天涯のバラ
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「速水さんの意地悪なところ、…慣れているけど、嫌だなって思うこともあります」
「怒ったのか?」
それに返事はない。彼は焦って、彼女の側へ向いた。「なあ、何が嫌なのか言ってくれ。わからない…」
「本当に、わかりませんか?」
冷めた声だ。こんな調子で彼にものを言う彼女を、随分知らない。
さっきの暴言が発端だとは気づくが、それだけで彼女は引きずることはないはずだ。自分のこれまでの言動で、彼女の心の琴線に触れたものが幾らもあり、それらの積み重ねなのか…。
(それが、さっきの「商売女」であふれ出した?)
「気づきもしないなんて…、がっかり」
「気づかないから、君を怒らせたんだろう。なあ、文句があるなら言ってくれ」
「考えてもくれない。もう嫌い、速水さん」
(「もう嫌い、速水さん」…)
がつんと頭を殴られるような衝撃と、目の前が暗くなるかの錯覚が襲う。いきなり巻き起こる心の嵐に、眩暈がしそうになった。
昔も散々罵られたが、今のハンドルを握る彼女から放たれるものは、ガラス越しにでも聞いていたようなそれらとは破壊力が違う。
額に手を置き、つい瞳が落ちた。
そこで、不意にくすくすと笑い声が聞こえた。顔を上げれば、ちょっと彼を見た彼女が笑顔でいる。楽し気に頬を緩め、
「ごめんなさい、ちょっと意地悪しました。面白くって」
(面白い、だと)
「俺は、本気で君が気分を害したのかと思って、どうしようかと真剣に悩んだんだぞ」
「だから、ごめんなさい」
彼女はハンドルから片手を離し、彼の膝にちょんと置いた。少しなぜるように動かすから、そんなあやすような仕草に、ひととき前の心の嵐がふっと凪ぐ。
「まったく…」
それでもむすっとしたままぼやいた。
「前によく、わたし速水さんにからかわれたでしょう? この人、何でわたしにあんな風に構うのかと不思議だったんです。でも、今その気持ちがすごくわかります。面白いんですよね。ちゃんと期待の反応してもらえると」
そこで彼女は、またくすくす笑った。思いがけない因果応報に、唇の端を曲げ彼は口を閉ざした。
しばらくして、
「君は人が悪いぞ。俺の気持ちをなぶって遊ぶなんて」
「ごめんなさい。でも、速水さんがおでこに手をやったから、すぐに止めたでしょ」
額に手を当てるのは、彼が度を失うようなときに知らず出る癖だ。
(人を観察しやがって)
どれほど彼女が体面的に内面的に彼を立ててくれていても、本質では彼のほぼすべてを握られてしまっているのだ。いつか、彼の義父が彼女に惚れ込む彼を、「キンタマを握られて」とからかったが、
(そんな一部どころか、全部だ)
と、今の彼女と自分の立ち位置を痛感している。
「さっきみたいなのは、冗談にならない」
「はい、もうしません。ごめんなさい」
「わかったなら、いいよ」
ふと彼女が、話題を変えた。×山が彼のことを噂していたという。
「速水さんがクラブのきれいどころに、すご〜くもててたって」
「知らない」
「あんなしっかりしたお姐さんたちが、速水さんになら、売上関係なくサービスしていたって。速水さんも満更でもないみたいな様子だったとか…」
雲行きが怪しくなってきた。
(×山さん、何をこの子に言ったんだ)
彼は煙草を取り出し、くわえた。火を点け、知らん顔で車窓を見る。「つき合いじゃないか、仏頂面していられないよ」。
あまり意識しないが、彼がそういう場で女性にもてるのは知っていた。毛並みがよく見え、既婚者であるのも信用になるのかもしれない。しかし、疚しいことはないはずだ。接待やつき合いの流れで、乱れたことは一切ない、と自負する。
なぜか、なかなか次を継がない彼女に焦れ、彼は目を向けた。
「だから…」
「だから、何だ?」
「今はわたしがいるから、行かないって言ってくれて、すごくほっとしたんです」
彼女とタイプの違う色っぽい女性に、彼が不意にくらっとくるのじゃないか、と不安になるのだと言った。
「え…」
絶句する。
そういう気持ちを持ちながら、彼をからかって遊ぶのだ。
(女は怖い)
しかし、妬いてくれるのだと思えばやはり嬉しい。かなり嬉しい。
「行かないよ」
彼は膝に乗ったままの彼女の手を握った。すぐに離す。「両手で持って、危ないぞ」と、ハンドルを握るよう促した。




           


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