甘やかな月 エピソード2
4
 
 
 
マントルピースの火が盛んに燃える部屋だった。ベルベッドの紺色のカーテンは、日を遮って厚く閉じられていた。
どうして開け放さないのだろう、と思った。そうして照明を落とした方が、昼には気持ちがいいだろうに。
壁には、ずらりと並ぶ大きな鉢植えの蘭が、艶やかに花を咲かせていた。
暖かなその部屋のほぼ中央に据えられた、大きな天蓋のあるベッド。その中に少年はいた。
ブロンドの髪をくしゃくしゃに乱した十五歳の少年。エドワード皇太子。
細い体は十五歳らしくなく華奢で、病床に、首などは鉢の蘭の茎を思わせるほど。
彼はわたしたちの来訪に、傍らのメイドの手を借り、ベッドから半身を起こした。寝間着の寒そうな肩に、メイドが分厚いほどのショールを掛けてあげる。
雪のように白い肌。その中で瞳だけが、生き生きとして大きく輝いている。姉のジュリア王女と同じといっていい濃いブルーの瞳。
「ああ、ガイ」
やや尖ったような声。これが癖なのだろうか。それを発した後、こんこんと咳き込んだ。
アンブローズによる紹介の後で、彼の勧める椅子に掛けた。王子の寝室とはいえ、ここは療養先の離宮であり、ごく親しい個人的なお見舞いとあってか、特に畏まるような雰囲気はない。それでわたしは幾分か楽になった。
ジュリア王女は椅子にも掛けず、その背にもたれた。そうしてわたしにあれこれと話しかけるのだ。
ウィンザーにはいつまで滞在の予定なのだとか、ウサギの餌には緑色の野菜の方が好まれるのだとか、マキシミリアンの王宮では絵師に絵画を習っているとかで、よかったらわたしも一緒にどうかという誘いなど……。
取り留めのないことを、まとまりもなく話す。思いついたことをそのまま口にしているように。
彼女の気さくなその飾らない人柄が、わたしは好きになりかけていた。
「ユラ、あなた、レディ・アンとはちっとも似ていないわ」
会話の最後に彼女は、結論付けるようにそんなことを口にした。いつしかわたしがレディ・アンとの比較の対象になっていたと知り、胸がひやりとする。
彼女はどこまでレディ・アンの素顔を知っているのだろうか。
わたしは、ガイとごく親しそうな彼女の気に適うのだろうか。彼に相応しいと、認めてもらえるのだろうか。
そんな不安がつらつらと顔をもたげる。
わたしの動揺を煽った後に、あっさりと彼女はこうつなげた。口の端を上げて、にこりと笑んだ。
「あなた、ハチドリみたいよ。可愛いらしいわ。好きよわたし」
ガイと似たようなことを言うのだ。
 
お茶が運び込まれるころには、ガイは王子さまのベッドに掛け、寛いだ風に彼に話し掛けていた。王子さまも、ときに咳をしながら、ごく楽しげに話している。
ジュリア王女が教えてくれたことによると、ガイは長らく後見役と共に、王子さまの教師役を務めていたという。以前彼からも、そのようなことは聞いた覚えがあった。
今は違うのだろうか。だったら、どうして辞めたのだろう。
「離婚したからよ。おしどり夫婦の突然の離婚劇は、社交界ではちょっとしたゴシップだったわ。それで騒ぎを起こした責任を取って辞任したの」
ジュリア王女はエクレアのようなふんわりしたお菓子を、既に頬張っている。それを咀嚼しながら教えてくれた。
気取りのない彼女に、親近感が湧く。
「また食べてる。デブジュリア」
かすれた声が聞こえた。ベッドの方を向くと、王子さまがこちらを見ていた。その大きなブルーの瞳に会い、わたしは少し勇気を出して微笑んでみた。
すると彼は、ちょっとその目を合わせただけで、ついっと逸らしてしまう。気に入らないのか、初対面のわたしに照れているのか。もしや、不快なのかもしれない。
二つ目のお菓子をつまみながら、ジュリア王女が、
「大きなお世話よ。人のことをとやかく言う前に、早くいつもの風邪を治しなさいな。そうしないと、いつまでもこのウィンザーに閉じこもっていなくちゃならないのよ」
「別にここにいたって、構わない。ねえ、ガイもいるんでしょう?」
そのガイへの問いかけに、彼女が割り込んだ。
「ガイは、あなたなんて関係ないのよ。明日にでもマキシミリアンへ帰っちゃうわよ、ユラだけつれてね」
そう言って、可愛らしくぺろりと舌を出した。
「ユラ……」
そこで初めて彼がわたしに注意した。じろりと瞳を向け、しばらくの後で、すいっとやはり逸らしてしまう。
ガイが、招いてわたしの手を引いた。そばに寄せる。ややうつむく王子さまに、
「僕が最近結婚したことは、お話ししたでしょう? 彼女は王子とは年も近いのですよ」
「ふうん……」
「可愛らしいお嬢さんでしょう? 彼女はしばらく大学で、僕の秘書も務めてくれたのですよ」
「そう」
ちらりと一瞬目を上げるものの、すぐにそれは伏せられる。
わたしは何か、彼の気に障るのだろうか。少しも弾まない会話に、居心地が悪くなる。
ぎこちなく浮かべる笑みも、頬に嫌な感じにこびりつくのを感じる。
いつまでここにいるのだろう。早く暇を告げ、あの居心地のいい居間に帰りたかった。ガイと二人きりになりたい。
蒼ざめた血色の悪い彼の顔を見ながら、そんなことを思うわたしは、きっとわがままな女なのだろう。
 
また訪れる旨を告げ、辞去したのは日暮れ近くになったころ。馬車に乗り込んだ途端、肩からゆるりと疲労と緊張が解けていくのを感じる。
「疲れたのですか?」
そんなわたしを、ガイが引き寄せた。わたしは彼に体を預け、気になっていたことを口にする。口調がどこか、彼に甘えるようなものであることを、自分でも気づきながら。
「王子さまは、わたしをお嫌いなよう。気に入らないのかしら? わたしが、彼のガイをとってしまったから」
「あははは、お嬢さん。僕は王子の所有物でないですよ。おかしなことを言う」
夕日が雪を照らす。そのはね返る光は思いの他まぶしく、馬車の窓から差し込んだ。
「だって、ガイとはとても親しそうだったわ。なついているというか……。そのあなたが、いきなりわたしと結婚したのが、面白くないのじゃないかしら……」
ガイはなぜかそれに首を振る。少し笑う。彼にとっては長らく我慢していた煙草を取り出した。吸っていいかと、断りを入れてから火をつけた。
窓から差す光に、彼の吐く紫煙がきれいな靄を作った。そんなものが光のために幻想的に見えた。
「癇はお強いが、とても明朗な少年ですよ」と、ガイは王子さまのことを説明する。
「王子は、あなたが気に入らないのじゃない。きっと大層お気に入ったのでしょう。だから、満足に話すこともできず、もじもじとうつむかれていたのだと思いますよ。いやはや……、僕は王子という方を非常によく存じていますが、今日のようなご様子は初めてだ。正直、驚いているのですよ」
「嫌だ、冗談ばかり……。嫌なガイ」
わたしはふくれて彼から顔を背けた。わたしの気詰まりな気持ちを、そんなことを言ってからかうのだ。
彼の指が、わたしの垂らした髪に触れる。指にくるんと絡める気配がする。
「ねえ、お嬢さん。僕はしがない学者でしかない。方や王子は、皇太子でいらっしゃる。あなたは僕で我慢してくれますか? してくれるでしょう? ねえ、それとも王子のミストレスがいいの? ねえ、お嬢さん」
「おかしなことを、言わないで」
彼のからかう言葉に、益々わたしの機嫌が斜めになっていく。つんと尖らせたわたしの唇を、彼の指がなぞる。その指が顎をつまんで、簡単に向きを変えるのを少し拒んだ。容易くキスを許したくなかった。
ガイが煙草を灰皿に押しつぶし消した。
「拗ねているの?」
普段よりきつい力で、あっさりとねじ伏せるように唇が重なる。啄ばむように重ねるそれは少し激しい。

「あ」
ややして微かに唇を話した彼が、つぶやく。
「明日、満月になるようです。気持ちがざわついてどうしようもない。こんな乱暴な僕を許してくれますか?」
彼の告げた言葉。
それがわたしの胸を、確かにえぐった。鋭いその切っ先に、息が止まる。
凍ったように動かない。
再び口づけが始まった事実さえ、どこか遠い。



サイトのご案内、トップページへ♪         

『甘やかな月』ご案内ページへ

お読み下さり、ありがとうございます。
ご感想おありでしたら、よろしければにメッセージ残して下さると、大変嬉しいです♪

ぽちっと押して下さると、とっても喜んでます♪