高慢と偏見
1
 
 
 
ベッドで彼女は布団を鼻まで上げ、隣りの彼を見た。彼はベッドヘッドに当てた枕に背を預け、雑誌を読んでいた。しばらくそのままで眺めていて、ふと彼が、彼女へ顔を向けた。
「寝ようか? 眠そうな顔をしてるぞ」
そう言い、ベッドサイドの明かりを消した。
フットランプのみのを残し、部屋は暗く沈む。枕を直し、彼は横になりながら欠伸をした。その彼の腕を彼女はふわりと抱いた。こうやって眠るのが落ち着くのだ。半袖のTシャツの腕を指で何となくなぞった。
「おやすみ」を言い合い、瞼を閉じる。いつものもう慣れた儀式めいたもの。
「あのね、速水さん…」
話がしたくなった。互いにこのところ忙しく、あまり話せていたのだ。彼はちょっと笑った声を出す。
「何だ、寝ないのか?」
そう言って、彼女の方へころんと横になった。「昔話でもしてやろうか」と言う。
「昔話?」
「むかし、むかし、あるところにおじいさんとおばあさんが…」
「赤ちゃんじゃないもん」
彼女は彼の胸をちょっと押しやった。そうしてから、と言いそびれていたことを口にする。隠していた訳ではなく、日々に取り紛れ、つい忘れてしまっていただけのことだ。
「楽屋で紫織さんにまた会ったの。何人か一緒に千秋楽のお祝いに来てくれたんです」
彼の返事がなかった。それで、彼女は元気そうであったことや、舞台のことを少し話したことなど、覚えていることを口にした。
「おっきな花束をもらいました。くれたのは、一緒にいた人だったけど…」
そこで彼が、低い声で訊く。
「千秋楽って言うと、先月の〜のことか?」
「あ、そうです」
彼はそれでまた黙った。眠いのかと思って、彼女も口を閉ざしたが、いきなり彼が身を起こす気配がして、明かりが灯った。
まぶしさに、目をしょぼつかせる。
彼女を見る彼は、ちょっと怖い顔をしていた。こういう表情をよく知るが、それは二人がこんな風になる前の頃で、平気で冷たく彼女をあしらっていたときのものによく似ていた。
「どうかしたの?」
それには応じず、彼は、
「「また」って言ったな。どういうことだ?」
「え、あの…」
考えもせずに口をついて出た言葉だ。「何度か、会ったから…これまで」
「いつ?」
追及が急で、彼女は面食らった。頭で記憶を繰りながら、最初は去年の十一月で、それから年を越し、夏前にあるパーティーで一度。話をしたのは、さっき告げた舞台の千秋楽があった先月のみだ。大したことも言ってない。芝居のことを褒められて、礼を返しただけ。
それらをたどたどしく答えた。
彼は眉をひそめて彼女を叱った。「なぜ、言わない?」
「…え、だって、忘れてたから」
「君は…。俺に隠していたのか?」
彼が何を怒っているのかわからない。楽屋にはそのときどきで、たくさんのお客があるし、パーティーともなれば、それこそびっくりするほどの人がいる。彼女は壁にぼけっと突っ立っていることが多いが、たまたまその群衆の中に、ちらりと紫織の姿を認めただけだ。
あの人は以前と変わらず、おっとりとしたお嬢様らしく振舞っていて、その周囲には必ず取り巻きがいた。
彼女はそういった様子を目にし、自分とはあまりに違うそのたたずまいに、「こういう人もいるんだ」と茫然と眺めていたに過ぎない。よくわからないが、本物のお姫様はこういう人だと思った。
怒りもあまり尾を引かない彼女は、清楚な微笑みを見せた紫織のどこに、かつてあんな激情が潜んでいたのかと不思議に思ったものだ。
そのままを彼に伝えた。彼は何も断らずに明りを再び消した。彼女の側を向かず、仰向けのまま、鋭い声で、
「君にあの人の何がわかるんだ」
強い調子で、彼女は虚を衝かれた。すぐに返事ができなかった。しばらく置いてから、
「でも女同士だし、悩みとか少しは…」
「俺は婚約者だった。それでも、二三度会っただけの君の方が、あの人を知っていると言うのか?」
嫌味な言い方で、彼の言葉に返事を返すのが嫌になった。自分が何も知らないのは本当で、ただ思ったことを言っただけだ。今の紫織を見て、そう感じたと伝えただけじゃないか。
彼女は鼻まで布団を引き上げ、彼から顔を背けた。背中を向けるのは露骨だと思ったからしなかった。
彼はそんな様子が見えているのかどうか。「おやすみ」とそれだけ言った。
 
翌日、彼が目を覚ますと、隣りに彼女の姿がなかった。
バスルームかとも思うが、いない。どこにもいなかった。リビングのみいちゃんのエサ入れがこんもりと満たされていて、それが彼女の仕業と知った。
書き置きも何のメッセージもない。
いつもなら、彼女の午前の予定が忙しくなければ、一緒にマンションを出てどこかで朝食を食べることが多い。そのまま会社に出る彼と、仕事に向かう彼女は別れる。彼女が暇であれば、一旦戻り好きに過ごしているようだった。
彼は髪をかき回し、長く吐息した。
考えなくても、昨夜の自分の言葉が原因だとわかった。紫織に会ったと言った彼女に、つい言葉が過ぎた。「女同士だから悩みが少しはわかる」などと、馬鹿げた甘っちょろいことを言う彼女に、あきれて二の句が継げなかったのだ。
あんなことをしでかしておいて、図々しくも彼女の前によくも顔を出せたものだと思う。彼女を完全に見下し、逆らうことなどないと舐めているその態度が、彼には腹立たしいのだ。
そして、去年からその姿を見ているのに、自分には一言もなかったことにもいら立った。なぜ「忘れて」いられるのか、全く理解できない。
しかし、今朝のように黙って行ってしまう彼女は初めてで、胸が騒ぐ。聞いていた予定では、今日は午前十時からドラマのロケがあったはず。昼にでも、連絡を取って食事にでも誘おうと思った。
みいちゃんを連れて出社した。みいちゃんは、彼が今務める大都ロイヤルズの社長室のマスコットである。人気は秘書室に留まらず、社のホームページからリンクされる『みいちゃんブログ』でも、多数の読者を集めていた。
宣伝を兼ねたブログを書く担当は広報の女性社員だったが、「社長もぜひ」と振られて、彼が適当に『うるせー、眠いのにゃー』と寝不足の頭で書いてから、人気が急騰した。何が当たるかわからない。それ以来たまに、彼が更新を担当している。
会議から戻り、ケイタイから彼女へ電話した。そろそろ昼で、支給の弁当の代わりにランチを奢ろうと思った。
電源が切られていた。撮影が押しているのか、と芸能社の元社長はそう考えた。彼女の撮っているのは拘束時間の長い続きのドラマで、事情で予定がずれるのはあり得る。
それはそれで流した。
その日彼は接待で遅く、帰宅が十時を越えた。しかし、部屋は暗く彼女の姿がなかった。遊びに出かけているのかとも思い、風呂を済ませ待ったが帰ってこない。連絡もない。十一時半になり、彼は彼女に再び電話した。飲んでいるから迎えに行くのは無理だが、電話することで、遊び過ぎのけん制のつもりもあった。
電話には電源が入っていなかった。
その日は結局帰って来ず、彼はソファでふてくされて待ちながら、いつしか寝入って朝を迎えていた。




     

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