天涯のバラ
31
 
 
 
その彼女を間近で見ながら、彼はやはりあ然としたままだ。彼女がアメリカで大きな賞を獲れたことを、彼は大変な業績だとは思うが、それはすんなり納得できるのだ。彼の知る彼女の延長上にあるものとして、よく理解できた。
しかし、目の前の手料理の数々は、彼の理解の枠を超える。まるで、無から有を産む、錬金術を見るようだと思った。
過去の彼女は、自分のことを「頭も悪いし、ぶきっちょで、何もできない」と評価し、無鉄砲な反面、気弱でおどおどしていた。彼もその通りだと思っていた。だからこそ、「俺が助けてやらないと」と、強烈に庇護欲と騎士精神をかき立てられ、ある意味ストーキングまがいなことを繰り返してきた。
その彼女は今、どうか。
厚く重ねて着ていた、自己の邪魔な固定観念の殻を脱ぎ棄てたに似て、まるで人が違うのだ。本来の彼女はこうあるべきだった、というように。
ベースはそのままなのはわかる。面影もあるし、突拍子もないところも、優しいところも、無垢な様子も、彼の好きだったその数々は消えていない。
成長により、別の軽やかなものが、それらを包みながら彼女を新たに成している。それが大きな変化に見せるのではないか。
そして、彼女が変化したように、この五年の間に起きた出来事に、自分もまた変わったのだと、彼は思う。
結婚の前後から始まる挫折感は、彼には足を取られる沼のようだった。幾つか肩書と権利が増え、経営の妙を感じ始めた。意識的にそれらに淫しようしている。夢も希望もなく、ただ日々を乗り越えていくだけ。その積み重ねに、「もう若くない」という老いの兆しだ。悲惨な少年期を過ぎ、果たせない恋をした束の間の青年期は、実りもなく終わった。
「何ですか? じっと見て、速水さん…」
グラスの酒を飲み、彼女は首を傾げた。そんな何気ない仕草に、また深く魅入られる自分が、彼にはわかる。
再会し、もし過去のままの彼女であれば、彼は彼女に手を触れただろうか。強引に抱き寄せただろうか。不器用さもそのままに、一生懸命、真っ直ぐで、純粋そのものの彼女であれば、どうだったろうか。
(眩しさに目はくらむが、手を伸ばすことはなかった)
ありったけの理性をかき集め、これも以前の彼のように、手ひどく突っぱねたのに違いない。
成長した彼女は、大らかで柔らかく優しい。そんな今の彼女だから、彼の理性の下に彼女を抱きたい本能があることを見抜いていた。彼が従来の頑固な観念を棄て去れたのは、何もかも知る彼女がそれらを包み、熱く溶かしてくれたからだ。
(そんな彼女を抱きながら、俺は甘えたいのだ)
 
食事の後は、片付けを手伝った。と言っても、キッチンに下げるだけだ。後は彼女が食器洗い機に掛けてくれる。
「あ、お風呂入ってきますね」
彼女がバスルームに消え、彼は煙草を吸い、新聞を読んだ。どれほどかして、彼女が戻って来た。いつかの変てこな男性用のTシャツを着ている。パジャマ代わりのようだ。
彼が手を引いて、抱き寄せてキスすると、幾らか進んだ後で、彼女がやんわり彼を押した。
「嫌なのか?」
体調や気分が乗らないなどかかと、がっかりしながら訊く。無理強いはしたくないが、前から少し間隔が空いた。彼は彼女が欲しく、少しじりじりもして待っていたのだ。
「明日、朝早いから…」
「仕事か?」
そう訊き、彼は時計を見る。まだ十時前だ。
「みたいなもの。ゴルフなんです、接待の」
「は」
何だそれは、と問い詰めれば、亜弓の代わりだと言う。前に彼女が蹴ったCMを、亜弓が請けた。その際に二人の間で、「次、何か代わってもらっていい?」。「いいわよ」。のやり取りがあったらしい。
亜弓は明日、御殿場のゴルフ場でスポンサー企業の社長らのゴルフの相手を務めることになっているのだ。
亜弓レベルでも、だからこそか、相手から請われての断り切れない接待はある。食事やこういったゴルフのつき合いなどの常識的なもので、それ以上はない。その後、個人的につき合いを続行するか否かは、会社の関知するとことではなかった。費用は相手持ちで、女優への好意から出る。
「亜弓さんから、都合が悪くなって、わたしに代わりを頼めないかって、先週、電話があったんです」
「誰と回るんだ?」
「…速水さん怒ってます? 声が怖い」
彼女は彼を上目づかいで見た。本当はいらついていたが、声の調子を変えて、再び訊ねた。
それには彼の知った名が返って来る。一つが、いつか噂を聞かされた「他人が目をつけて、こうほぐして調子のよくなった頃合いの女を味見するのが好き」という人物のものだった。
(冗談じゃない)
「亜弓さんも、専務さんに確認してくれたんです。代役に北島マヤでも問題ないって。だから、行きますね。五時半に、あちらの迎えがわたしのマンションに来てくれることになってるんです」
「ちびちゃん、ゴルフは?」
「下手です。前にドラマでそのシーンがあったから、真似だけ練習したんですけど。だから、今回はコーチについて、レッスン受けてきました」
彼が前に聞いて、日舞だヨガだ英会話だと思っていたスクール通いには、明日のためのゴルフのレッスンも含まれていたようだ。以前からある行動力に、そつのなさが備わった彼女は、「でも下手ですよ」とちょっと笑う。
専務を通して先方に、自分が初心者であることを伝えてあると言った。「それでも構わないからおいでって、おっしゃってくれたそうです」
(ふうん)
彼なら仕事でもなければ、初心者の女性を連れ、ゴルフなどしたくない。時間も食うし、プレーが楽しめない。
勘がよくても、一週間やそこらで腕が上達するものではない。彼女の不慣れなフォームを見た連れの男が、腰を抱いたりしながら教えてやる様が目に浮かぶ。彼女は変なところが純で鈍感だから、それを単純な親切と取るに違いない。「まあ、ありがとうございます。わたし、何にも知らなくて」。
彼女の朗らかな声に、男の調子に乗った手が、むき出しの脚にまで伸びてなでさすり…。
(駄目だ、駄目だ。絶対駄目だ)
彼は不愉快極まりない想像を打ち切り、
「俺も行く」
彼女の返事を待たずに、ケイタイを探した。テレビ脇のそれを取り、目当ての番号をダイアルする。彼も会合でよく知った人物であり、急に何か口実を設けてグループに割り込むことは、それほど不自然じゃないとの目算がある。
つながってから、夜分の電話を詫び、明日のゴルフに社の姫川亜弓が参加できないことを詫び、北島マヤが代役を務めることを確認した。そののち、久しぶりに×山社長と自分も明日のグラウンドを一緒に回りたい旨を申し出た。
「少し内密にお話ししたいこともありまして。…はい、ありがとうございます。北島に迎えを頂けるとのことですが、僕が明日、彼女を拾ってそちらへ向かいます。急な無理を申し上げて、大変失礼いたしました。では、明日」
通話を切る。明日は早朝起きで遠出の上、ゴルフだ。
寝よう、と彼女の手を引いた。抱きしめて長くキスする時間くらいはある。




           


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