彼女のレシピ
4
 
 
 
彼女に母との追憶を重ねた自分が照れ臭かった。それをやり過ごすように煙草をくわえる。火を点けたところで彼女が戻ってきた。ハンカチで手を拭き、
「ねえ、速水さん。さっきお店で言ってた特別公演って、いつになるんですか?」
「ないよ」
「え?」
「だから、あれは俺の夢の話だ。あんなことがあったらいいなって」
「あったらいいな…?」
彼女の驚く顔がおかしい。驚きが去れば、「ひどい。英語覚えなくちゃいけないのかとか、悩んだのに…」とぶつぶつ言う。
「いい機会だ、勉強したらいい。海外での仕事も入れ易くなる。ちびちゃん、国際派女優になるチャンスだぞ。遠慮なく俺の夢を踏み台にしてくれ」
からかわれているのがわかり、彼女は彼の腕をぶった。ぷりぷりした声で、
「もうわたし、大都芸能との契約止めようかな。意地悪な社長にいじめられるし」
「他所へ行ったら、ホストクラブで困っても、社長の迎えはないぞ。あれは大都にいる君の特権だからな」
黙り込んだ彼女の頬を、彼が指の背でちょんと突いた。彼女はちらりと彼を見て、
「じゃあ、大都を辞めて、速水さんに迎えに来てもらう」
「え」
「来てくれるでしょ、速水さん」
言葉に詰まるのは、今度は彼の番だった。煙草を消し、彼女の髪をくしゃっとかき混ぜるように指に絡めた。
「こいつ、いいとこどりだな」
そこで彼は立ち上がった。風呂に入って来る、と彼女を置いてすたすた行く。バスルームのあの脱衣室で、外したネクタイをごみ箱に入れようか迷い、止めた。シャツのボタンに手をかける彼の背に、彼女が抱きついた。
「何だ?」
「言ってくれないの? 速水さん」
彼女が何をせがんでいるかはわかった。冗談に対してでも彼の言質が欲しいのだ。立場や利益を抜きにしても、彼女のために動くことを。改めて言葉でほしいのだろう。
(何を今更…)
長く彼女には、完全に私情のみで『紫のバラ』を贈り続けてきた。あれにどんな打算があったと言うのか。
彼はうーん、と渋って見せる。「疲れたから、そんな気になれない」。疲れているのは事実だが、彼女が可愛く困る様子を見ていたい欲求が勝る。
「意地悪。一言でいいのに…」
彼女が背中で拗ねている。「悪いな、男はそういうところがあるんだよ。今夜はオーバーワークで疲れたから、特に」。
言いながら、喉の奥で笑いがこみ上げる。意地が悪いと思った。案の定、彼女はしゅんと背中でおとなしくなった。
「でも、いい案があるぞ。君に背中を流してもらえれば、元気が戻るかも。そうすれば幾らでも言ってやれそうな気がする」
「背中ぐらい流します。今夜は迷惑をかけたから…」
「実は背中だけじゃ困るんだ。俺はとんでもなく疲れてるから。君に一緒に入って、面倒を見てもらいたい」
「ええ!!」
「何しろオーバーワークで、くたくたなんだ。もう夜も遅いし、時間の節約だろ」
「…変なことしない?」
「何もしないよ。君の身体を見てにやにやするだけだ。気にするな」
「速水さんの馬鹿! 変態!」
「何とでも。君に対しては自覚があるから」
むうっと黙り込んだ彼女だが、彼のシャツに手をかけた。たどたどしい手でボタンを外すのを手伝ってくれる。互いに脱いだ。後は、湯気とお湯とで、風呂好きの彼女をどうとでもする自信が彼にはある。
バスタブにお湯が溜まるまで、シャワーを流しながら彼女を抱きしめた。頬や唇、瞼にキスする彼を避けて、「背中を洗ってあげます」と、スポンジを手に取った。言われるままに椅子に座る。彼女の手が背中を洗う間に髪を洗った。いい加減でスポンジを受け取り、後は自分でやる。
「さ、君の番だ、ここに座って」
彼女を自分の膝に座らせた。身長差でいい具合になる。石鹸を泡立てて、手の泡で彼女の身体をなぜていく。
「あ、あの、…速水さん。スポンジ使って下さい」
くすぐったそうに彼女が彼の肩に手をかけ、身をよじらせる。
「肌が傷むだろ、あんな人工的なものを使ったら」
「自分は使ってたじゃないですか」
「おっさんの肌のことは気にするな。君は自分の玉の肌をいたわりなさい」
「…もう!」
以前風呂場でいたずらして、彼女を転ばせたことがあったから、あまり深追いはしない。彼女の可愛い仕草で満足し、溜まったバスタブに一緒に入った。
この頃には恥ずかしさもピークを超し、彼女は背後から回る彼の腕にしんなりともたれてうっとりとしている。
明日の予定を少し話し合った。何も決まらないが、彼女の希望を聞くだけで楽しかった。すぐ側で肌を感じ、言葉を交わす。ここを出れば、きっと自分は彼女を抱くだろう。そうして、二人で眠る…。
(もう何も要らない)
心の奥の声が、はっきりと告げるのがわかった。自分が長く求めていたのは、おそらくこういった幸せだったのだろう、と。揺らがない感覚としてそれがわかる。
「ありがとう」
意識もせずに、そんな言葉が出た。自分にこの満ちた気分を与えるのは、彼女以外に他ならない。変わらずに側にいてほしいと思う。わがままを言い合い、笑って、許したり許されたりして、明日の話をする…。
「なあに? 速水さん」
彼女が振り返った。鼻の頭に汗をかいている。その彼女に口づけて、約束した。
 
「どこへでも迎えに行くよ」
 
 
 
 
 





         


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