天涯のバラ
32
 
 
 
まだ明け切らない頃に起きた。身支度を整え、キャリーバッグをトランクに積み、車に乗る。彼女はクラブを持っておらず、レンタルで済ますとのことだ。
彼はゴルフは久しぶりで、夏に行ったきりだ。上下が紺のウエアを着ている。
大あくびをして、遅れて乗った隣りの彼女を見れば、ポロシャツにアイボリーのニットを重ね、丈の短めのハーフパンツをはいている。可愛らしいゴルフウエアだ。
普段はごく薄化粧なのに、この日はスタジオ入りかと思うほどのくっきりメイクだ。胸も、どう寄せて上げたのか、彼が知るよりつんと高く上に向いていた。じろりとそこに目が行った。
「ごめんなさい、時間が掛かっちゃって」
「随分、フル装備だな」
つい嫌味が出た。接待で、男相手に色気を振りまく彼女が気に障ったのだ。何も言わず、車を走らせる。
彼の言葉を、彼女は早起きをつき合わされた不機嫌と取ったようで、
「速水さんは、来なくてもいいって言ったのに。頼まれたのは、わたしなんだから」
「君を一人で行かせられる訳がないだろう」
「送り迎えもしてもらえるのに、心配は要らないですよ。ちゃんと向こうに着けますから」
「そんなことを心配してるんじゃない」
「じゃあ、何ですか?」
彼が言葉を言いあぐねていると、彼女は彼の膝にちょっと手を置き、「速水さんには、わたしはいつまでも「ちびちゃん」かもしれませんけど、もう大人ですよ。大丈夫です」
「大人だから心配してるんだ」
「え」
「君が接待する相手は、女癖が悪いと噂のある人物だ。…わかるだろ、俺が無理に君について行く訳が」
「…だったら、そう言って下さい。何かわたしがしたことで、怒っているのかと思っちゃう」
そう言い、やや彼に身を預けるようにする。その甘い仕草に、彼の頭の角はあっさり消えた。「悪かった。気をつけるよ」
彼は、彼女が気合を入れてめかし込んでいるのが気になったのだと、正直に告げた。彼女は姿勢を戻し、「だって、亜弓さんの代理ですよ。及ばなくても、それなりに女優らしくしないと。仕事だもの、北島マヤでがっかりしてもらいたくありません」
手抜きせずチャーミングに装う。舞台を降りた女優としての自分の売りどころを心得ている。彼女のプロ根性には、ただただ感心させられる。
過去の彼女それは、単純に自分の芝居に対してのみ向けられていた。が、今はそれが「北島マヤ」という女優の大看板にも及んでいるのだ。
やはり理由は、彼女が背負う『紅天女』だろう。あれがため、自身の名を汚せない。
そうであるのに、彼との危うい不倫関係に身を落とす…。彼女の中のバランスはどうなのだろう。
「…速水さんには、みっともなく見えるんでしょ? こんな格好、好きじゃないですよね。ごめんなさい」
「そうじゃない、そうじゃないよ」
彼は言い足した。「妬いただけだ」と。
彼女は彼の手を取り、指を絡めた。「知っているでしょ?」
そう、知っている。彼女の身体の隅々まで、彼は触れて既に知っている。でも、もっと深く知りたいのだ。何もかも。奥の奥まで。
こうなるまでは、会えるだけで満足できた。ひととき時間を共有できることが、彼には幸福だった。それから関係が進み、男と女の仲になった。なのに、それが充足のゴールなどではなく、却って彼女への束縛が、自分の中で強くなるのを感じている。
「わたしは、速水さんだけです」
「うん…」
高速に乗る前に、彼女が言い、ベーカリーでコーヒーとサンドイッチを買う。車内で食べた。
 
晴天で、やや寒いが、気持ちのいいゴルフ日和だった。接待相手には×山の他、男が一人いた。これも彼が知る実業家だった。その男が気に入りらしいホステスを一人伴って来ていた。
「姫川亜弓は、かなりゴルフが上手いと聞いて、楽しみにしていたんだがな。しょうがないが、あんまり足手まといは困るよ、君」
てらてらと血色のいい×山は、亜弓のピンチヒッターのマヤに、まずそんな一声を投げた。
彼はかちんと来た。ゴルフは女優を侍らせる手段にしか過ぎないスケベ根性のくせに、と心中舌打ちをする。だから、初心者の彼女で代理が効くのだ。
そんな彼とは裏腹に、彼女はごく朗らかに、「申し訳ありません、頑張りますから。よろしくお願いします」と挨拶した。
彼も、不快さを顔には出さず、「彼女の面倒は僕がよく見ますから、社長はお気になさらず、お楽しみ下さい」
彼女のコーチを買って出た。
側について見たが、レッスンの成果で、彼女のフォームはまずくなかった。ただ華奢で小柄なため力がなく、飛距離が出ない。レンタルのクラブが今一つ合わないのもあるかもしれない。
「今のはいいよ」
「本当ですか? よかった」
偶然、接待でこんな場ができたが、悪くないと思った。プライベートで彼女と回れたら、楽しいだろう。
(今度、クラブを贈ろうか)
そんなことを密かに思う。
プレーが始まってしまえば、「足手まといに〜」と言っていた×山も、コーチ然としたことを彼女に言ってやったりした。彼女はそれを素直に頷いて聞き、礼を言う。
もう一人の男にも彼女は声をかけ、問われたことをにこにこと話した。愛嬌がある座持ちのいいホステスも、関西弁でにぎやかに喋る。彼女のとぼけた風とのいつしか掛け合いが始まり、漫才のようで盛り上がった。
彼と×山が話せば、彼女とホステスがさりげなく残りの相手を務める。男が余れば、うるさくない程度に、女性二人がフォローに回った。和やかで、実に接待らしいゴルフになった。数ホールのちには、彼も含めて男は誰もが寛いで楽しんでいるのがわかった。
ハーフを終えて、クラブで昼食を摂った。ホステスは職業柄慣れているだろうが、彼女も屈託ない様子で、出過ぎず客に気を配る。
やり過ぎれば、ホステスの顔を潰すし下品であり、何もしなければそれで、また印象が悪い。彼女クラスの女優あれば、客に気を使わず、知らん顔も許されるだろう。亜弓ならきっとそれで通す。亜弓の場合、それがまた魅力にもなる。
偉ぶらない彼女らしいな、とちょっとうっとり眺め、巧みなサービスのさじ加減は、生粋の舞台女優である彼女の、場や空気を読む感覚から来るのだろう、とも思った。
そのとき、彼の目にある人物の姿が映った。数テーブルはなれた席に、自分たちと同じような男とホステスらしい女のグループだ。その中の一人に見覚えがある。
(あれは、鷹宮の)
鷹通グループの親族役員の一人だと思った。名門クラブだ。あの連中がいてもおかしくない。気になるのは、男にこんな場にいるのに、和んだ雰囲気がないことだ。やや肩を落とし、どこか疲れた様子がうかがえる。
そっと眺める。役員の相手は上背のある恰幅のいい男だった。薄く色の入った眼鏡をかけ、ビールを飲んでいる。こちらは逆に、堂々としていた。彼の知らない男だ。
天下の鷹宮を誇るその親族が、誰を相手にうなだれているのか。煙草を吸う素振りで、彼は席を立った。距離を置き、あのテーブルを観察した。正面に色眼鏡の男が見えた。何気なく装っているが、筋者ではないかと目星が付く。
(なら、あの関係か…)
物流部門で起きた理事の自殺絡みの件だ。普段になく、親族がこんな場に出て来るのだ、複雑化しているのかもしれない。
彼は知らん振りで喫煙ブースに向かい、煙草を吸ってから戻った。




           


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