天涯のバラ
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記事は、彼女の発言を受けての黒沼側の感触にも及んでいる。反応を見に、記者は彼女の言葉を伝えに行ったのだ。いずれもれ伝わるだろうが、この記事を書くがため、二人の炎上を目論んだと見えた。
黒沼本人の談はないが、『黒沼組』のスタッフの一人が、『黒沼監督の機嫌はそりゃ、悪いですよ。北島マヤとはつき合いも長いし、才能に惚れ込んで育てた役者でしたから。彼女の話を聞いて以来、だんまりですよ。ちょっと誰かが噂をしても、灰皿が飛びます。…マヤちゃんも、あんな身勝手なことを言う子じゃなかったんですが、もう大都芸能の看板大女優でしょうし、感覚が劇団役者の頃とは違うんでしょうね。寂しいですよ、それは…』。
また、大都芸能の文字が躍る。
読み終え、水城へ、「これは、差し止められないのだな?」
答えをわかっていながら訊く。
「ええ。販売の前に前刷りが回ってきたのは、お決まりの仁義みたいなものですから」
大物を扱う場合は、決まって事前に送られてくる。「こうなるけど、悪しからず」とのポーズだ。書かれる側には対応もあるから、知らされないよりましだが。
いつの取材であるのかは知れないが、海外公演後とあるから二月ほど前か…。すぐ記事にせず、二か月強も保存し、今頃出版する意図は、確かにあるように思われた。
彼は煙草をふかしながら、自分のケイタイを取った。彼女を呼び出す。幾らかのコールの後で、
『あ、速水さん』
「ちびちゃん、今どこだ?」
買い物をしてると言う。『キノコを見ています。しめじの大株を買おうかな…』
彼女はキノコの株を買うことに、今はまっている。家のキッチンには、シイタケだのマイタケだのの菌を埋め込んだ小さな木が幾つも並んでいた。栽培し、もちろん食べるのだ。
「キノコなんか放っておけ。少し早いが、社に来い。話がある」
『何ですか?』
「キノコより大事なことだ。いいからすぐ来い」
『はい』
電話を切り、水城が笑いを押さえているのに気づいた。問いたそうなので、教えてやった。
「キノコを集めてるんだ、あの子は」
口にしながら頬が緩んだ。ごく身内に入れた彼女のこと話すのは、いつだって、彼にちょっとこそばゆく嬉しいのだ。
彼女はそれから四十分ほどして現れた。その間、彼は仕事をしながらも苛々して待った。水城が彼女の到着を告げたとき、彼はデスクにペンを放り、立ち上がった。しかし、その後も、彼女はなかなか部屋に来ない。
焦れて彼は、ドアを開けた。フロアは役員室が並ぶ。ある扉の前で、アイボリーのワンピース姿の彼女は一人の役員と和やかに話し込んでいた。紙袋をその男に差し出している。「いや、マヤちゃん、ありがとう。家内に言っておくよ」
「獲れたては、ぷりぷりして本当においしいですよ。お試し下さい」
キノコの苗をくれてやったのだ。のどかな様子に彼は苛立ちが増す。あの記事を読んでからざわめいた胸を、彼女の能天気が逆なでした。「北島」と大声で呼び捨て、
「何をしてる、早く来いと言っただろ。俺をどれだけ待たせれば気が済むんだ」
憚らず、きつい調子で怒鳴りつけた。慌てた役員は彼に会釈し下がり、彼女はちょっと肩を竦めて、社長室へ小走りで来る。
部屋に入れ、座るよう促した。彼女はちょこんとソファに座る。
「急げと俺は言ったぞ。何をのんきにキノコなんか配ってるんだ」
彼はまだ残る苛立ちを、押さえつつも彼女にもらす。
今日彼女は、彼をこの後の会合に送ることになっていた。そのため社には車で来ている。本来はもっと遅くにやって来る予定が、彼が急に呼び出したので、道が特に混み合う夕刻の時間になった。
長く待ったのは、キノコを抜いても多分に彼のせいだ。
彼女はごめんなさい、と彼を見る。懲りてもいず、ちろっと舌を出すその様が可愛く、苛立ちもすぐに引っ込んだ。
さっき彼女がキノコをやった役員などは、『紅天女』以前の彼女を蔑視していた一人だ。そんなのが、社にはごろごろいる。それが、状況が一転し、彼女は一躍大スターになった。そういった手合いは、蔑んだ過去などなかったかのように、気さくな彼女へ「マヤちゃん」などと親しみを見せているのだ。
芸能社会でなくとも、実力主義の場ではよくあるだろう事例だが、長く彼女を信じ、見守ってきた自分とは絶対的に違うと、彼がそれら手のひら返しに、違和感を思うのは拭えない。
そういえば、とふと思い出す。
彼女が仲間と贔屓にする割烹のオーナー、演劇協会の山岸理事長は、昔から姫川亜弓に圧倒的に不利な彼女に対しても、いつも中立な態度を崩さなかったな、と記憶がめぐる。
敬遠するのは止めにして、奥方のあの割烹も、何かのつき合いの席に使ってみようと、優しい気持ちになった。
そこへ水城が現れ、彼女にミルクティーを振舞った。
彼は秘書に残るよう言い、ソファを勧めた。彼女の隣りに掛けた水城は、
「びっくりしたわ。社長のあの怒鳴り声。わたしも久しぶりよ。昔を知らない秘書室の若い子なんか、竦んじゃって大変」
「あははは」
「ご自宅でもそうなの?」
「そうですね、あんまり変わらないかも」
「プライベートで、いつ地雷を踏むかわからない生活なんて…。マヤちゃん、あなたには頭が下がるわ。わたしは絶対無理よ」
「聖さん、すごく優しいですものね。怒ったところなんか、想像できない」
「わたしもよ。何に怒るのか、試してみたいわ」
「あはは」
彼女は笑い、ミルクティーを飲んだ。
「…でも、最近誰も叱ってくれなくて、速水さんみたいながみがみ言ってくれる人は、貴重なんですよ」
女同士の他愛ない話を、彼は煙草を吸い、ソファの背に腰掛け聞いていた。しばらく置いて、口を開いた。
「これは、君が本当に言ったことか?」
ぽんと、テーブルに前刷りの記事を放って見せる。彼女はカップを置き、それを手に取った。ゆっくりと目で追っている。
「そうでないなら、厳重に抗議してやる。黒沼さんにも、俺から謝ってお…」
「わたしが言いました」
「え」
彼と秘書の目が、彼女を見た。彼女はまだ記事に目を落としている。見ながら、「本当に、この通り言いました。ごめんなさい」
彼と秘書はふと目を合わせた。こんな返しなど期待していなかったのだ。よくあるように、彼女の言のどこかをすくい貼り合わせ、この記事の内容が作られたのだと考えていた。
「あ、でも、お弁当を捨てたり、駄目だしとか、専用車とか…、他のことは違いますよ」
「そんなことはわかってる」
彼は彼女の前に座った。




           


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