天涯のバラ
56
 
 
 
帰国した彼女を伴い、またパーティーをこなした。ある場で、×山らと会うことがあった。
挨拶が済めば、×山は彼とは離れて客を回っている彼女の姿を捉え、
「あの北マヤも、女らしくなってきたな」
としみじみ言う。彼女を「北マヤ」と変わったニックネームで呼ぶのは、他人への彼女との親しさのアピールだろう。あちこちでこの呼び名を出すのを、彼は耳にしたことがある。『北島マヤ』の名と彼女との親交は、大抵の社交の場で、かなりのパンチが効く。
「『紅天女』を獲って騒がれた頃は、棒っきれみたいな子で、こんなのが大丈夫かと思ったが、色っぽくなった。君も思うだろ?」
彼はグラスに口を付け、適当に相槌を返したが、胸が波立った。
「男がいるだろ、あれは。なあ、速水君、どうなんだ?」
「…いるようなことは聞いていますが、詳しくは…」
「そうか…。いや、いい女になった」
何かをたっぷり含む言葉を口にし、彼女を見ている。目が合いでもしたのか、ちょいちょいとこちらへ招いた。程なく、彼女がやって来る。やはり着物を着ている。この日も彼の母の形見の品だ。
彼女の挨拶を受け、×山は渡米していた撮影のことを訊いた。彼も繰り返し耳にした話ばかりだ。目新しいのは、オーストラリアの郊外に、×山がコテージを持っていると言い、彼女がそれに目を輝かせたことだ。
「今度、撮影に行くことがあったら、使ったらいい。そんな、金曜日に殺人鬼が襲ってきそうなキャンプ場よりはずっとましだぞ」
「ありがとうございます。お使いにならないんですか? あんな素敵なところにあるのに」
「子供が小さいうちは、学校の休みごとに連れて行ったもんだが、大きくなったらそれも減ってね。管理させているだけで、滅多に足も向かないよ」
その足も向かない海外のコテージは、去年愛人を伴っているのを彼は知っているが、黙っていた。
「そういうものなんですか」
「そういうものだ。しかし、物件としてはいいよ」
彼女は友人が持つ海外での家に、とても魅かれたといった。「買えばいいだろ? 北マヤなら、ロス辺りも便利でいいんじゃないか?」
「とてもとても。わたしなんかには手が届きません。…あれこれ難しそうだし…」
彼女は首を振る。慌てて否定はしつつも、所有に少なくない色気はありそうだった。これは彼には珍しく映り、やや場を忘れて彼女を見つめた。物欲が極端に少ないのが、再会後の彼女の特徴だったのだ。
「そうか? 事務の面は専門家に任せればいいし、北マヤには例の、ほら…、派手なつてがあるだろう? 信用のある物件を、その彼を通じて探してもらえばいい」
「え」
×山の当てこすりめいた発言に、一瞬きょとんとした彼女だが、すぐにひらめき、「ああ」と笑った。×山は彼女の「男」が、前に噂になった米の俳優ステューだと見ているようだった。今のところ世間が知る中で、あの俳優程彼女に似つかわしい男はいない。
彼女は曖昧に笑ってやり過ごした。
「君も随分成長したと、速水君と話していたんだ。その、飛躍の裏には、やっぱりあるんだろう…?」
ぼやかし方、語尾のにごし方がやや卑猥で、彼は苦笑した。きれいどころを交えてのこういった話題は、×山が好んで得意とするところだ。卑猥でも湿った感がなく、大人の会話として終始させるのが狡くも巧い。
「え」
彼女は彼を見た。軽く睨むもので、「そんなことまで話したんですか、社長」。
マスコミ相手でもないのだ。ステューを架空の恋人とし、何の言質も与えずにそれと匂わせるのが、彼女にとって何よりのプライバシーのバリアになる。とっさに考え、芝居を打ったのを、彼は彼女のセリフで感づいた。
「いや、俺は何も言ってないぞ。第一、君のプライバシーは知らない」
彼女は×山を向き、声を落とした。
「…すごく、今、大事なときなんです。お互いに、仕事とのバランスが難しくて…、離れてもいるし…」
「そんな面倒臭い奴は止めろ。役者の男は個性派ぞろいの上、外見ばっかりで中身はぱっとしないぞ」
実は×山の暴言は、偶然にも彼女のそれと同じものだった。外見ばっかり〜とまで乱暴なことを彼女は言わないが、「俳優とはちょっと合わない」と彼女がはっきり言うのを聞いたことがある。
「その面倒なところが、すご〜くいいんです」
と彼女は可愛らしくのろけて見せた。×山は彼を見て、「やれやれ」といた風で笑った。芝居の幕だ。
「お、そうだ、北マヤ。速水君が『新橋の』と、とうとう切れたらしいぞ。君からも口説いてくれ、次は俺にあの子を紹介しろと」
藪から棒に、と思ったが、彼は笑って流した。彼女が、「へえ」と彼を見る。ソースがどこか不明だが、彼には新橋の元芸妓の愛人がいるという噂を彼女はこういった場でも、耳にしている。
「気に入って落籍せるまでしたのに、もう終わったらしい」
彼を前に、彼女に囁く風で面白がっている。「ずっとご無沙汰だったのに、ここ最近は、随分とつき合いが良くなったんだよ。あれは、クラブや座敷で、『新橋の』次の新しいのを物色してるんだ」
彼女は目で笑い、「へえ」と頷きながら彼を見ている。「社長は、お忙しいんですね。昼も夜も…」
(しまった)
と思ったときにはもう遅かった。彼女が留守の間の三月余り、時間を持て余し、接待にはよくつき合っていた。疚しいことなど何もないが、彼女に以前「今は君がいるから行かない」とぶった手前、何とも気まずい。
「彼がいると、店中の子が集まる。取り澄ましたママまでもが、しなだれかかる有り様で、こっちはそのおこぼれにあずかるという訳だ。ははは」
「×山さん、それはひどい。そんなことはないでしょう」
「ほら速水君は、煙草を使った手品が上手くてな、そんなものにも、女の子は大喜びだ」
ちょっとした座持ちにやったのを思い出した。大したものでもなく、手のひらに付けた灰が消える…、という奴だ。
彼女はにこにこ聞いているが、彼に向けたうなじから背の辺りが何か言いたげで、怖いのだ。
「…だから、終わった『新橋の』を、こっちに紹介しろと頼んでいるんだ。北マヤからも言ってくれ」
こんな砕けた話が出来るのも、彼女を信用してのことだ。和やかに面白く受けて流し、他言することは決してない。
「それだと、速水社長の『お古』の女性と×山さんが、おつき合いすることになりますけど、いいんですか? 知ってる人の、その…、ねえ…」
「構わんよ。我々みたいなのを相手にしてきた程の女だぞ。一人二人、三人との関係に破れたからといって、田舎に引っ込んで小料理屋なんぞ始められては堪らん。どんと来いだ。俺が、速水君に弄ばれて痛めた心を、深い度量で癒してやるよ」
「あははは」
彼女は面白そうに手を叩いて笑った。「頼もしいなあ。わたしも恋に破れて疲れ果てたら、×山さんに癒してもらおうかな」
「女優は門外漢だが、まあ北マヤなら、これまでの成り行きで、面倒見るか。あの色男と別れたら、俺に泣きついて来い」
「どんと来い?」
「どんと来いだ」
×山とは談笑して別れた。彼女とは別に接客し、そろそろ辞去のつもりで、会場の喫煙場となっている庭園に続くテラスに出た。手すりに背をもたせ掛け、一服しながら、会の様子を見るともなしに眺めた。
このパーティーは、ある大規模なチャリティーのために協賛した多企業の打ち上げのようなものだった。役者やモデルなどもちらちら混じるが、マヤはそれらの中で名が頭抜けている。
ふと見ると、彼女が桜小路と話していた。グラスを持ち、頷き合っている。目を引くのは、『紅天女』を長く演じた者同士のオーラだろうか。程なくして離れるが、その際に桜小路は彼女の肩にやや長く手を添えた。その余計な仕草に、
(のちあいつも、×山さんのようなスケベな中年に進化していくんだろう)
自分のことは棚に上げ、偉そうに思った。
煙草を吸ってから、会場に戻った。
彼女を連れ、場となったホテルを出た。帰りはタクシーを使った。彼女と二人で帰るときは運転手の目もあり、社用車は避けていた。
彼はタイを外したスーツのままだが、彼女は着替えていた。着物を入れたバックを膝に乗せている。アイボリーのワンピースではなく、白いブラウスに紺のプリーツスカートだ。深めに開いた胸元に、以前彼から贈られたネックレスが煌めいている。
ワンピースとこれで、今の時期のツートップだ。彼女のこの格好を彼は本当によく見ているのに、可憐な風情で、胸元にそっと手を差し入れたくなるのだ。
前に運転する人物がいるのに、後ろで何やらやらかす趣味は彼にはない。あくびをして車窓を見ると、彼女がちょんと彼の膝を叩いた。
「どうした?」
「手品って、どんなの?」
(ああ、来たか)
彼女が朗らかで屈託ない様子なので、流してくれたものとばかりに、彼は忘れていた。「帰ったら、やってあげるよ」
それで機嫌が直るのなら、易いことだ。
「いい、見たくない」
彼女はつんと顔を背けた。「どんなの?」と訊いたくせに、やってやると言えば、拗ねた風だ。妬いている様子が見え、彼女が可愛い。
膝から離れた手を探って捉えた。ぎゅっと握り、指を絡める。
「悪かった。何にもないから」
「知らない」
まだ距離があるのを知りながら、早く着かないかと、彼は焦れて思う。
自分から離れ、窓を見る彼女の手をそのまま強く引いた。傾いだ彼女の身体が彼の胸に当たる。背に手を回し、離さずに抱き寄せた。腕の中で、彼女がややたじろぐ。
暗い車内の、ルームミラーにその様子がきっと写るのを意識はしたが、
(これくらい、いいだろ)
彼は知らん顔で車窓を眺めた。




           


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