファに置いたタブレットを見れば、ホーム画面に戻っている。彼女が元カレのブログを閉じたのだ。座って注がれたグラスを口に運ぶ。
「なあ、ちびちゃん」
「はい」
「さっき、君は「物珍しく近づいて来て、利用されて」って言ったな。そういう奴もいるが、君を真面目に思う男だってきっと現れる。だから、簡単に自分を軽んじて、先の可能性をあきらめるな」
彼の言葉を、彼女は目を伏せて聞いていた。「それから」と彼は言葉を継いだ。
「君のことは、俺が必ず守る。社長としても個人としても。君には重くて邪魔かもしれんが、もう十三年にもなる腐れ縁だと思って、こっちはあきらめてくれ」
彼女に伝えたいことはこれが全てだ。彼女が頷くなり、「はい」と返すなりしてくれれば、それで終わる。
二度目の恋の末路は、一度目のそれより酷くない。叶えられない切なさも、夢を見ない観念も、彼の中でとうに受け止めている。
彼女は顔を上げ、彼の首元に視線を置いている。じっと見つめると、唇が開いた。「あの、速水さん、お願いがあります」
「何だ?」
彼はグラスのワインを口に含んだ。舌に乗せ喉に流したとき、
「わたしを、愛人にしてくれませんか?」
(は?)




           


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