天涯のバラ
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彼女は気強く耐えている。ただ、醜聞が『紅天女』に障ることと、社と彼の名が登場してしまうことを済まなく感じているようだった。
亜弓との扱いの差について、彼が愚痴れば、人は貴種信仰の傾向があるらしいのだと、前に聞いたという話を持ち出した。本人の資質以前に、親や出自を見て判断したくなるものらしい、と述べた。
「わかります。親がちゃんとしていると、信用できそうじゃないですか。わたしも選挙に行くのなら、有名な二世議員に入れるだろうな。選挙行かないけど」
「選挙は行けよ」
彼女の言いたことはよく伝わった。亜弓には両親の大きな信頼あるブランドがあり、それがため、人はある安心感を得るのだと。そんな人物に攻撃はし辛い。
「その反面、わたしはどこか胡散臭いんだと思います。親の信用もないのに、賞をもらったり、『紅天女』を継いだり…。何か裏で悪いことをして手に入れたんじゃないかって、勘繰りたくなるのかも。変な噂だってしたくなるでしょ。おかしくない」
(またか)
彼女はときに、自分をひどく客観視して見る。以前「北島マヤと恋愛をしたがる男はいない」と告げたときも、彼はその可愛げのない意見に驚きながらも、冷静な判断には頷かざるをえなかったのだ。
僻むのでもなく、過小評価の自己憐憫に浸るのでもない。ただただ正しく冷静なのだ。
彼がそんな彼女を見て、ちょっと思うのは、彼女は自分自身に愛着があるのか、という疑いだ。そんな自己愛が、きっと人の内省を妨げたり自己判断を誤らせたりする。若く、更に成功者であれば、いい意味でもより自己愛は深いだろう。
彼女のあまりに的確なそれは、まるで私情を入れない他人を見るかのようだった。
そんな思いに、いつか彼女がもらした言葉を思い出すのだ。試演の際、「わたしは、自分と引き換えに阿古夜になった」と、彼女は吐き出すように告げた。今もその痛みを忘れず、『紅天女』には、小さくない負のこだわりを持っている。
彼にはわからない。壮絶だっただろう、と、演者ゆえのその覚悟をやんわり推し量るのみだ。
(その最中に、彼女は大人になったのかもしれない…)
ぼんやりと思う。ずっと手を伸べていた彼の紫のバラを断つことを決めたのも、その表れなのだろう、と。いつか、水城は彼女のその決意を、「恩返しに見せた縁切り」だと言った。
(そうかもしれない)
これ以上の援助を「卒業」という形で辞退し、あの『紅天女』を持参して大都芸能に入ることで、彼へこれまでの清算をしたつもりだったのかもしれない。「もうあなたの助けは要らない」。「さようなら」。「これ以上、わたしに構わないで」…。
(彼女から、そう告げられたことはない)
しかし、再会までの間、彼との間に距離だけではない大きな溝を作ったのは、彼女の方からだ。
記憶の中の彼女が、やんわり彼へ突きつけたのは、確かに「恩返しに見せた縁切り」であったのかもしれない。
それらの思いは、少なからずショックである。彼とは違い、彼女には紫のバラの人に親愛以上のものを持たなかったのだ。『紅天女』を経たのちの心境では、彼の行いは過剰で重い父性愛にも感じられたのだろうか。
(何を思っても、繰り言か…)
彼女の淡々とした自己評価に、彼は返し、
「君の努力は俺が、一番知ってる。俺は君にあれこれと手を貸したが、一度だって、君の代わりに舞台に立ってやったり、裏で手を回したりはしていないんだからな」
「そうですね。…でも、舞台に立った速水さんは見てみたい」
彼女はくすくす笑う。
「せりふなしの斬られ役なら、できるかもな」
「速水さん…」
彼女が彼の目をのぞく。紫織との凄惨なあの出来事をこんな冗談にできるとは、と彼は口にしてからちょっと驚いた。時間の経過と彼女の存在の大きさが、自分を癒したことを彼は思う。
(あの夜…)
背を斜めに切り下げられたのち、たたらを踏んで前にのめりそうになった彼へ、紫織はもう一度包丁を振りかざした。その気配に、彼はとっさに振り返り、その胸を蹴り倒したのだ。
帰宅間もなくで、出迎えた朝倉が、その辺りにいるはずだった。彼は「来てくれ!」と叫んだ。よろめく足で歩き、紫織の握ったままの包丁を奪い、あらぬ方へ投げやった。朝倉が駆けつけたときも、紫織は仰向けに倒れたまま放心していた…。
甦った記憶を、彼は軽く頭を振って流した。
(紫織は、あの事で、俺への怒りや恨みを、チャラに出来たのかもしれない)
痛みも衝撃も、彼があの殺意を許すことはない。ただ、紫織を責めないだけだ。
彼はじっと彼を見る彼女の頬に触れ、話題を変えた。
「ああも書かれるのは、君にも責任があるぞ。あの俳優とのいちゃつき過ぎは目に余った」
「え」
「仕事だとか演出だとかは、どうでもいい。あんなにべったりとしていたら、噂が立ってもおかしくない」
「あ」
話の流れが変わり、きょとんとしていた彼女だが、ふと顔を赤らめた。両手を頬に当て、ぽっと恥じらうように、彼から目を逸らした。
「何だ?」
「いいえ、別に…」
そうは言いながら、歯切れが悪い。赤い顔をしてはにかんでいるのを見て、彼は妙な気がしてきた。
(実際、何かあったのか? あの男と)
「おい、ちびちゃん、こっちを見なさい」
「え」
「え、じゃない」
彼は彼女の顎をつまみ、自分へ向かせる。「本当は何かあったのか? あいつと」
「ない、ない」
「じゃあ、何で赤くなるんだ? …何を思い出したんだ?」
「…速水さん、声が怖い」
「怖くない」
「自分じゃわからないんです」
「言いなさい」
「キスだけです、ステューとは。仕事で…」
「じゃあ、今更何で赤くなって照れるんだ?」
「だって…」
と彼女がぼそぼそ語ったところによると、前の映画で相棒兼恋人未満の役を務めた二人は、そういう雰囲気を作ろうと、二人で演技の工夫を行ったらしい。年長で恋愛経験の豊富なステューに、彼女はそのやり様を委ねた。
「あんなにキスしたことはない」と彼女はちょっと嘆息する。そうやって密なムードを高め、ある段階でステューの指示で二人は距離を取る。そうすると、互いに姿を見るだけで、ふとときめいてしまう。
疑似恋愛で気持ち煽り合い、
「そうやって、彼とのキスシーンを撮ったんです。あれは、一発で決めて、二人で周囲に褒められちゃった」
そんなこんなを、ステューと再会し、思い出したという。それで恥ずかしくなった、と笑う。
(「あんなにキスしたことはない」というと、俺がしたより多いのか? こっちは二年近いんだぞ。いや、量ではなく、密度か? そうなのか?)
彼が黙り込んでいると、彼女がうかがうように、「速水さん、怒ってる?」
「面白くはない。だが仕事なら、しょうがないよ。それで、そんな恋愛もどきの気分を作って、撮影が終われば、ぱっと冷めるのか?」
「だから、仲はよくなりますよ。ホームパーティーで飲んだり、旅行に行こうって話が出たり」
「旅行?」
映画のクランクアップ後、ステューに旅行に誘われたという。「アラスカに行こうって、オーロラを見るんですって。寒いの嫌だって断ったら、怒っちゃった。せっかく暖かな西海岸に住んでるのに、何であんな寒いところに行くんだろ…。白クマがいるんですよ」
「ちびちゃん、それは…」
言いかけた言葉を、彼はのんだ。撮影のための疑似恋愛だったのはお互いだろうが、どこからか相手だけ、擬似から逸脱し始めたのだろう。
(いやはや)
と彼は軽く頭を振った。自分以外にも、彼女に振り回され、煮え湯を飲む思いをした男はいるのだ。
「舞台のたびに恋をしていたら、わたし、何度桜小路君と結婚していなくちゃいけないんだろう。ね、おかしいでしょう?」
「そうだな」
そんな彼女が自分を選んでくれたことは、奇跡のようでやはり必然なのだろうか。
彼はちょっと間を置き、訊いた。
「なあ、ちびちゃん、俺が君をアラスカに誘ったらどうする?」
「え。白クマ見たいんですか?」
それを笑いでかわし、「なあ?」と問う。
彼女は上目遣いで彼を見て、彼の腕を取った。胸に抱き、甘えるように言うのだ。
「速水さんとなら行こうかな。こんな風にしていられるから」




           


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