ふわり、色鉛筆
18
 
 
 
頭の中は、いろいろ詰まった籠をひっくり返したように散らかっていた。
沖田さんの腕をほどき、わたしは、彼に背を向けたままでいる。この場から急いで出て行かないと、取り返しのつかないことになりそうで、怖かった。
そう思うのと同時に、今のこのときを失ってしまうことも、堪らないくらいに惜しいのだ。ふらふらと、あっちにこっちに、心が揺れるのが、自分にもわかる。
互いに引くように、二つの反対の感情は、それでもバランスを保っているのがおかしい。
「…嫌なら、今のは、聞き流してくれ」
 
え?
 
ちらり、と声に彼を振り返れば、目を伏せ、さっきわたしを抱きしめていた腕を持て余すかのようにぶらりとさせている。
「心配するな、お前の迷惑考えないで、強引にどうこうする年じゃない」
わたしの沈黙は、彼には長く感じたようだ。背を向けてもいた。拒絶と取られてもおかしくない。
返事が出来なかった。声が出なかったのだ。
代わりに、指を伸ばした。だらりと垂れた彼の手に触れる前に、ケイタイがメールの着信を告げる。それにはっとなり、バッグを探った。
デジタルの時計が、終電まであと三分と告げていた…。
「あ」
三分では既に無理だ。このマンションすら、急いでも出られるか怪しい。しまった、としかめっ面をしたわたしの頭に、ぽんと彼の手が置かれた。
「家まで送る」
「ごめんなさい…」
申し訳ないが、断れる理由がない。もう帰る手段がないのだ(タクシーという手もあるが、お金がない)。
財布くらい取ってくる、と彼がリビングへ戻る。すぐに問って返し、軽くわたしへ笑顔をくれた。
「これまで通り、何かあったら連絡しろ、いいな? いつかの『チンコ』に用が出来たとか、あの変態シャチョーにつけられたとか、ああ、BLの濡れ場のソフトな絡め方とか…、何でもいい、な?」
上の二つはともかく、最後の一つを沖田さんに相談しても、何の解決にもならないだろう。そんなことを小声でぶつぶつ返した。
聞こえないのか、彼は何も言わず、ドアのレバーに手をかけた。わたしを外へ促す。
何となく、何となく、
心が、わたしの中で懸命に足掻いているようで、切なかった。
ぽんぽんと出た、あけすけな言葉の裏にこそ、羞恥があるのかもしれない。でも、そこに、彼らしいいつもの優しさが透けている。
均衡を保って、ぶらりぶらりと揺れていたはずの心が、彼へ傾いでいく。
冷静になれ、身軽な昔とは違う…。抑えが、ちらちらと頭をかすめはする。でも、理屈では止められない。
 
ねえ。
 
それは、心が発した声だ。「ねえ」と。
胸の中でそう、沖田さんを呼んでいる。もう一度、何か言ってほしい。熱のある声を聞かせてほしいのだ。そうせがむように願いながら、唇をそっと噛む。
だったら、
わたしは、多分、
きっと…。
ドアががちゃりと音を立て、滑らかに開いた。そのとき、近所の人だろう、廊下から抑えた声が届いた。「もう靴はいちゃった、自分で取ってきてよ」。
 
え。
 
何のことはない、生活の音と言っていい声だ。それが、不思議と耳に残る。
 
「〜自分で取ってきてよ」。
 
思わず、外へ出る沖田さんのシャツをつかんでいた。
「どうした?」
振り返った彼へ、衝動的にわたしは自分から身を寄せた。紺のシャツの背に、額を当てる。そのシャツの匂いに、昔を思い出すのだ。寒さか何かで、彼のスーツの上着を借りて羽織ったことがあった。そのときの匂いなどが、鼻の奥につんと、時間だけではない様々なものを経て、こんな今、甦るのだ。
変な感じ。
つながっているような気がした。沖田さんと、これまでの時間と、そしてわたしとが。
 
「ねえ」
 
仮に、ここで彼への気持ちを抑え、やり過ごす。その後、身もだえして悔み続けるのが、分別なのだろうか。
分別って、何だろう。
敷かれた、あるべき道を外れずに行くことかもしれない。その上を歩んでいる以上、後ろ暗いことなどない。でもそれが、あるとき、本音とは違うと気づいたら? どうしたらいいのだろう。歩くことすら苦痛になったときは?
それでも、自分を縛り、心の声から遠ざけ、上辺を取り繕い続けなくてはいけないのだろうか。
一度しか、チャンスはないのだろうか。
ドアが閉じる音がした。
彼が振り返ると同時に、わたしを再び抱きしめた。
「何とかしよう、二人で考えよう」
こんなに密に、彼の言葉をわたしは聞いたことがない。まるで、こちらの途切れない逡巡を手のひらですくったようなものだった。
その声の実感のある響き、心強さに、不覚にも涙が出た。まただ。涙もろい女では決してないのに…。
知らず、わたしは一人で気負っていたのだ。夫に「しっかりしてくれよ」と投げるように言われ、実際、しっかりするよりなかった。もがくように日々を送るこれまで、ほしかったのは、きっと励ましでもなく、ねぎらいでもない。
手をつなぐように、肩を抱くように。夫婦だからこその、共に頑張ろう、乗り越えよう、という姿勢や声だったのだ。それは、叶えられなくても、気休めでもよかった…。
ただ、ほしかったのだ。
「一緒に頑張ろう」と。
涙をしまうまでに、どれほどかかっただろう。その間、沖田さんはわたしの髪をなぜ、「大丈夫」と言い続けてくれた。どうでもいいが、レンタルショップで借りた、総司の好きな『バカ殿』のDVDを返さないと…、と妙なことを連想し、何とか涙は止んだ。
手の甲とハンカチで涙を始末した。赤いだろう目が恥ずかしく、彼から顔を背けた。なのに、じろじろとこっちを見るのが、照れ臭い。沖田さんの中では、わたしは雑で適当な印象があるはず。彼の前で、こんな風にじくじく泣いた記憶はない。
「何?」
気恥ずかしさで、ぶっきらぼうな声が出る。問いに、沖田さんはちょっと首を振っただけだ。
「ねえ、何?」
重ねて問えば、渋々といった口調で、ぼそっと返しがくる。
「可愛いな、と思った」
「はあ?」
何を言うかと思えば…。互いにいい年をして。あきれが混じるおかし味と、恥ずかしさがじわじわと頬に上ってくる。
「「はあ?」じゃねえよ」
照れ隠しのように、そこで「送る」と、わたしを促した。拍子抜けした気がしたが、ずるずるといつまでもここにいる訳にもいかない。今度こそ、ドアの外に出る。
話すことはたくさんあるはずなのに、どうしてかためらわれた。数歩遅れるわたしを、エレベーターの前で沖田さんは振り返って見た。ほどなくやってきたエレベーターは無人で、彼が手の中でもてあそぶように持つキーの音が、その中で高く響いた。
不意に、ポケットにキーを入れ、その手でわたしの手首をつかんだ。滑らせるように指を握る。
それに、ちくちくと胸が痛い。
「指輪しないんだな、お前」
え?
問うように彼を見た。彼の言う指輪とは、結婚指輪のことに違いない。家事に邪魔で、いつしかしなくなった。元々、指輪をするのも好きではない。
「しなくていい」
彼は、わたしの左の指を束ねるようにぎゅっと握った。封じているみたいだと思った。
それが、胸に痛い。ちくんと。
ときめいて、痛い。
 
言葉を交わさないまま、地下の駐車スペースに着く。
自分の車の傍らで、沖田さんは施錠を解きながら、不意に口を開いた。
「俺も、もう若くない」
「そうだね」
「そこ、否定しろよ。形でも」
「はは、つい本音がね」
顎で、乗れ、というように助手席を示した。乗り込んですぐ、彼の声がほんの傍で聞こえる。
「無駄に時間を使いたくないんだ」
恋愛についてのことだろう。忙しい人であるし、自分で言うように、若くもない。これからのために、遊び弾を撃ちたくないのだ。
相槌を打ちがたく、エンジンの音を聞きながら、黙っていた。車がマンションを出る頃に、わたしはよくやく口を開いた。訊きたかった問いだ。
「…なら、わたしでいいの?」
「いいも何も、お前しかいないからな」
軽い返しだった。お相手に困っている風には、とても見えないのに。新品ばかりが並ぶ店先で、物好きにも、なぜか倉庫の中からシーズン遅れを選ぶようなものかも…。やや自虐に、そんなことを思ってみる。
 
「ずっと好きだった、昔から」
 
ほろりと。
何でもないことのように言うのだ。ちらりと、わたしへ視線を投げ、「知らなかっただろ?」とつなぐ。
こんな大きなことなのに、ちょっと笑って、おかしな話でもするみたいに。
「お前は、コンビニに鯖寿司があるかどうかしか、気にしてなかったもんな。俺らのことなんか、本気でギャラリーだったよな」
鯖寿司…。わたしは、馬鹿か。
自分も、その告白も茶化しながら話す沖田さんを眺めた。前を見る彼と目が合う訳もなく、わたしの視線はやや逸れた。ハンドル脇に下がるキーリングが、義兄のと同じものだと、どうでもいいことに気づく。
「…知らない」
手が、行き場を求めて、膝のバッグの取っ手をつかんだ。くしゃくしゃと握る。
ふと、耳の辺りに彼の指が触れた。少し、髪をふわりともむようにいじって離れた。
「一緒になるなら、本当に好きな相手がいい」
告白は、ひどく心に響いた。じんと胸の奥が熱くなるよう。嬉しかった。とても、とても…。
その感激は、確かに気持ちを昂ぶらせるのに、わたしの探れないどこかが、かすかに、ほっと安堵しているのだ。最後の空いたピースが、ぴたりと隙間なくはまってしまうのに、ちょっと似ている。そうあると信じていた未来が、お約束の不安や焦れの後で、やはり、やってきたことに。
自分の背負ったものを顧みず、思い上がりと知りながらも、今に妙に納得してしまっている自分もいる。
この人、だったのだろうか…。
なんて、ね。
「嬉しいけど…」
そう前置きし、わたしは静かに深呼吸してから、家庭のことを持ち出した。それは、この人とつながっていたいと思い以上、避けられない問題だ。
沖田さんが、そのことをどう捉えているのか、それが知りたい。「一緒になるなら…」との言葉には真剣な意味を感じる。
でも、もし、彼が、単純に恋愛のみを望むのであれば、わたしはどう応えたらいいのだろう。きれいに拒絶してしまえる自信がない。
馬鹿だと思う。汚いと思う。
つないでくれた手や、抱きしめてくれた腕が、
こんな傍にいながら、わたしは恋しいのだ。
信号待ちで、車が止まった。しばらく走ったように思う。ここはどの辺りだろう。土地勘がないからわからない。
窓から暗い外を眺めれば、街灯に、もう閉めたテイクアウト専門の餃子店が見える。彼のマンション近くの店舗で、お土産に買ってもらったことがあったっけ。どこでも見かける気がするから、かなりスピーディーに店舗展開しているらしい。
店の脇に、沖田さんが車を乗り入れて停めた。「喉乾かないか?」と身軽に車を出、自販機で飲み物を買ってきてくれた。
「ありがとう」
互いに言葉を切り、ちょっとペットボトルのお茶を飲んだ。
歩道の向こう、通りでは、「わ」というほどに速度を上げて走り抜けていく車がある。
「雅姫、別れる気はあるのか?」
不意に問われ、わたしは返事に戸惑った。
わたしは、夫と離婚することを考えたことはなかった…。
それには、総司の存在が大きいだろうし、いつか何かのきっかけで、夫が前の夫に戻ってくれるのではないかと、発芽率の低い種でも育むように、そんなことをまだ、どこかで考えているのかもしれない。
夫にうんざりすることもしょっちゅうだし、いらいらもしてきた。不甲斐ないと唇も噛むし、先の見えない我が家の将来が、情けなくなる毎日であるのに。
愛情ではないと思う。それは、未練に近い。どんな今であれ、わたしという存在を裏付けているものだ。それが変わってしまうことへの、恐れ…。
沖田さんは、返事の遅いわたしを責めるでもなく、待ってくれる。ほどなく、落ち着いた声で、
「やり直したいなら、アドバイスくらいは、できるぞ」
ためらうのなら、止めた方がいい、と言う。まだこちらへ「逃げ」を示してくれるのだ。同時にそれは、彼自身への保身でもあるが…。驚きも、腹立ちもない。大人であれば、して当たり前の処世だと思う。
ただ、同じ口が、「ガリガリ君」だの「うまい棒」だの連呼していたとは信じがたい。
「生半可に稼ぐな。それが男を甘えさせる。きつい言い方だが、子供がひもじがれば、さすがに動くだろ。責めるのは酷だが、原因はお前にもある…」
返事の代わりに、ばこんと腕をぶってやった。グーで。
優雅なシングルの彼が、偉そうに指摘したようなことは、実は幾度か感じたことがあるのだ。だから、腹が立ち、引っかかりもしたのだろう。
なら、何ができたのか。
もっと賢い、もっと人間のできた女なら、うんと上手い対処の仕方で、乗り越えてこられたのかもしれない。
でも、わたしには、あれで精いっぱいだった。漫画を描くことを思いつけなかったら、もっと状況は悪かったかもしれない。振り返っても、ぞっとする。
沖田さんは「生半可に」稼ぐなと馬鹿にするが、同人を再開したことは、生活の糧のためであり、かつての夢の続きでもあるが、現実からの逃げでもあったのだ。
「馬鹿」
吐き捨てるような、可愛げのない「馬鹿」だった。それに沖田さんはちょっと笑い、
「お前は、千晶とは違う意味で、ガッツがあるし、俺なしでも、これからも、何とかやってくんだろう…」
「千晶とは違う意味」のガッツというのは、どうせ、真摯に漫画に向き合う彼女の姿と、好きな漫画すら、さもしく暮らしの手段にしているわたしとの比較だろう。
「でも、そんなお前は見たくない」
と、彼の指が、わたしのややこわばった頬をぽんと打った。それに、ペットボトルに落ちていた目を上げる。
「俺の好きな雅姫じゃない気がする。多分、違った誰かなんだろう」
「ひどい」
つい、非難の声が出た。家庭を捨てられないのなら、彼は、わたしをもう好きではなくなるという。思わぬ動揺に、瞳が潤む。薄い闇の中、彼をにらんだ。沖田さんは、その目をやんわり受け止めて見返す。
でも、
ひどいのは、わたしの方。
「若くない」と内省し、だからこれからを「無駄にしたくない」と、彼は最初に言ってくれている。先の明言はないものの、「一緒になるのなら、本当に好きな相手がいい」とも告げているのに。
なのに、わたしがのらくらと変化を恐れ、未練がましいのだ。
 
ほしいのは、何?
 
「嫌」
ふと声が出た。また、今度は意味もなく、彼の腕をぶつ。やっぱりグーで。
彼は幾度か自由にさせた後で、わたしの手首をつかんだ。「おい」と、言う。怒ったような、それを堪えているような低い声だった。
「雅姫」と呼ぶ。
「あんまり、外れたことを言わせるな」
「え」
「どうだって、お前がほしいんだ、本音では。今、手放してしまえる自信がない」
つかまれた手首に、痛いほどの力を感じる。
心に気持ちのスイッチがあるのだとして、それは、きっとこんな瞬間に入れ替わるのではないだろうか…。
カチッと。
自分から、つかまれたままの手を引き寄せていた。それを受け止める彼は、手首をほどき、わたしの顔を上向かせる。両の頬を手のひらで挟んだ。
まなじりは涙でぬれている。それを彼が、指先で拭う。
「腹は、決まったか?」
「うん……」
返事をしたことが、次への扉を開かせたのか。同じ自分、同じ景色に見えるのに、おそらく、わずかな過去とはもう違う…。
ほとばしるように、唇から不安がこぼれ出す。他でもない、総司のことだ。
「子供を離したくない。絶対に」
「わかってる」
声にためらいはない。なのに、物足りないのだ。身勝手にも。だったら、どんな答えがほしいのか、自分にもわからないくせに。
だから、急いて問う。
「本当に?」
「ああ」
「大丈夫?」
「うん」
「簡単に言ってない?」
「言ってない」
「絶対?」
「約束する」
矢継ぎ早に念を押すわたしに、彼は苦笑し、「俺に、理想の父親役が務まるかは別として、努力はする」と言ってくれるのだ。
彼が何気なく使った「父親役」という言葉は、こそばゆく耳をなでる…。
それが、こんなにも嬉しいのに、ありがたいのに。
心の奥が気がかりに揺れる。どんな素敵な輝く約束をしてもらったとして、それが適えられるとは限らない。そんなこと、いい年をしているのだ、身にしみていた。
沖田さんはわたしを見つめ、こちらの気持ちの裏をのぞくようなことを言う。
「信じてくれ、としか言えない」
わたしはそこで、ふと頭を下げた。
「お願いします」
祈るよう、願うよう。
これくらいしか、できない。不安は大きい。そして、それはいつか消えるのではなく、徐々に、違った何かに変わっていくのだろう。自分の手で、そうしていくもの。
いつもの彼らしく、「わかった、任せておけ」くらいが返ると思ったのに、わたしのそれに倣い、彼もが「こちらこそ」と頭を下げるから驚いた。
目が合う。何だか、間が抜けていておかしかった。緊迫した雰囲気の幕間。互いにちょっと笑う。
「帰るろう、すまん、遅くなった」
「ううん…」
ほどなく、彼が車を車道へ戻した。滑らかに走る中、ごく何気なく問う。
「ボウズだったよな。子供の名前は?」
当たり前の質問だ。これまで、なかったのが不思議なほど。しかし「来た」と、気まずさに身構える。
「言いたくない」
「は?」
「沖田さん、笑うから」
「笑わないって。凝った名前多いだろ、今時分。そういえば、お前、昔も実家の寺の名前言うの、嫌がってたよな、面白がるからって」
「よく、そんなこと覚えてるね」
「ショーリンジだ」
わたしの実家は、寺をしている。父が住職を務め、姉の夫の義兄が、その後継ぎとして副住職となっていた。しかし、相変わらず、彼の発音はおかしい。いつかの「シャチョー」と同じじゃないか。
「省倫寺!」
「それそれ」
何が、それそれだ。完璧「ショーリンジ」だったくせに。まあ、それはいい。
「隠すことじゃないだろ、言え」
「うるさいな」
「うるさくねえよ」
昔の実家の件とは違う。さすがに秘密という訳にもいかない。わたしは声を潜め、「総司」とささやいた。
「はあ?! 聞こえない」
もう。
「だから、総司」
ついでに漢字も、有名なあの歴史的人物と一緒、と教えてやった。言い捨てて、ぷいっと彼とは逆の窓へ向いた。絶対笑う。「お前、にわか幕末BL描きかと思ったら、根っからの腐女子だったんだな、憧れの美剣士様の名前を子供に託すなよ」とか、言うはず。
ああ、むかつく!!
笑って馬鹿にされる前に、こっちから言ってやる。
「馬鹿」
あるはずの反応がなく、隣りを見る。沖田さんは、面白がる様子もない。尋常にハンドルを握りながら、ちょっと噛みしめるかのように、繰り返しつぶやいていた。「オキタソウジ」と。
へ?
わたしの視線を感じるのか、ちらりとこちらを見る。「ああ」と、なぜか、やや照れたように笑みを見せるのだ。解せない。
「何かな、運命的だな。そう思わないか? ボウズの名前、俺の姓と引っ付いたら、ズバリ『沖田総司』だろ。腑に落ちるっていうか…」
 
そっちかよ。
 
「縁があるんだな、お前とは…。『歴史の修正力』がちゃんと働いて、子連れでも、俺のところに戻って来るっていう…」
 
あんたは、『JIN』か…。
 
どんなパラレルワールドで、わたしは生きてきたというのか。
「そうか、総司か…」
ちょっと歎ずるようにつぶやくのだ。
そこで、突っ込みたいのを我慢していたわたしが、堪え切れずにふき出してしまった。いや、だっておかしい。長年少女漫画で食べていた人だから、きっとおつむも、乙女色に軽くカラーリングされているのかも…。
「何だよ?」
「ううん、…何でもない」
さすがに「脳がピンク色だね」と突っ込むのもためらわれる。適当に、目に入った、歩道を犬の散歩に歩く人の話題にすり替えた。
「犬の胴に腹巻がしてあった。トラ柄の…。すごいセンス」
「…ふうん、病院で、腹でも切ったんだろ。俺も、でっかい『ポンデライオン』みたいなのと遭遇して、びびったことがある」
「『ポンデライオン』…」
笑うことで気づく。
自分が、しばらく笑っていなかったことを。総司の前でする、作ったような笑みは別として、けらけらとこんな風に笑ったのは、いつだったろう…。
笑いが引いた後で、
「なあ、雅姫」
「うん?」
「お前といると、面白いな」
 
こっちかよ。
 
それにも、突っ込みたいが。
 
沖田さんといると、やっぱり楽しい。





          


『ふわり、色鉛筆』のご案内ページへ


お読み下さり、ありがとうございます。
ご感想おありでしたら、よろしければ メッセージ残して下さると、大変嬉しいです♪

ぽちっと押して下さると、とっても喜んでます♪