塗り込めた記憶の、壁に染み跡
祈るひと(36
 
 
 
川島さんが起き上がり、もろ肌を脱いだまま、胡坐をかいて座った。傍の女を振り返り、手で払った。
「出て行け」
追い払われた女が、渋々と腰を上げる。部屋を出て行きしな、わたしへちらりと視線を向ける。女の視線は、以前のあの梅若のようなぎらついたものではなく、「あら」とでもいうような、ちょっとした興味の目だった。
襖が閉まった。
「どうした? 身重のあんたが…」
問いながら、川島さんは着流しへ袖を通した。それでも寛いだ襟から大きく胸へ割れ、目のやり場に困る。
わたしは、前もって知らせもなく現れたことを、まず詫びた。そこで言葉がつまってしまう。
彼を頼りに思い、こんな場所まで押しかけてきたというのに、降ってわいたあの難題を口にすることが苦しいのだ。この期に及んで、いいのだろうか、と迷いもあった。
涙の残りをハンカチで始末し、それを手の中でもてあそぶ。
ためらう、その間の逡巡を、川島さんは、煙草を吸いながら、待っていてくれた。こちらが尋常な状況でないことぐらい、彼も察するのだろう。
「実は、あの…」
ようやくわたしは、我が家に起きたことを、ほぼ語ることができた。
順序も、説明もまずく、わかりづらいものだったかもしれない。すべてを語り終えたとき、それだけで大仕事を果たしたかのような、疲労を全身に感じた。
川島さんは、薄ぺらい紙に目を落としている。わたしが渡した、十万円の今月末の返済期日を記した控えだ。借金取りが、玄関に置いていったものだった。
「望月か、名前は知っている」
「え」
彼は紙をそのまま膝へ落とし、傍らの灰皿へ灰を捨てながら、口元を歪めて笑った。
「香具師上がりの金貸しだ。極道者じゃない。取り立ては荒いだろうが、それは相手が素人だからだ」
川島さんは煙草をくわえたまま、十万円とある金額も、正確ではない、と言い切った。
「山本屋のぼんが、望月から金を借りたところまでは事実だが、十万はない。銀行屋じゃあるまいし、裏の小金貸しにそんな金があるか。せいぜいが、数百円ってところだろう」
「じゃ、どうしてこんな大金を借りたことになるの?」
「実家があの山本屋と知って、利息だ何だのと、吹っかけたのに決まっている。搾れるだけ、搾り取る気さ」
そこで川島さんは、立ち上がった。
「安心しろ、潰してきてやる」
 
え。
 
襖を開き、彼は廊下へ声をかけた。「出かけるぞ」のその声に、野太い返事が幾つか返った。
部屋を出る彼の背に、わたしは声をかけた。大きな問題が解決しそうな安堵の他に、胸には妙な屈託がある。
「あの…」
思い余って、助けてほしくてここへ来たのに。あっさりと解決に手を貸してくれる彼へ、一言では表せない、わだかまりのようなつかえがあるのだ。
彼は、霧野中尉の親友であったという縁だけの人だ。その縁の温情にすがることに、ためらいがある。そのためらいには、いつかの梅若の言葉が重く残るはず。
『涼しい顔して、またすぐ好きに動かせる別な男を見つけるんでしょう』。その言葉は、今も耳に痛い。痛く感じる訳には、理由がある。
自分の言葉で、行動で、相手を傷つけてしまうことが、わたしは怖い。
そして、この川島さんへ、わたしはわずかな期待を芽生えさせていることに気づいていた。その期待は喜びに似て、また、恋にほんのちょっと似ている。
 
その自分の心の脆さが、嫌なのだ。
 
それらを知りながら、この彼にすがらざるを得ない。甘えなくては、立っていられず、前にも進めない。
その事実は、はしたなく、惨めであり、情けなくさえある。唇を噛んだ。
「気にするな」
返ってきた声に、伏しがちになる瞳を上げた。
「蛇の道は蛇だ。任せりゃいい。他に味方もいないくせに、余計な見栄を張るな」
 
あ。
 
川島さんは、やはりやや眇めた目でわたしを見据え、ぷいと、顔を背けた。そのまま部屋を出る。
わたしはしばらくその場に屈んでいた。少しめまいがした。
延べられた布団の乱れたしわに、ぼんやりとした照明、脇の灰皿、女物の櫛がぽつんと卓に残る。半分酒が満ちたコップ……。辺りのしどけない情景にあてられたように、わたしは腰を上げた。
玄関のおみつの元に戻ってすぐ、人々の足音が奥から聞こえた。ほどなく川島さんが、すっきりと紺地の縞の上下に着替え、現れた。
タイは締めず、シャツの襟元を寛がせてある。それだけで偉丈夫な姿には、素人の目をそらせてしまう凄みがあった。
わたしへ目を向け、
「明日にでも知らせをやろう。文緒さん、あんたはもう帰って休んだ方がいい」
「遅くなるのですか?」
「手短に済ますつもりだが、ひょっとして、長引くかもしれん」
「お帰りを、待ちます」
「そうか」
留守役の若い衆に「世話をしてやれ」と声をかけ、そのまま数人を連れ出かけていった。
時計は午後八時に近い。母にはここへ来ることを告げてあったが、もう一度改めて知らせておく方がいいだろう。わたしは電話を頼み、母への連絡を終えた。
悄然とした母の声に、「大丈夫よ。川島さんがお力になって下さるの」と慰めることができたのが、わずか、心にほっとした温みを与えた。
留守居の男がお茶を運んでくれた。冷え出した身体にありがたく、礼を言って、おみつといただいた。
「ねえ、二代目は遅いの?」
畳敷きの小上がりに、所在無くおみつといれば、奥の廊下から、先ほど川島さんの傍にいた女がやって来た。
「知らねえよ、いつになるか」
若い衆がぞんざいに答える。その答え方からして、女の立場が何となく知れる。いつか、川島さんは、何人も情婦がいると言っていたことがある。その何番目かの女なのだろう。
「どうしよう、あたし、帰ろうかな。お呼びだからって、勤め休んじゃったのに」
女はぶらぶらとその辺をうろつき、わたしやおみつに「へえ」といった視線を流し、奥へ戻り、しばらくしてまた出てくると、焼いた餅を海苔で巻いたのを皿に盛って現れた。卓袱台どんと載せる。わたしたちに顎で皿を示し、
「食べなよ。今、若いのが近くで出前とってくれるみたいだけど、この辺の店、おいしくないから」
と勧める。蓮っ葉な風だが、気持ちの優しい女らしい。
わたし自身はどうにも食欲が出ず、おみつには「いただいたら」と、頷いて見せた。空腹だったようで、彼女は三つもぺろりと食べた。
女が帰り、四畳半ほどの小上がりに、おみつと二人になった。続く玄関土間には、留守に若い衆が二人、何やら喋っている。奥にも数人あるようだ。
女が言ったように、ほどなくして、奥の男が店屋物の食事を持ってきた。海苔巻きと卵焼きに吸い物が付いている。せっかくなので、少し箸をつける。さっき焼き餅を三つ平らげたのに、おみつは平気の平左で箸を取った。
食事を済ませば、おみつが袖に仕舞った毛糸で、子供のようにあやとり遊びを始めた。
時計を見る。九時半。
川島さんは、相手は極道者ではないと言い、「手短に済ます」つもりだと言った。もう一時間半以上が過ぎた。行き帰りの時間を入れて、そろそろだろうか……。
そう考え、時計を折ににらむ。
幾度が人の出入りがあり、その都度玄関扉へ目を走らせるが、いずれも違った。
所在の無さに、おみつにつき合い、あやとりをする。
とうとう時計が十一時を回る。朝が早いおみつが、うとうととし出した。もう、あやとりも覚束ない。わたしは逆に、不安に目が冴えた。
彼女を壁にもたれさせ、休んでいるよう勧めた。「お嬢さんが起きていらっしゃるのに」と、きっと拒んだが、しばらくして疲れも出たのか、おみつはすうすう寝息を立て始めた。
彼女の指から毛糸を外し、わたしは一人、あやとりを始めた。子供の頃に覚えた指の動きを思い出しながら、指を折るうち、時計がぼ〜んと鳴った。
はっとした。十二時を知らせる合図だ。
毛糸の絡んだ指が、膝に落ちた。胸がどきどきと鳴り、それに連れ、羽織と帯の奥でふくらんだ腹が、ちくんとうずくように痛んだ。
不安が、腹の中の子にも伝わるのか、胸をざわめかせるほどの動揺には、まだ見ぬ我が子が、まるでわずかに腹を蹴るような気がする。
帯に手を当て、深い呼吸を繰り返す。何の慰めにもならない。けれどもしないより、子が落ち着いてくれるような気がする。そんな錯覚がする。
そのとき、がらりと玄関が開いた。顔を上げる。川島さんが帰ってきたのだ。
少しくたびれた様子で、彼は土間に立っている。上着を脱ぎ、それを留守番の若い衆に渡す。幾分硬いような、機嫌の悪いような、そんな顔をしていた。
わたしは立ち上がり、靴を脱ぎに屈んだ彼の傍に立った。
「済んだ。借金はチャラだ」
礼を言いかけたわたしの声を、彼がちょっと手を上げ制した。そんなもの「要らん」とでもいうような態度だった。
気を削がれ、わたしは目を落とした。ふと、彼が脱いだ靴の爪先に、血のような赤茶色のものが付着しているのを見つけ、呆然となった。
若い衆へ命じ、
「彼女らに、空いた部屋に布団を敷いてやれ」
それだけで、彼はシャツを脱ぎながら、奥に入っていく。その背を、わたしは追った。
最前の布団を延べたのとは別の部屋だった。どこもそうだが、真新しい、特徴のない客間のような部屋だ。紫檀の長机に床の間の掛け軸。奥に次の間が見えるから、そこが寝室であろうか。
襖辺りにたたずみ、川島さんが、男に手伝わせ、着替えるのを待った。黒地の着流しに緩く着替えた彼が、ようやくわたしへ目を留めた。ちょっとうるさそうに、顎で「行け」と言うのが読めた。
わたしはそれに、首を振って答えた。「済んだ。借金はチャラだ」以外の言葉がほしいのだ。靴先に残る、あの赤茶色の不気味な汚れも気になった。
 
すべては、わたしのせいなのだ。
 
ちっと舌打ちがした。
男が部屋を出て行った。酒の支度を奥に伝えている。
男に代わり、わたしはそろりと部屋に入った。川島さんは、腕を組んで立っている。
もの問いたげであろうわたしへ、吐息の後で、
「遅くなったのは、思いがけず、相手がごねたからだ。棒引きにするには額がでか過ぎると、渋った」
でも、彼らが威勢を張るのは、素人相手のときだけではないのか。彼はそう言ったはず。言葉にならないその問いかけに、川島さんの声が返った。
「ケツ持ちがいやがった。望月の面倒を見る極道が出てきて、話がややこしくなったのさ」
欠伸でつなぎ、彼はわたしへ、「もう寝ろ、身体に障るぞ」と、出て行くよう襖を顎で示した。
「でも…、靴に血のようなものが…」
面倒くさそうな仕草が、ちょっとだけ辛く、わたしは彼の袖をついつかんだ。
川島さんは、それにちらりと目をやり、
「恭介なら、学士様らしく法を並べ立ててカタをつけるんだろうが、俺らのやり様は違う。相手の聞き訳が悪ければ、血も出りゃ、刃傷の沙汰にもなる」
わたしは、返しの言葉に詰まり、結局頭を垂れ、感謝と迷惑の詫びを示す他なかった。その下がった頭に、ぽんと手のひらが当たるのが知れた。川島さんの大きな手が、結った髪を、ほんの軽くいじる。
指はすぐに離れ、あ、と言うほどの間に、それはわたしの顎をつまんでいた。上向かせ、
「あんた、前は、もっと違った風な顔をしていたな。…もっと頬も丸くて、幼くて…、可愛い人形みたいに見えた…」
そこで、彼はちょっと笑い、「ひどい顔をしてるぞ」と言う。その言葉に、家を出しなに鏡を見たきりの顔が気になった。おしろいも紅もはたく気になれず、髪の具合だけで、飛び出してきたのだ。
疲れや不安が表情に出ようし、きっと乾いて蒼ざめた、精気の無い顔色をしているのだろう。
 
「あんた、可哀想だな」
 
不意に抱きしめられた。広い胸に頬の当たるその感覚に、わたしは凍ったまま、動けずにいた。呼吸が止まった。鼓動だけが、早鐘を打つ。
 
あ。
 
束の間の抱擁はすぐに解かれ、川島さんは、やや突き放すようにわたしを遠ざけた。
「疫病神だな、恭介は。あんたにとって」
抱きしめた詫びも弁解もなく、彼はそんなことを言った。「ふらっと現れて、勝手に振舞って、また消えちまう」と。以前母も、似た感情を、わたしにほのめかしたこともあるのを思い出した。
「疫病神だなんて…、ひどいわ。お国の任務だったのに…」
霧野中尉は、わたしにとって強い磁力を持った、まるでつむじ風のような人。惹きつけておいて、あっさりと去る身勝手な、風。
その風の只中にあり、無我夢中で過ごして日々のことを、わたしは、一人残された後で思い知るのだ。
美しい日々だった、と。かけがえのない、過去だった、と。
過去のきらめきを辿るのは、切ない。今がそうでないだけに、ひどく、やりきれない。
ビール瓶を盆に幾瓶も載せた、見覚えのある若い衆が現れた。わたしはそれを潮に、部屋を出た。その背中に、川島さんの声がかかる。
「すまん、今夜の駄賃だ」
さっきの抱擁のことを指しているのに違いない。わたしは振り向きもせず、頷くことで答えた。
「うへえ、二代目、手が早えや」
とぼけた若い衆のつぶやきも続いて届く。「うるせえ」と、川島さんのぽかりと男をどつく音に、くすっと、わたしは笑みをもらした。
 
その夜、慣れない布団で襦袢だけになった身を横たえた。隣りでおみつは、すっかり白河夜船だ。
襖の向こう、廊下の奥から今も人声のざわめきが、かすかにもれ入ってくる。うるさくもない、静かな喧騒。
最前、川島さんに言われた言葉が、胸にぷらんとぶら下がったままある。
可哀想だ、と。
「可哀想…」
つぶやけば、その通りの女が易く仕上がるような気がした。ほら、涙はすぐに浮かぶ。ぬれた瞳を、襦袢の袖で押さえた。
襖を通る、かすかなざわめきが、自分を哀れむ、寂しい心を慰める。
先の「あ」という間の抱擁を、川島さんは、手間の「駄賃」だなどと言って紛らした。それに怒りはない。驚きも、とうに消え去った。
それとは別な驚きが、胸に芽生えている。
 
わたしは、嬉しかったのだ。
 
ほんのりと、どこかで。
ひっそりと、今、その驚きを抱えている。
 
 
翌朝、身支度を済ませば、家の者にくれぐれも礼を言い、早々に玄関を出た。
昨晩遅かったのか、川島さんはまだ休んでいるようだった。改めてきちんとお礼はするつもりだが、今朝は一刻も早く帰宅したかった。母が寝もやらず心配している姿が、すぐに浮かんで気が急いた。
夜露にぬれた敷石に、朝の日がきらきらと照りまばゆい。呼んでもらった車が、塀の影に見えた。歩を早め、車に急ぐと、そこで不意に現れた何かにぶつかりかけた。
「あ」
声に、人であると気づく。互いの着物が擦れ合った。はっとなり、顔を上げる。
そこに、思いがけない顔を見つけ、わたしは驚きに声が詰まった。紫地のお召しに道行を重ねた、紫様の姿だった。
たっぷりとした黒髪を艶よく結い上げた、その下の白い顔は、わたしの登場に驚き、強張って見えた。薄く紅を引いた唇が、やや歪んでいる。
「…ご機嫌よう、紫様。意外なところお会いしたので、驚きましたわ。長くご無沙汰しております」
こちらの挨拶に、十分な間を置いた後で返された彼女の声は、低く硬く、ひどくすげなく響いた。
「ご機嫌よう」
それだけで、彼女はわたしから顔をふいっと背け、玄関に歩を進めた。
あまりに愛想のなさ過ぎる態度が意外で、わたしはまったく虚をつかれた。兄の中尉に似て、あっさりと素っ気ない人であるのは知る。けれども、これまでの行きがかり上、わたしへもっと言うべき言葉も、問うべき内容もあろうに。
腑に落ちない気持ちはするが、わたしが、兄上の中尉の親友のお宅に訪れていることが、もしや、破廉恥でふしだらに思われたのかもしれない。中尉の死を知って、三月。妹御には腹に据えかね、面白くないのかもしれない。
そして、背の高い彼女がわたしを見る、先ほどのやや斜に落とした視線には、中尉を偲ばせるものが多分にあり、わたしは恐怖に似た思いを感じた。瞬時、彼の面影が、鮮やかにぱっとまぶたに甦った。
 
あ。
 
彼に叱られたような、「何してる」と、ぺちんと頬を叩かれたかのようなそんな衝撃を覚えた。
まるで、ごく軽い酔いのような、昨夜の抱擁の恥じらいは、胸の中で脆い硝子細工のようにぱらぱらと砕け散った。
どうかしていた、と思った。
運転手の開けたドアから車に乗り込むとき、何気なく、もう一度彼女の背へ目をやった。
 
え。
 
思いがけず、こちらを見る彼女と瞳が合った。わたしを見ていたのだ。凝らしたかのような瞳の強さに、息をのんだ。
どうして。
うろたえる間に、彼女はあっさりとわたしから目を背け、脇の木がその姿を隠し、玄関に吸い込まれていく。
「お嬢さん」
おみつの声がかからなかったら、わたしはそのまま彼女の消えた後を、長く見つめたままだったかもしれない。声に、我に返り、車に乗り込んだ。
辻の折れるたびの車の揺れに、左右に身体が傾ぎ、おみつと肩が触れ合った。
「お嬢さんお疲れでしょうから、お帰りになったら、お床を延べますね。何かお上がりになって、横になられないと」
「ええ、…ありがとう」
声に、上の空のまま答える。
車窓から、どこかの奉公人らしい前掛け姿の少年が通りを駆けるのや、重そうな風呂敷包みを抱えた勤め人らしいのが行き交うのが見えた。自転車のちりんちりんというベルの音……。
先ほどの紫様の瞳の色を、わたしは忘れかねている。それほどに、印象的で、射すくめるような強さがあった。何かに似た、そう、誰かの目の色に似ている……。
梅若。
その意味にふと、気づき確信した。あれは、女のする嫉妬の目だ。
 
妹御は、きっと、兄上の親友のあの人を……。
 
そこでわたしは考えを止め、放り出した。これ以上を、詮索することに意味がない。
ただ、子爵の囲われ者である彼女の、実ることのないその思いの行方に、わたしの胸が、きゅんときしんで鳴った。時間の経過にそれは乾き、たわみ、しおれていくのだろうか……。
形は違えど、わたしの今の中尉への恋と、その行く先はどこか似ている。
 
願う恋が、手に入らないのと。
願った恋を、失ってしまうのと。
 
いずれが、辛いのだろう。また、切ないのだろう。
移り行く朝の風景を、硝子窓越しに眺め、わたしは、細く、長いため息をもらした。
白っぽい朝の光が、頬を焼いていく。



          


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