集う人々

ペンション〜グリーン〜に偶然泊まり合わせた人々について





「こちらです」
客室には、カーペット敷きの八畳ほどの空間に、小さなテーブルを間に挟んでシングルベッドが二つ置かれていた。ベッドヘッドは部屋の割には大きく取った窓を向いている。他には二人がけ程度のソファ。
そしてユニットバス。
亮はこの手の風呂が苦手だ。洗い場も脱衣場もなく、落ち着かないし、入った気がしない。
「トイレは廊下にもありますし、お風呂は、一階に大き目なのがありますから、よろしければ、そちらもお使いください。24時間いつでもどうぞ」
これを聞いて嬉しくなった。さっそく入って、湯あがりにビールでも飲もう。
現金なもので、疲れが取れたような気がしてくる。
篤子ちゃんが女性に尋ねる。
「お風呂、男女、別れてますか?」
「ごめんなさい。別れていないんです。うちは普通のペンションですけど、カップルのお客様にうるさいことは言いませんから。ご一緒でもいいですよ。不安なら、入っている間は貸し切りにしますけれど」
女性の言葉に、篤子ちゃんはぶるぶる首を振った。
「彼じゃないんです」
「まあ」
ぐっと砕けた様子になった女性が、「じゃあ、いい機会にするといいわね」
などと言って笑った。
亮はベッドに腰掛けて、そんなやり取りを聞いていた。
どっちでもいいじゃない。誤解されたって、どうせ、明日には出て行くんだから。
朝食の説明をして女性が出て行くと、亮はまだ「彼」にこだわる篤子ちゃんに、家に電話をかけるように言った。
予定より遅くなり、連絡を入れておかないと。みーくんも不安に思っているだろう。
「うん」
篤子ちゃんが自分の携帯を出して、電話をかけた。
みーくんが出たのだろう。
彼女が今日は帰れないこと、仕方なく近くのペンションに泊まること、大きなお風呂に入りたいのに、男女が別れていないから入れないことなどを、どこか甘えた声で話した。
しばらく話して、彼女が亮に電話を渡す。
耳に当てると、みーくんの声が聞こえた。『どう? 道路の様子は』
明日には何とかなるかもしれないけど、何とかならなくても高速道路を使って帰る、と告げ、
「こんな超過労働だとは思わなかったよ。時間外手当はくれるだろう?」
みーくんがちょっと笑った。
『悪かったよ。埋め合わせはするから。篤子ちゃんのこと、頼むな。それと、河村の家に電話かけろよ。僕も言ってはあるけれど』
「みーくんが言ったのなら、いいよ。兄貴が出たら、うるさいし」
『かけない方が、うるさいぞ』
ここで、また笑う。しょうがなく、亮はうなずいた。
電話を彼女に返し、渋々とポケットから携帯を取り出した。
自宅にかけると、兄嫁が出た。簡単に今夜は帰れないことを伝えておく。みーくんから連絡がいっていて、こちらはわかりが早い。
早すぎて、
『ねえ、亮ちゃん。わかっているだろうけれど、可愛くても、篤子ちゃんは人妻よ。ふふふ、大丈夫よね?』
からかうような、面白がっている兄嫁の声。
ゆり姉ちゃんの余計なところはこういうところだ。
亮は「つまんないこと、言わないでよ」と、むっつりと返し、電話を切った。
 
 
亮が風呂から上がると、ラウンジのコーナーには数人の宿泊客が浴衣姿で寛いでいた。
銘々にビールや好きなものを飲んでいる。
その中に、これまた浴衣に着替えた篤子ちゃんが交じっていた。
亮に気づき、手招きする。
「お風呂の後、部屋でテレビを見ていたら、誘って下さったの、飲みませんかって」
「ふうん」
亮は彼女の隣りに座り、渡してくれたビールの缶を開けた。「飲み物は、あちらの、藤堂さんがご馳走して下さったの」と彼女がささやいた。
亮の斜め前の人物らしい。恰幅のいい初老の男性。
亮は彼に「いただきます」と礼を言ってから口をつけた。
「ああ、どうぞ。好きなだけやって下さい。こんな日に同じ宿にめぐり合ったのも、何かの縁でしょうから」
朗らかに笑った。
藤堂さんの隣り、亮の向かいには、三十半ばといった男性。「深沢だよ。医薬品の営業をしている」と言った。眉の濃いきりりとした顔立ちの人物だ。
「H県に向かうところで引き返してきた。まったく、参ったよ」
「わたしも、同じだ。ゴルフの帰りだった。ああ、これは駄目だと、早々にあきらめましたよ」
藤堂さんの言葉を受けて、一人掛けのソファに掛けた二十代後半から三十代の始め頃といった女性が、香坂ですと名乗った。
「わたしもそうね。I県に行く途中で、立ち往生したの。急ぐこともないから、こちらに」
美人の部類に入るだろう。少し気だるい様子で話す。
それに、篤子ちゃんが、
「あ、わたしたちも、京都からの帰りでI県に向かっていたんです。すごく晴れていたのに、夕暮れから急に天気が崩れて」
亮を見て、「ねえ」と促す。
「明日は、何とかなるかな、道路」
「早いうちは無理でしょうね。様子を見てきたけれど、倒木やらがれきの撤去やら、大掛かりですよ、あれは」
香坂さんの向かいに座る男性が応じた。四十歳前に見えるが、短く刈った頭にはまばらに白いものが混じる。口髭が印象的だ。
自分は、このペンション〔Green〕のオーナーだと言った。
「秋が深まると、もうこの商売は開店休業ですよ。こんな時期に満室になるなんて、もう、嬉しくて。これは、皆さんとちょっとお話でも、と」
心底嬉しげに語る。
それは、いいが。なぜか宿泊客と見紛うなりをしているのがおかしい。
同じ気持ちなのか、香坂さんがくすりと笑った。亮が彼女を見ると、瞳が合い、ほんのりと微笑んだ。
 
 
煙草を取りに一旦部屋にもどった。
再び階下に下りると、どっと笑い声が起きていた。アルコールも幾分か回り、和やかなムードになったようだ。
「まあ、どうぞ。遠慮せずに」
オーナーが亮に缶ビールのプルトップを開け、勧めた。
「どうも」
確か、ビールは向かいの藤堂さんが奢ってくれていたはず。それをオーナーが客に勧めている。まあ、藤堂さんも気にしていないようではあるし。
「うちのがお邪魔じゃないでしょうね?」
奥のドアから、トレイを持ったオーナー夫人が現れた。「どうぞ」と、酒のつまみや夜食などをテーブルに置いた。
チーズや一口サイズのミートパイ。フルーツにカナッペ。サンドイッチにおにぎり。
「あなた、お客様に、ご迷惑にならないようにね」
オーナーに言い、夫人は「ごゆっくり」と奥の部屋に消えた。
それぞれトレイに手が伸びた。亮はサンドイッチを頬張った。
夫人の料理の腕はいいらしい。明日の朝が楽しみになる。
 
会話がさまざまに変化した。
篤子ちゃんが京都行きのいきさつを話せば、「二人はカップルじゃなかったの?」と驚きの声が上がる。
深沢さんは自分が営業で回った病院での怪談を披露し、篤子ちゃんと香坂さんが、寒そうに腕を抱えた。
これに対して、オーナーが以前宿泊した珍妙な客のことを話した。おかしな話で、皆が笑った。
ビールをウイスキーに替え、ちびりと舐めていた藤堂さんが、「おかしなことを言うおやじだと思われるかもしれませんが……」
不意に、こんな前置きをした。
亮はビールをぐびりと飲んで、彼の方を向いた。誰もの視線がそちらを向いた。
藤堂さんが言葉を継いだ。
彼は謎解きの話には目がなく、これまで海外国内の多くの推理小説を読んできたという。
                        「ミステリーのファンなんですね」
篤子ちゃんが受けた。彼はうなずいた。
「私は小さな町医院を営んでいます。小説とは違い、実際には平々凡々の毎日ですよ」
今回、土砂と事故にやられ、我々は偶然このペンションに居合わせた。まず日常では、こんなことは起こらない。
「それが、起こった。お急ぎの皆さんには申し訳ないが、実に、胸が躍る設定でね、私には」
そこで彼は、ちょっと照れたように笑った。
できたら、些細なことで構わないから、身の回りに何か謎みたいなものがあれば、話してもらいたい。
そんなことを、藤堂さんは言った。
しばらくの沈黙の後、煙草を吸っていた深沢さんが、
「面白そうじゃないですか」
と言った。ただ漫然と世間話をするより、いいじゃないかと。
オーナーも、そうですねと、うなずいて髭をいじった。もうネタを思案しているのかもしれない。
香坂さんも、
「お話しするようなことは、ないわ。でも、聞いてみたい」
篤子ちゃんも異存はなく、亮にだって、異論はない。
僕なら、あれを話すな。
すんなり意見がまとまった。藤堂さんは、ありがたいと顔をほころばせた。
「じゃあさっそく、俺から話そうかな」
深沢さんが、煙草の火を灰皿でもみ消した。
どこか、楽しそうに見えた。



          

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