甘やかな月(10)

 

 

 

ちらちらと降る雪。
その様を、わたしは暖炉の火が入った書斎の窓から眺める。
雪は降っては、敷かれたレンガの道、または花や緑の上に静かに降り積もっていく。
溶けても、溶けても。降ってくる。
落ちてゆく先に何があるのか、何が自分を受け止めるのか。
雪は頓着なく降ってくる。
つぶれて溶けて、流れて消えても。降ることは、止まない。
窓に指を当て、そんな様子をぼんやりと眺める。
いつしかわたしの指先は、きんと感覚のないほどに、外の冷気になじんでいる。
それを、ガイが自分の手で包んだ。
「こんなにつめたくして。氷のようになっている」
彼の暖かい掌の中で、わたしの冷え切った指先が、温もりを取り戻してゆく。
ときに、彼がこんなにも優しくなければいいのにと思う。
わたしを恋の対象として見られないのなら、冷たくあしらってくれたら、幾分か楽なような気もする。
彼の拒絶は、そのうちわたしの中であきらめに変わってゆくだろうから。
そう思う頭の中で、すぐに別の思いが現われる。
彼から冷たい言葉、もしくは態度なり仕草を見せられたら、きっと耐えられないほどのショックを受けるだろう。
それよりかは、こうしてやんわりと優しくされたい。夢を見るように、現実を麻痺させていたい。
いつしか夢は果てるだろうから。
 
わたしは彼への恋を、心にはっきりと意識していた。
 
こちらの世界へ運んでくれた彼。
悲しみばかりを抱えたわたしを、優しく腕に抱いてくれた彼。
全てを惜しげもなく与えて、わたしを見守ってくれる彼。
いつもそばにいて、甘やかしてくれる彼。
そんな彼を好きになることは、ごく当たり前な、自然なことだろう。
ブルーグレイのその瞳も、濃茶の髪も、すんなりとした長身を折ってわたしに向ける微笑みも。ふんわりと彼が纏う煙草の香りも。
彼を示す、あるいは表す全て。
一人でいると、それらを思うたび、わたしは泣きたくなるほどに彼に恋をしていた。
 
 
ガイの言ったように、わたしが紳士のエスコートで舞踏会に出ることになったと知ると、アトウッド夫人は、こちらがちょっと申し訳なくなるほどに喜色を浮かべた。
「まあああ、それはおめでとうございます。
坊ちゃまからは、お嬢さまが地方に長くお父上のフィッツ博士とお住まいされていたと伺っております。

こちらにもすっかり慣れて、落ち着かれたご様子でございますから、このたびのことはようございますよ。
お若いお嬢さまはやはり、紳士方に色よいお話をいただいてこそ、社交界でも華やぐものですから。
忙しくなりますわ、お嬢さま。
まずお衣装でございますわね。お任せ下さいませ。
お嬢さまのお気に入るものを、さっそく誂えなくてはなりませんわね」
いつ息を継いだのかと思うほど、矢継ぎ早に滔々と話されると、まったく圧倒されてしまう。
その日のうちに仕立ての人々が現われたり、または腕のいいという店をリストアップしたのだと聞かされたり。
別の日には、彼女の友人の勤めるという邸からの情報で、どこの令嬢はこういうドレスをお召しのはずであるとか、またはどこのご婦人はこういうものをお作りになったのだとか……。
「別の方とドレスのデザインが似かよるほど、惨めなものはないと申しますからね。
品があってお可愛らしい。そういったものがお嬢さまにはお似合いで、よろしゅうございましょうね」
「……え、ええ、アトウッドさんにお任せします」
ガイはそんなこちらの様子を、居間の長椅子に掛け、前に長く脚を伸ばして、ちょっとにやにやと楽しげに眺めているのだ。
忙しげに彼女が出て行くと、
「いやはや、マーガレットは実に愉快そうじゃないですか」
などと笑う。
彼の膝に、とんっとわたしの猫のシンガが乗った。それに彼は、ちょっと顔をしかめる。まだ、シンガが苦手のようだ。
「何だかごろごろいっていますよ。病気ですか?」
「知らないの? 猫は嬉しいと喉を鳴らすの」
「おやおや、僕はお前がそんなに好きではないのだよ」
彼はちらりとシンガの背を撫ぜてから、膝から下ろす。
その仕草が、わたしを傷つけた。
シンガはまるでわたし。
それをガイは、そんなに好きではないと膝から払うのだ。どこでも好きな場所で、遊んでおいでとばかりに。
胸がざわめいて、そして喉はからからに渇いているきっとお茶を飲んでも、横になっても、それは癒されないだろう。
「どうしました? 顔が蒼い」
ガイは立ち上がり、わたしの前に来た。手を額に置く。熱でもあるかと思ったようだ。
彼のブルーグレイの瞳がぱちりと瞬く。
「大丈夫、何でもないの」
わたしはくるりと背を向けた。これ以上彼の前にいたくない。泣き出しそうで、惨めな感情を吐き出してしまいそうで。
花を切りたいからと、温室に向かった。
廊下を走りながら、頬に熱い涙が伝った。それは一度溢れてしまうと、止め処もなく溢れて。
温室に向かう途中で、人気のないリネン類の置かれた小部屋に入った。わたしはそこでしばらく泣いた。
 
ガイがわたしに優しいのは、大事にしてくれるのは、彼の持つ不思議な懐中時計の鏡にわたしが映ったからだ。彼がその責任で、この世界へ連れてきたからなのだ。
それだけのこと。
不幸に包まれたわたしが、可哀そうだからに過ぎないのだ。
そんなどうしようもないことに、今ごろ気づくなんて。
彼の特別であるような甘い錯覚は、わたしの勝手でひどい思い上がりでしかない。
だって彼には、いまだ愛する美しい人が胸にいるのだもの。
レディ・アン。
ガイへの恋を意識してから、大きく重く彼女の影が、わたしを取り囲んで離さない。
ガイが唯一愛する美しい人。彼のそばにきっとふさわしい、花のような華やかな女性。
ニールさんと共に出かける公爵夫人の舞踏会。そこにはレディ・アンの姿もあるという。
会いたくない。
会って、わかりきっている自分と彼女との、惨めな落差などを感じたくない。
なのにわたしは、それにガイではない別の男性のエスコートで出席しなくてはならないのだ



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