甘やかな月(14
 
 
 
雪の散らつく午後、わたしは迎えの馬車に乗った。
ロビンソン男爵夫人の催すティー・パーティーへ向かうのだ。
アトウッド夫人が新しく作らせてくれた臙脂のベルベッド生地のドレス。大きな飾りの付いた帽子を斜めに被り、わたしは揺れる馬車の中で、小さなビーズがあしらわれたバックをいじり続けている。
レディ・アンに会う。
そのことが、どれほどの重みでわたしの肩や胸に迫ってくるか。
きしきしと体が悲鳴をあげそうなほどに、わたしは怯えていた。やはり、あの人に会うのは怖いのだ。
あの美しい笑みを見たら、わたしは泣き出してしまうかもしれない。
 
馬車は、男爵邸に向かう途中で、ガイの勤める大学の前を通る。
彼は今日ここで、講義を受け持っている。
大きな、もしくは小さな教室で、学生を相手に数学を教えているだろう。何かを思案するときガイは、いつもちょっとだけ目を伏せる。表情を凍らせ、それがしばらく続く。
その後で、あっさりと瞳を瞬かせたりするのだ。
水を飲むように書物を読み、パンでもかじるように当たり前に煙草をくわえる彼。
そこで不意に思い出す。
研究室の彼のデスクに置いた煙草のケースは、空ではなかったかしら。ない場合、ストックが戸棚に幾箱か用意してあることを、彼は覚えているだろうか。
つらつらそんなことが頭をよぎる。
わたしがいない今日、誰がお茶を淹れてあげるのだろう。
そこまで考えて、軽く首を振った。わたしの代わりなど、誰でも務まる。
元の世界へ帰り、いなくなるわたしの隙間など、彼には容易に埋められるのだ。
 
 
ロビンソン男爵夫人という人は、四十歳ほどの華やかな女性だった。
明るい色の髪を巻いて、顔の周囲に散らしている。濃いグリーンのドレスは、彼女の年齢には少し飾りが多いような気がしたものの、それが彼女を若々しく魅力的に見せてもいる。
「まあ、ユラさま、ようこそいらっしゃいました。皆さまお待ちかねでいらしたのよ」
大げさなほどの身振りで、女性らしい設えのサロンに招じ入れられた。
庭に面してフランス窓が続き、そこから冬の午後の明るい光が差し込んでいる。
長椅子に掛ける美しく装った四人の女性は、わたしの登場に手のカップや皿を置き、微笑むのだ。
「まあ、可愛らしい方。こちらへどうぞ」
自分の隣の席に座るよう示してくれたのが、リジーという愛称で呼ばれるブロンドの女性。
「それ、チェルシーの新作でしょう? 素敵。色違いで、わたくしもほしいわ」
わたしの手のビーズのバックに目を留めたのが、四人の中では一番若いように思うクレアという女性。
「まあ、呆れた。初めてのお仲間のお持ちのバックを真似るなんて。クレア、はしたないわ」
笑いながらたしなめたのは、深い紫のドレスが印象的なレイチェルという女性。
「あら、でも、クレアくらいの年のころは、わたくしも何でも人真似をしたものよ」
ロビンソン夫人が、わたしにカップに注いだお茶を勧めた。緊張で喉が渇いていたので一口熱いお茶を飲んだ。
あれこれと降る質問に、ぎこちなく答える。
隣りに座るレディ・アンが冗談めいてささやく。
「皆さん、新しいお仲間に飢えているの。取って食べたりしないから、ご安心なさいね」
くすりと笑う彼女が、片目をぱちりと閉じて合図をくれた。
今日の彼女は、紺のドレスに白のリボンを大胆にあしらった、ひどく目を引く姿をしていた。
やはり、目が吸いつくように美しい。
 
集まった五人の女性は、いずれも名家の夫人や令嬢であり、社交の仲間なのだという。
ロビンソン夫人が話題をあれこれ出し、それを好き勝手に皆が広げる。この世界の知識の薄いわたしには、意味がわからず、ついていけない会話も多い。
黙りがちになるわたしを、レディ・アンは優しくフォローしてくれる。わたしが答えやすいように意見を訊いたり、話を振ってくれる。
公爵主催の競馬の話になり、やはり首を傾げてしまうわたしには、近いうちにご一緒しましょうと誘いをかけてくれるのだ。
「そこでいただくお昼のお食事も素敵なの。つい、シャンパンを過ごしてしまうわ。それに、お目当ての騎手にもハンカチを振れるもの」
彼女は気どりもなく、ごく気さくに、そんなことを言う。
「あら、アン、あなたお目当てがいらっしゃるの?」
「ふふふ、公爵さまの馬に乗るデイビスという騎手は、ちょっと素敵よ」
クレアも彼女の話にうなずいた。
「わたくしも彼、素敵だと思っていたのよ。パーティーの取り巻きにいてくれたら、鼻が高いわ。でも、レディ・アンがライバルなら、駄目ね。あきらめるわ」
「駄目よ、クレアあきらめないで。ライバルがいた方が燃えるの」
「ハンカチを振るくらいで、燃えなさんな。アン」
ここで、どっと笑いが起きた。
ちょっとしたゴシップや噂話、素敵な男性の話、それと軽い愚痴。
彼女たちの会話は、名詞はともかく、わたしの知る元の世界の女性同士の話とあまり変わらないように思えた。
いつしか、わたしも自然に笑みが浮かぶようになっていた。
 
こちらの世界に来て、わたしはそのほとんどをガイと共にいた。
そして、彼のために邸の中でのささやかな役割をこなす。
友人といえる人もおらず、感情は胸に抱いたまま。そんな感情は溜まり、鬱積して、今更さらせないほど、いやらしいものに変わってしまったように感じていた。
同性の人と触れ合い、話に加わり笑うことで、その胸に風が通るように感じる。
彼への恋ばかりではなく、わたしは寂しかったのかもしれない。元の世界でのように、きっと小さなことで理解し合える同性の友人が、きっとほしかったのだろう。
レディ・アンとは次に、彼女のお薦めだというホテルでのランチを一緒に行くことになった。レイチェルも一緒だという。
「お誘いありがとうございます。楽しみにしてます」
わたしはそう答えた。言葉に嘘はなく、本音で応えた。その日に何を着ようか、頭の中はそんなことで一杯になるほどに。
いつものように、ガイに断ることを、どうしてだか考えなかった。
彼女にそれを言うのもためらわれたし、ガイが、彼女との外出を許可しないとも思えない。
それとは別に、気持ちの深い根のところで、わたしは、ガイが元妻の名を耳にしたときに浮かべる、表情の変化が怖いのだ。見たくない。
 
美しいレディ・アン。
その美しさを意識しながらも、気どらず気さくで、彼女はとても優しい。
圧倒的な彼女との差。
それを感じながらも、不思議とわたしはそれで絶望したりしなかった。
これほどの人なら、こんな魅力溢れる人なら。ガイが愛し、彼の妻であった女性にふさわしい。すんなりと、簡単に認められるのだ。
わたしの中でのつぶれ切った自負心。それが、別の前向きなものに変わりつつある。
少しでもいい、彼女のような女性に近づきたい。
そう思うことは、きっとわたしの心の整理になるのだろう。少しずつ、ゆっくりと、あきらめていこう。
痛くないように、泣かないように。
ガイを、忘れよう。



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