天涯のバラ
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その知らせは、日暮れ頃にやって来た。没頭していた書見に倦み、傍らのパソコンでニュースを斜め読みしていたところだった。
ノックののち、いつものように現れた水城が、彼の前に数枚の紙を差し出した。ちょっと見るだけで、発売前の雑誌の記事だとわかる。
硬派で売るある出版社の出す週刊誌だった。得意とするのは、事件性のあるもの、経済情報などで、ただの芸能記事は見られない。
目を通すまでは、彼は鷹宮関連の記事かと思った。先日、一部の週刊誌で報じられた鷹宮グループ内の暴力団絡みのスキャンダルは、徐々に広がりを見せている。グループが巨大だっただけに、そのアンチも多いのがうかがえた。
鷹宮からの莫大な資金が、ダミー会社を経て暴力団のフロント企業へ流れる構図も噂され、その一部が鷹宮関連の子会社に戻り、そこからまた実体のない海外企業へ流れる資金洗浄の疑惑も出てきていた。
明るみになれば、検察も動き出す。鷹宮翁を始め、あの高雅な親族連も、知らぬ存ぜぬでは切り抜けられない…。
しかし、すぐに予想が裏切られた。記事は彼女のことを扱っていたのだ。
見開きを使い大きく『止まらない、勘違いセレブ。天女様の増上慢』と見出しがある。次いで、『恩師、黒沼氏への裏切りの三下り半』とあった。
(何だ、これは…)
目で追えば、記事は、今季から新たに演出を変え行った新『紅天女』ともいえる、その作品から書き起こしてある。一々こんなものを読まなくても、興行主は彼だ。その内容も成功も知り抜いていた。
昨夏の『紅天女』は、これまでのオリジナルに即したものとはがらりと趣を変え、舞踊を絡めた、よりエンターテイメント色の強い内容になっていた。それが受け入れられたのは、これまでのものをベースとしただろう、主演女優の彼女のしっかりとした劇の解釈があってこそだ。
そして、今回の『紅天女』は日本だけでなく、アメリカでも二夜のみの公演を打った。これは、彼女のネームバリューを計算してのもので、元はといえば、この海外公演を見越して、輸出向けに演出の刷新を行った事情もある。
果たして、インパクトを重視した新しい演出も受け、大当たりした。そのライブ映像を収録したDVDの販売も現地では好調で、彼女の顔は有名経済紙の表紙を飾り、それは日本でも大いに話題になったのだ。
ちなみに、欧州で出したハミルの写真集の反響で同じ紙面の表紙を飾った、亜弓に遅れること二年の快挙だった。
短い滞在の中、頼まれて彼女は、以前のPV出演から親交のあるアーティストのロスでのコンサートに特別出演も果たしている。ある曲で舞を披露し、会場を沸かせた。その模様は彼も映像で見たが、ロマンチックな曲に合致した扇情的で美しいものだった。
好きなアーティストとの共演であり、よく楽しんでいたのはわかるが、過密なスケジュールの営業活動であるのは否めない。そして、彼女が公演先とは離れたロスの地を選んでコンサートの依頼を受けたのも、彼の名代で以前契約を結んだフィットネスオーナーへの挨拶をしてくれるためだった。
帰国後は少し疲れたようで、しばらく彼に甘えて過ごしていた。
記事は、新『紅天女』の成功に触れ、そこから彼女の驕った行為を綴り始める。一つ、移動には高級専用車を要求し、社からの出迎え見送りには大都芸能の重役が当たる、とある。そこで、彼は顔を上げた。
信じ難い。
「わたしもそんな事実は存じません」
水城も彼に同意する。
二つ目には、現場での特別待遇の要求がすさまじいとある。稽古の弁当破棄から始まり取材の場所設定、舞台や映画の演出への口出し、共演者への駄目だしと降板・交代の示唆。果てはロールのクレジットの順番に執拗にこだわるとあった。
『とにかく、彼女がいると現場がピリピリします。『マヤ様』のご機嫌を損ねれば、すぐに大都が「北島マヤを出さない」と大上段に来るでしょうし、他の出演者からは彼女への特別扱いにがんがんクレームもあるし。実際、困った勘違い天女様ですよ。…(某スタッフ談)』
更に記事は、彼女の大恩恵に浴する大都芸能の社風にこそ、マヤの暴走を産む原因があると指摘する。
社員からの声だとし、『社長からのトップダウンがとにかくすごいです。今の速水社長になって社の規模が拡大した事実はありますが、大株主のあのワンマンじゃ、誰も口をつぐみますよ。朝令暮改は当たり前、我々はとにかく俺様社長の言いなりです。滅多に社にいないのに、事、北島マヤの件では指示が徹底していますよ。「使い潰せ」がそれです。口癖です。旬のものは、廃れるまで使い切るのが、速水社長の考えです。そのためには、『マヤ様』のご機嫌取りに下の者が奔走するのなど、屁でもないですよ』
彼はちょっと吐息し、側の水城へ、
「俺は、「使い潰せ」が口癖か?」
「初耳ですわ。それに、この大都の誰かは、「滅多に社にいない」社長の口癖をよく知っていますわね」
「朝令暮改はないぞ。ワンマンで、俺様社長は認めるよ」
「あら、素直ですわね。…『マヤ様』、上の記事と被りますね。同じ人物が話しているみたいに…」
「ああ」
続く記事に目をやる前に、彼は秘書に訊いた。ぴんと指で紙を叩き、「俺は知らないが、マヤにこんな面が少しでもあるのか?」
秘書は首を振る。自分の知る限りではないと言い切った。
「ここにある多少のわがままは、売れたタレントであれば、ある程度やっているでしょう。けれど、あのマヤちゃんが他人を降板させたり、クレジットの順序にこだわるなんて…。想像がつきません、あり得ませんわ」
「俺もそう思う。大体破棄どころか、あの子は俺が留守だと、もらった弁当を持って帰って食ってるぞ」
「マヤちゃんらしいですわね」
上がった評判はいつかは落ちる。稀有な成功が続き、誰もが持ちあげた彼女を、世間はそろそろバッシングしたいのかもしれない。名と顔を売る以上、叩かれない者はいないから、有名税で、ある面はしょうがないと彼も思う。
ふとした違和感は、なぜ、それが今なのか、だ。鷹宮の騒動が始まるのに関連して、彼女への風向きが変わるような記事が出ると勘繰るのは、うがち過ぎだろうか。
続いての記事に目を落とした。こちらは彼女が長く指導を受け、『紅天女』を獲得する大きな手助けとなった人物との確執を書いてある。演出家の黒沼龍三との不仲とその理由を述べていた。
恩師である黒沼に、断交の意志ともとれる言葉を放ったのは、彼女だという。新たな演出になった新版『紅天女』について、アメリカ公演後取材を受けた彼女は、はっきりと以前の『紅天女』を超える作品だと断言したという。
『素晴らしく面白いですよ。演じる側も見る側も一体になれる演出です。…試演のとき、この演出で臨めていたらよかったのにと、悔やんだほど…。だったら、悩まずに済みました』。
一字一句違えず、彼女がこれを述べたと記事は言う。
(本当か?)
彼はちょっと愕然となった。試演からの『紅天女』を全否定したような言葉だった。
これを読めば、前の『紅天女』では役者と同じく舞台作りに苦労した、黒沼が楽しい訳がない。それ以前の舞台からも彼女の演技の面倒を見、大人の女優へ育てた感のある演出家である。
月影千草に次ぐ恩師にこの発言は、今の成功を嵩にしての増上慢だと指摘を受けても、確かにおかしくはない。
(本当ならば、だ)




           


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