好きだと云った。返事は、なかった。
祈るひと(18

 

 

 

『返却物』とスタンプの押された封筒は破いて捨て、中の便箋だけを取っておいた。

文机の引き出しに仕舞ったそれを、次の手紙を書くときに写そうと思い、けれども、いざ書こうという段になって、結局わたしは前の手紙を細かく破いてしまうのだ。

これは、これを書いたそのときの彼への気持ちの羅列であり、似てはいても、今とは違う気がしたのだ。そのまま写すことは、何だか夕べの食卓に上ったお菜を、翌日、冷たいまま器だけ変えて朝食にしてしまうような、そんなちょっと味気ない感じがしたから。

そんなものに切手を貼り、彼へ届けたいのではない。

わたしが書き直した手紙に封をし、再びポストへ落としたのは、先の手紙が返ってきてしまってから二十日以上も後になる。十月の初めになった。

霧野中尉は、おそらく軍のお仕事で他出しているのだろう。以前にも、東北など遠く行っていた。しばらく滞在があって、そういう場合あちらの決まりでは、民間人との接触は絶たれてしまうのかもしれない……。

そう考えることに、何の障りもなかった。

わたしは簡単にそう信じ込み、二度目の手紙の返しを待った。

読んでくれるだけでいい。彼のそばにそれがあるだけで嬉しい。その思いで綴った手紙でも、裏腹に、心を弾ませて、わたしはやはり返事を待つのだ。

筆不精だといい、手紙下手だという彼は、間を置いたとしても、それでもわたしに返事を届けてくれたのだから。

 

残暑が長く続いたが、衣替えを行えば、暦の移ったのがはっきりと知れるほど空気が冷え出した。庭先の緑がうっすらと色を変え、また葉を落とす。

秋口から、我が家は家の表を作り変える工事に職人を入れた。呉服商『成田屋』の大看板を外し、店舗となっていた場所を壊すのだ。壊したところに玄関と、これまで店の二階にあった女中部屋を新たに設けることになった。それでも開いてしまう場所は、何でもの一時置きの物置になった。

蔵の在庫ざらえをしたのも職人衆が入ったこの頃だ。店を閉めたことで多くの反物や既製品の余りは、暖簾を譲った元の大番頭の店に移すことになった。

どういう気持ちの働きか、その際、母は、本来もらうべき品物の値を大番頭から受け取らなかった。長く裕福な大店の奥方であったのんきさもあるのだろうし、成田屋の暖簾を受け継いでくれる彼への篤い祝儀の気持ちもあるのかもしれない。

わたしは母とは異なり、潔く割り引いてやったとしても、相応の支払いは受けるべきだとの考えだ。母のやり方へ、やや不満の目を向けたらしい。二人になれば、「あんた、お父さんとおんなじ眼をするのね」と笑った。

幾ら余裕があろうと、今後は収入などないに等しい。父に遺してもらった数多の株券・預金、今は頼もしくも思えるが、そういったものも増えはしない。

身上がこれから、減っていく一方という心細さがあった。それはぬくぬくと厚く重ねていた着物を、何かの都度都度、一枚また一枚と、脱がされていくような心地に似ていた。

また、母の大盤振る舞いをやや悔やむのには、このそろばん勘定とは別な思いもあるのだ。大番頭も成田屋の暖簾を譲られ、これからは一個の商人となった。その彼へ、元主とはいえ、祝儀気分で値引きをしたとしても、取引には、商品の値にそれなりの対価はもらうべきなのではないか。

わたしのこの意見に、母はちょっと目を丸くし、

「お父さんと、言うことまで似てきたわね」

などと笑って済ませてしまう。わたしに意見は認めても、母には母なりの考えがあり、譲る気はないらしい。

商品蔵の中には、ぎっしりと品を仕舞ってあった箪笥・長持類がずらりと並ぶ。母が采配をし、その粗方は運び出され、空になっている。

幼い頃、入ってはいけないと注意をされていても、なぜかわたしはここへ遊びに入った。小さないたずらを仕出かし、その都度父にきつく叱られ、泣いたのを思い出す。

わたしは何となくしょげた気持ちになり、すかすかと易く開く引き出しを引いたりしていれば、母が、開け放した蔵の扉から大きな声で女中を呼んだ。

何をするのかと思えば、蔵の奥に隠すように仕舞わせていた大きな行李を別の蔵へ運ぶように指示した。商品蔵とは別に、家内の雑多な物を仕舞う蔵があるのだ。そこには、家族の着物や使わなくなった調度類なども仕舞われている。

「とっておきは、別にしておいたのよ」

母は行李の蓋を開け、一番上のたとうを解き、わたしに見せた。そこには店を閉めるぎりぎりまで飾られていた、新作の友禅の大振袖があった。その下に重ねられている物も、見覚えがある柄が続く。

店に飾る華やかな大振袖は、母が、わたしが着ることを想定して選び、作らせた凝った気に入りのものばかり。実際、特別の出来事には、着せてもらってきた。

行李を改めれば、いつかの宵、霧野中尉に誘われたあの夜会の折りに袖を通した、紫地の友禅が顔を出した。

 

「あ」

 

わたしは、次々と行李の中の振袖に目を移していく。柄や染を指が辿れば、それを着ていた自分、特に、と選んでくれた母。または、装いを凝らしたわたしへ、思いのこもった瞳を向けていた隆一。そして、わたしの姿に目を細めていた父。

それらの面影が、暗がりの蔵の中、まばゆい。過去の影は、日が差して浮かぶ、埃の小さな粒子ちらちらした輝きを思わせる。

「あんたが縫うと思って、男物の地も幾つかいい物を残しておいたわ」

母の言う、わたしが縫うはずの男物とは、中尉へのものに違いない。

あ、と思ったときには、涙が瞳をこぼれ、和紙のたとうの上にぽつんと落ちた。

いつか中尉が言っていた言葉を、どうしてか、こんなとき思い出す。何かを契機に、彼の投げた言葉は、意味を深め、たびたびわたしの胸をつんと揺する。

何かがあって、嫌な生意気を口にしたわたしへ、こちらの頬をぺちんと打ちたいほど面白くなかったろうに、彼はこんな言葉にそれを代えてくれたのだ。

 

『あんたは十分恵まれている。なくす前に気づいた方がいい』。

 

わたしは気づけたのだろうか。

間に合ったのだろうか。

どちらともいえず、どちらにも足りない気がする。

けれども、行李にあふれるほどに詰まった、華やかな振袖を手にしている自分。美しい思い出の彩るそれらに、じかに触れられる自分を、確かに恵まれていると感じた。

 

 

友だちと出かけた映画の帰りだった。着替えのため、自室に入ったとき、それが目に付いた。

誰の配慮か、手紙は文机に表を伏せて置かれていた。わたしはよそ行きの振袖を模様銘仙に着替え、着物の始末に女中を呼ぶ前に、ちょっとくじ引きのような気持ちで、文机の手紙を手に取った。

「あ」

目に飛び込んできた、朱色のスタンプ『返却物』は、引き当てたことなどない、おみくじの大凶や凶の卦のように、胸にこたえた。

やはり封は開けられていない。

一体、戦地へ赴く以外に、一月以上も他出するお仕事があるのだろうか。あるのかもしれない。ないのかもしれない。そのいずれも、わたしにはわからない。

夕飯にはまだ早く、時間があった。

わたしは、居ても立ってもいられぬ気分になり、居間へ向かった。居間には母がいる。その居間へ帰りの挨拶に入ったすぐ後であり、夕飯まではいつも自室で刺繍や本を読むなどしていることが多いわたしに、母はレース編みに落とした目を、「あら」というように上げた。

「電話をかけるわ」

店にあった電話は、工事のときに居間に移してもらってあった。棚の前のそれに立つわたしの背に、母が、

「誰に?」

と問う。電話など、友人宅へ掛けることもたびたびある。普段なら問わないその問いを母がしたのは、わたしの声が自分でもわかるほど強張っているからではないか。

わたしは、ちょっと口ごもったが、結局番号を交換台に伝える際に、母にはばれてしまうことから、細々と口にした。

「両国の川島さんのお宅よ。霧野様のご友人の…」

母は敢えてか、それ以上は問わず、レース編みに目を戻した。ちらりとこのとき、母は返された彼への手紙のことを知っているのではないかと思った。もしかしたら、『返却物』のスタンプが赤い宛名を伏せて、文机に置いたのは、母かもしれない。

交換台につなぎ、名乗り、随分と待たされて川島さんのお宅につながった。けれども、出たのは別な人物だった。彼のところの若い衆かもしれない。

「二代目は、留守です」との言葉をもらい。わたしは伝言を頼んだ。「お電話をいただきたい」と。

電話を切れば、しなやかな仕草で母が指に糸をかけながら、

「こっちからかけ直しなさい。用があってかけるのでしょう? あちらからかけさせるなんて、不精な感じよ」

不精でも何でもよかった。どのみち、肌に刺青を入れているほどの川島さんが、電話をかけるのかけさせるのに、何のこだわりもないように思えた。

電話があったのは、夕飯のときだった。わたしは鳴ったベルに、どきりと胸が躍った。咀嚼中の卵焼きを急いで飲み下し、給仕のお常が知らせる声に、母へちょっと中座を詫びてから立ち上がった。

耳に冷たい受話器をあてがう。まずは、母の言葉通り、電話をかけてもらうことの礼を告げた。

何がおかしいのか、それの返しは声にならない笑いなのだ。小さな笑いが止めば、

『恭介絡みか?』

いきなり、胸の痛くなることを訊いてくる。彼には、わたしが電話するほどの用は、中尉に関したことであろうと、容易に読めるのだろう。それが恥ずかしい。

「ええ、あの…」

出した手紙が返ってきたのだと、わたしは言った。

『郵便なら、事故もあるさ』

「続けて、二度も?」

『え…』

中尉がどちらかへ任務で他出しているのか、問うつもりだった。

それよりも先に、川島さんの声が返った。

『あいつなら、この間、次の休みに、小兵衛爺さんの道場へ、手伝いの稽古をつけに行くって言っていたな』

「あ…」

わたしは川島さんの言葉に声を失ってしまった。

「この間」と、川島さんは言う。「次の休みに」とも。多分、彼は中尉に最近会ったのだ。それでは中尉は、どこにも他出などしていなかったのではないか。そうであったとしても、既に帰京しているのだ。

では、読まれもせず、返された、あの二通の手紙は……?

嫌な思いが、暗く重く胸に広がっていく。

黙り込んだわたしに、川島さんが、何を感じたのか、

『俺は、例のことは言ってないぜ』

例のこととは、山本屋の淳平さんに襲われかけたことだ。わたしは相槌も忘れ、唇を噛んでいた。

『なあ、お嬢さん』

呼びかけにはっとなる。「はい」と返し、彼の言葉を待った。

『恭介が何を考えているのかなんて、あいつにしかわからん、そうだろう? 俺も知らん』

黙りがちなわたしの電話を、部外者の彼が持て余しているのだと思った。わたしと中尉の恋愛のこじれ具合など、彼にはどうでもいいはず。手早く切り上げるつもりで、「わかりました」と、礼を言った。

「それでは…」と、言ったわたしの声に被せるように、『会いに行くんだろう?』と。

『会っても、泣くなよ』

「え」

笑みのにじむ声で、

『あいつは、女を泣かせることが堪えない性質らしい。昔からそうだ。あんたにはどうか知らんが…』

だから、「泣くなよ」と言うのだ。

それを聞きながら、わたしはもう泣き出してしまっている。

なぜ中尉がわたしを「泣かせる」と、川島さんにわかるのだろう。知らないと言いながら、なぜわかるのだろう。

その意味を探りながら、込み上げる苦い涙は止まらない。

『ただ、無駄なことはしない奴だ。あんたのことにしても、それ以外でも…。必ず、あいつなりに真っ当な理由がある』

それを、自分で聞いてこい、と川島さんは言いたいのだろう。

 

彼は、無駄なことはしない。

 

聞かずとも、中尉の答えをわたしは、もう、つかんでしまっているような気がした。受け止めたくない、彼の拒絶を、わたしはどこかで嗅いでいる。

「わたしが、…無駄だと?」

『さあな、恭介に聞け。それで本音を吐くかは、わからん』

それでも、川島さんは「会って来い」と言うのだろうか。それは、このときひどく耳に残酷に響いた。冷酷に思えた。多分、彼にも中尉のわたしへの答のおぼろが、読めているだろうに。

それでも、わたしは中尉に会わずにはいられないのだ。すがるように、彼に会うという、その一事に、自分の譲れない恋を賭けるのだろう。

涙ににじみ、ほんの目の前さえ覚束ないまま、たどたどしい礼を告げ、わたしは電話を切った。

 

 

日の光は強く晴れ、風が肌寒い日だった。

一人で出かけるには母の目があるため、わたしはおみつを連れ、当たり前の刺繍の教室に向かうような振りで家を出た。

言い辛く、恥ずかしくはあったが、おみつに事のあらましを告げ、これから彼がいるはずの小石川の道場へ向かうと打ち明けた。

おみつは新しい銘仙の袖を振り、「まあ」と目を見開いた。

「それで、お昼食も先生にお呼ばれすることになっている、なんてでまかせをおっしゃったんですか。珍しいこともあるものだと、思っていたんですよ。これから小石川なら、どう急いでも昼過ぎになってしまいますものねえ」

「お昼はどこかで、何か食べましょう」

おみつは急な遠出と外食に、はしゃいだ声を出した。

路面電車を乗り継ぎ、小石川まで行く。この辺りは用もなく、滅多と来ない。女学校の下級生の頃、遠足がてら旧水戸藩邸を見物に行ったことがある程度。

家屋が並ぶだらだらとした斜面を降り、降り切った角が目当ての道場であると、巡査に聞いた。

乾いた地面に、風が砂埃を低く立てていく。それで、おろしたての白足袋の爪先が薄く砂色になる。

おみつはわたしの少し後を、用のない刺繍用具を入れた風呂敷を提げ、ついてくる。

稽古着であるから、普段着の銘仙でなくては母の目がごまかせない。今日着た、撫子の散った紺地のそれを気に入りはしていたが、何かもっと華やかな物を纏っていたのならよかったと、と緊張の狭間にそんなことを思う。

ほどなく、目的の道場の前に立った。小ぶりな冠木門の奥に、開け放した道場の玄関が見える。ばちばちとした、聞き慣れない騒がしさが届く。竹刀の触れ合う音かもしれない。

しばらくその場でもじもじとしていた。おとないを求める勇気が、今一つ足りなかった。門をくぐった玄関脇には過去の前栽であるらしいその残滓が伸び放題に茂り、そこここで葉の色を染め始めている。

無造作ではあるが、不思議と雑草もなく、手は入れられているらしい。あの小兵衛という霧野家の爺やの手によるものだろうか。それはそれで、元士族の家風をそこはかとなく偲ばせる、雰囲気のある場所だと思った。

泣かないでおこう。

この日、何度目かの決め事を、ひっそりと胸に繰り返した。

門をくぐり、空いた玄関をのぞく。中はかげりで昼尚暗い。目が慣れれば、小さな体育場のような場に、年のばらついた少年が、十人ほども袴の胴着姿で竹刀を振るっているのが見える。

その彼らの前にこちらに背を向け立つ、同じ胴着姿の大人が、霧野中尉であると気づいた。彼は床に竹刀を付き、少年たちの振る舞いを見ているようだった。

わたしは声をかけそびれ、しばらく稽古の光景を眺めていた。それは時間にして五分ほどのものかもしれない。もしかしたら、それ以上であったかもしれない。久し振りに目にする彼の姿に目を奪われ、時を忘れて、わたしは佇んでいたのだ。

幾らでも、待つつもりだった。またそうしていることが、少しも苦ではなかった。

少年の一人が声を出した。まだ幼いらしく、少女のような声をしていた。その声が「お客さん、先生」と言った。

思いがけなかった。

何の気持ちの用意もなく、不意に彼がわたしへ振り返った。

 

あ。

 

瞳が合う。

邂逅のときめきは、泣くまいと、決めた覚悟を脆く揺さぶるのだ。まなじりに、彼の姿がにじんでいく。

瞬くほどの間、わたしたちは見つめ合い、先に視線を逸らした彼が言い放つ。新聞紙を縦に裂くように易く、

 

「出て行け」

 

まなじりを、また、彼のための涙がこぼれた。

何度目だろう、彼のために泣くのは。




          


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