眼の中に入れても痛くない、そんな愛なら良かったのに、
祈るひと(37
 
 
 
山本屋の淳平さんに絡む厄介な問題が片付き、当の淳平さんは、ぴたりと我が家に現れなくなった。
その解決は、望月というあの金貸しが、我が家に請求をしなくなったというだけのこと。十万円にふくらんだ、例の淳平さんの名がある貸付証文は、消えた訳ではない。
川島さんのにらみが効き、それは我が家ではなく、元の淳平さんへの請求に戻ったまで。どうやってあの大金を工面するのか、または逃れるのか。
関係のないことである。どうでもよいことのようでも、ちらりと、そんなことを思うのだ。
「勘当されて、どう払うのかしら、淳平さん…」
母の問いに、わたしは頷いて返す。彼のせいで、こちらまで路頭に迷うような目に危うく遭いかけた。その怒りは怒りとして、わだかまって残るが、大きな難を逃れた余裕が、ふとそんな気持ちを抱かせる。
今回の件で、わたしも母も、女所帯の甘さと危険、他人につけ入られる警戒の念をしっかりと持った。まったく、霜月に冷水を浴びせかけられるような仕打ちだった。
その中で、淳平さんの今後を何となく思うのは、わたしや母の甘さではないはず。自分たちとはきっかりと線を引いた上での、よく知った彼への憐れみだった。
それも、母とわたしの会話の中で、すぐに消えた。
 
川島さんへの礼にと、母がとっておきの結城の反物で、袷を縫った。さすがに手が早く、ちょっと根をつめ、たちまちに仕上がりよく仕立ててしまう。
寸法などは目検討のようで、「あれ」と思ったが、その疑問に、母は伏し目がちに笑い、
「あんたが縫った、霧野様の単衣と寸法を合わせたのよ。ほら、似たような背格好だったから」
わたしが縫った霧野中尉への衣類は、あれこれ合わせて幾枚もある。使われることのないその品は、風呂敷に包み、衣装部屋に仕舞っておいた。
ちょっと見、それとわからないように置いたはずが、母にはお見通しだったようである。
その中から、実際、袖を通してもらったものは、この屋敷に一晩泊まった際の、浴衣が一枚あるくらい。他は、彼が亡くなってから、縫ったものばかりだ。それなのに、わたしが縫うのは、黙って行う、影膳のような仕草。慰め。
それを母に見つかってしまった、妙な恥ずかしさに、わたしはややつむじを曲げ、
「言ってくれたら、出したのに…」
「あんたに、あれを出させたくなかったのよ、ごめんね」
母の何気ない声に、あ、となる。
あの風呂敷を解けば、たちまちわたしの頭は彼への思いでいっぱいになる。湧き出すそれら感情には、いいものなどない。
悲しみや、泣き言、繰言、切なさ、孤独感……。何とか日々、押し込めているものばかり。
それを察し、母はわたしへ断りなく、衣を検めるだけで、済ませたのだろう。
「そうね…」
それきりで話を変えた。引きずっていいものなど、ないから。
ちょっとした感情の小ちゃなとげなど、ごく些細なもの。
彼への途切れない執着の裏側にある、みっしりと連なる悩ましさだけは、消せない。
癒えない。
 
 
正月が過ぎ、二月。
寒さが一段と厳しくなれば、身動きも億劫なほどに腹が突き出てきた。帯や羽織で隠せる限界をとうに超え、誰がどう見ても紛れもない妊婦姿だ。
この頃には、頼む産婆のあてもつき、暮れ前に、お産にと増築した部屋のしつらえも整った。
里子に出す子ではあるが、少しは、と母と二人で産着を縫った。里親の迷惑にならないよう、数はごく抑える。
夜更け、重い腹を横にし眠るとき、もうじきこの大きな腹ともお別れだと思えば、心から身軽で、気持ちが浮き立った。産後すぐにでも、宿の仕事に精を出したいなどと思う。
どこかに出かけるのもいい。何かをしたい。それで、まるですっかり以前の自分に戻るような気がして、心が弾んだ。
その反面、おかしなことに、腹の中の子を産み出してしまうことが、恐ろしくもあった。初めてのお産を控えた恐怖もあり、不安もある。けれども、また、それとは違った種の怯えがあるのも事実だった。
お産を終えてしまえば、わたしには、それが節目になるように思えてならないのだ。
霧野中尉との、真実の別れのような。これまでの、彼を含むわたしの人生の扉が、そこで閉まり、また別な扉が開くような……。
そこから先を、一人で歩むわたしの未来が、その扉の先には広がっているのだろう。次の、人生の節目となる扉があるまで。
それを恐ろしいと思った。
扉の先は…、
 
先には、忘却しかない。
 
彼を失ったことは、骨身にしみている。もう戻らない過去であると、言い聞かせ言い聞かせ生きている。
けれども、怖い。
彼を忘れていく心が、未来が、怖い、そう思った。じくじくと疼く喪失の痛みの方が、よりわたしを慰めてくれるのではないか。
「ねえ恭介様…、あなたの…」
返らない声に、まだ見ぬ我が子。
しきりに腹の内側を蹴る子を、上から撫ぜさすり、涙ににじむままに任せる……。
そんな一人の夜更けが、冬の日々、よくあった。
 
お産は、あるとき突然やってきた。
三月、ようやく空気に折、温みを感じ出してほどなくのこと。
居間にいたわたしは、これまでにない腹の痛みに恐怖し、おみつに、宿にいる母を呼ばせた。ほどなくやってきた母が、わたしをお産に用意した部屋に連れて行った。女中に指図し、布団を延べさせ、わたしの衣を緩ませる。
どれほどか後で、産婆がやってきた。老婆といっていい女で、我が家の元女中、おせんのつてを頼り、口の堅い経験のある人を、と頼んであったのだ。
昼前に痛み出した腹は、途中収まり、また夕刻に痛み始めた。そこからが断続的に、息苦しいほどの鈍痛が始終つきまとう。
枕元に座る母の手を握り、耐えた。とても耐え切れないと、壮絶な痛みに泣き、腰が砕けるかと思うほどの苦しみ。それが、長く長く続く。
終わりなく思われた、その時間の果てに、わたしはついに、一人の赤子を産み出したのだ。
その瞬間に、あっけないほどに痛みも苦しみも引き、嘘のように軽くなった身を、呆けたように受け入れていた。
「ほら、元気な男のですよ」
産婆が、赤子をわたしへ差し出した。しわだらけのその腕に抱かれた、泣きじゃくるその子を見た途端、わたしの目に熱い涙が込み上げた。瞬きを待たずに、それはあふれ、頬へこぼれていく。
涙を溜めた瞳も。
鼻梁の様子も。
そのものが、面影を宿す。
「こんなに小ちゃいのに…」
 
恭介様に、こんなにも似ている。
 
ようやく会えたわが子は、産まれたての小さな赤い身体をよじり、痛々しげに腕を伸ばす。懸命に、わたしへ何かを訴えているように見える。
止め処なく、瞳をあふれる涙に構わず、わたしは子へ、指を伸ばした。かすかに指先が触れ合う。その刹那、堪らない感情が、胸をふき出すのを抑えられなかった。
起き上がり、産婆の腕から赤子を抱きとる。腕に抱くのが怖いほどの小ささ、脆さ。
汗と涙が交じり合うぬれた頬を、小さな彼へ触れさせる。子からは嗅いだことのない、甘いような慕わしいような匂いがする。
「よく頑張ったわね。さあ、休みなさいな。文緒」
「ほら」と、子を産婆に渡すよう、母はわたしに促す。痩せた産婆が伸ばしたその他人の腕に、抱いた我が子を渡すことが、とてもできない。それは、たとえるなら、自分の腕や足を、無理にもがれる感情に似ている。
 
嫌。
 
「お母さん…」
額にかかる髪を耳へかきやってくれる母へ、わたしは涙にぬれた瞳を向けた。母と目が合う。母の目も泣いているように、にじんで見えた。
「育てるわ、…育てたいの」
 
彼は、ここにいるのだ。
 
こんなかけがえのない、大きな事実に今頃気づく。
「お嬢さん、産後間もなくは、気持ちが昂ぶりますからね、少し休んで落ち着いてから…」
産婆の冷静な制止に、わたしは首を振った。
彼女は、これまでにもわたしのような例を、よく知っているのだろう。望まぬ子を孕んだ女の気持ちが、産後の幸福な高揚感と達成感に、迷い揺れるのを。見守る誰もが困惑するその選択に、女がひととき酔うのを。
母はわたしの肩に腕を回し、「休みなさい」と再び繰り返した。それにもわたしは、嫌々と首を振る。横になり目を閉じなどすれば、このまま子を奪われてしまうような、恐慌に似た思いがあった。
 
彼とわたし、二人の子だもの。
 
母は頷き、泣いた鼻をすすりながら、わたしの頭に自分のそれを、こつんと軽く当てた。「わかったわ」と、ささやくように言うのが聞こえた。
母は、わたしからそっと子を抱き取り、ほんの傍らに寝かせてくれた。
それから、黙然とわたしの処置を終えた産婆へ、女中に言い、別室で茶菓子の接待をし、休んでもらうよう命じた。
残ったおみつにも下がるよう言い、明かりを絞った産屋に、子を交え、三人きりになる。
母はわたしをやんわりと横たえさせ、ぬれた布巾で顔や首を拭ってくれた。虚脱した身体に、その仕草はひどく優しく感じ、しみじみと母の手が嬉しい。
母は、わたしにほど温いほうじ茶を口に含ませながら、
 
「そんな風になるのじゃないかと、思ってもいたのよ…」
 
「お母さん…」
「顔を見たら、手放せないわね」
母は子の小さな手に、お湯飲みを盆に返した自分の指を握らせ、微笑んだ。その頬には涙が伝っている。笑みに閉じた唇が、ごくわずかに開き、ほんのほのかにささやく。それは、母の自問のようなわたしへの問いだった。
「それで、…いいのね」
わたしは母の涙を受け、自分もぬれた瞳を瞬いた。何度も「ええ」と返す。迷いなどない。ためらいもない。
のち、決心を悔いることが、もしやあるかもしれない。けれど、とても手放せない。彼の血を分けた、面影の残る子を失えば、わたしはこれから、きっと死ぬほど後悔をする。
必ず。
「あんたの子、お父さんに見せたかったわ。霧野様とあんたの子なら、あの人も、さぞ気に入ったはずよ」
「お母さん」
「この子のために、これから、また二人で頑張ろうか。文緒…」
母の声に、優しさに、わたしは何度も頷いた。「ありがとう」と。
「さ、少しこのまま休みなさい」
尾を引く疲労、重くなるまぶた。抗えない全身のしびれるような疲れに、わたしは熱い瞳を閉じた。
幸せだった。
 
きっと、わたしはもう、一人きりじゃない。
 
 
 
産後は、一月ほども横になって過ごした。
子に乳を含ませ、身を休めることばかりが仕事。障子の向こうの春めく気配に、身体も気持ちもうずうずし出したのが四月で、ようやく、その頃床を上げた。
子の名前は、よくよく迷い、恭緒(やすお)とした。霧野中尉の名から一字と、わたしの名から一字を組み合わせたものだ。
乳ばかりを飲むくせに、ぷくぷくと肥え元気で、泣き声は勇ましく大きい。
屋敷に赤子の存在があれば、どうしたって宿の者にも知られてしまう。初め、仲居頭の幸子のみが様子を見に来てくれたが、そのうち遠慮がとれ、ほろほろと赤子の顔を見に来る者が増えた。
この頃、母が工面をして、子の戸籍をとってくれた。わたしの子にすることは、父がいない以上出来ず、跡取りのない女所帯の我が家が、養子をもらったということで、何とか形を整えることが叶った。
恭緒は、紙の上では母の養子になる。実子であるのに、と不承不承ながら、やむなく、わたしとはきょうだいの間柄になった。
春とはいえ、夜はまだ冷える。子にまとわせる毛糸の産着を、母がいつの間にか編んでいてくれたことを知ったのも、この頃だった。
ぼんぼんのついた可愛らしい淡い黄色の産着は、にわか仕立てではない凝った仕上がりで、母の恭緒への細やかな愛情が知れ、ひどく嬉しくありがたく思ったもの。
床を上げ、女中の手も借り、子を見ながら宿に顔を出す。わたしの子を産んでからのさもない日常が、ようやく回り始めた。
本格的な春の訪れと共にその新たな日々は始まり、出産までの鬱とした気持ちは、恭緒の寝顔と大きな泣き声に、いつしか消え、または小さくなってしまっていることに気づく。
寂しくない訳ではない。ただ、彼に似た、彼の子を見守る、やや慌しい日々が、喪失感を埋めていってくれる。霧野中尉を失った傷を、確かに癒していってくれるのは、事実なのだ。
悲しみに溺れ、心を痛め続けた日々を乗り越えた、まるでご褒美のような、心穏やかな毎日に、わたしは笑うことが多くなった。
そんなとき、中尉の妹御へ知らせの手紙を出すことを決めた。
母は、縁をつなげていたい気持ちではないようだったが、産まれた子は、叔母・甥として、彼女とも血が通う。知らん振りでいるのは、あまりにも……、と、恭緒の生後一月を潮に、筆をとった。
返しは封書の手紙であった。流麗な文字で書かれた祝いの文面は、簡素で、どこか通り一遍のものに受け取れ、思いがけず、落胆を覚えた。
以前、川島さんの家の前で偶然かち合い、その際の気まずさを、わたしは子の誕生の知らせに拭ってしまいたかったのだろうか。読み返すこともなく、わたしはその手紙を、塗りの小箱に仕舞ってしまった。
 
五月に入り、行楽に帝都を訪れる人々で、宿は活況だった。
遅い午前に顔を出し、少しお客の応対を手伝えば、また屋敷に戻る。恭緒に乳をやらなくてはいけない。
自室で子を抱き、胸をはだけると、襖越しに女中が、来客を告げた。誰かと問えば、戸惑った声で、
「久我子爵家のお使いの方だそうで…」
とりあえず、客間に通すように言った。乳をやり終え、抱き足りないとぐずる恭緒をおみつに任せ、着物を直して客間に向かう。
紫様自らではないが、出産の祝いだと思った。その品を持ったお使いがやって来たのだろう、と。
襖を開け、背広をきっちりと着た壮年の男性に対峙するまで、その人物の言葉を聞くまで、わたしはそうのんきに構えていたのだ。
白いものが髪に混じる、冷ややかな目をした使いは、
「産まれた子を、子爵家にお渡し下さい。相応のお礼は致します」
まず切り口上に、そう言った。
驚きに、二の句が接げずにいるわたしへ、更におっかぶせ、
「こちらで子爵家の人間として養育し、適応の高い教育を随時施します」
何を言っているのだろう。
なぜ、渡せるなどと思うのだろう。
疑念の中にふつふつとした憤りが混じる。この不快な使いを放ったのは、おそらくきっと妹御であろう、と嫌な予想もついた。
兄の形見に、恭緒がほしいのだろうか。お気の毒に、妹御は子を望めない身体であるのだと、中尉から聞いたことはある。
けれども、こちらへ温もりのある言葉もなく、いたわりもなく、いきなり今頃、子供だけ寄越せとは……。 
それは、勝手にわたしが身ごもった子だ。思いがけず授かり、嬉しさなどなく、戸惑い悩んだ。その命のありがたみに、産んでから気づいた、未熟な母親でもある。
けれども、わたしの子だ。
 
彼と、わたしの。
 
ふと、先の邂逅を思い起こす。紛れもない嫉妬を、わたしへ冷ややかに向けた彼女のきつい瞳の色を…。
恭緒に乳を与えた後、わたしはよく喉が渇いた。そんな癖がついた。水も飲まずにお客と対面し、そのからからと乾いた喉元から、ようやく声を出した。怒りに声は低い。
「お引き取り下さい。恭緒は、我が家の子です。そちらにお渡しする理由がありません」
硬い声で返せば、やはり冷えた声が返る。「先持て余すより、いい条件があれば早くに手放すことも、子への愛情である」と。わたしの耳に、とげとげしいほどの言葉。
「持て余しなど、しません」
使者は、部屋のしつらえをわざとらしく眺め、ちょっとため息をついて見せ、
「恵まれ、整った環境で育つのが、ゆくゆく子供の将来を良いものに形成することを、覚えておかれた方がよいでしょう。」
高圧的に、冷厳と言い切る言葉が憎く、わたしは唇を噛んだ。我が家の環境が、一般に劣ると言いたいのか。母もあり祖母もある。ふんだんに愛情もある。生活の憂いのない資産もある。
ないのは、父だけ。足りないのは、中尉だけだ。
それでも、立派な家庭ではないか。
罵りたい気持ちを堪え、努めて落ち着いた声に抑え、
「子の父の恭介様も、その妹御の紫様も、幼い頃からそれは困窮したご生活だったと存じております。けれども、お二方とも見事に成長なされたではないですか。環境ももちろん大切でしょうが、肝心なのは、周囲が注ぐ愛情と本人の資質でしょう。恭緒を案じていただけるのなら、代わりに愛情をもって見てやって下さいませ」
言い終えるや、わたしは立ち上がり、「お帰り下さい」と、大きく言い放った。その声に驚いた女中が、客間へ様子を見に現れたほどだ。
妙なところで勝気な性が出る。使者が帰った後も、しばらく自分の言葉に苦笑した。
けれども、言わずにおけなかったのだ。
おみつに任せた子を、また腕に抱く。みっしりと重い。乳の匂いをたっぷりと含んだ、甘く優しい香り。柔らかで、小さい身体を抱きながら、涙ぐむ。
渡せる訳がない、と。
離れられる訳がない、と。
腕の子への愛しさに、ふと、母がわたしへ惜しげなく向けてくれる、優しさ思いやりの数々を辿り合わた。その愛情の純な重さに改めて気づく。
我が子を抱きながら、やっと気づく。
つん、と胸が涙に鳴った。
 
 
子爵家よりの不意の使者から、ほぼ一月を置いた、梅雨の走りの雨の日。
屋敷へ、思いがけない人の訪れがあった。紫様が、小兵衛というあの爺やを伴い、現れたのだ。
わたしは居間で、乳の後、昏々と眠る恭緒のそばにいた。何を夢見るのか、この子が小ちゃい手を握り、眠りながら、折に笑うように顔をくしゃりと歪める様子を眺めるのは、見飽きない。
「いかがしましょうか?」
子爵家の失礼極まりない使者の件を踏まえてか、お常がわたしの様子をうかがった。
重く空を覆う鈍色の雲を仰ぎ見、わたしは湿気を嫌い、少し開けていた硝子戸を閉めた。
「母を宿から呼んで頂戴」
「はい」
 
「それから、お客間にお通ししておいて」



          


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