天涯のバラ
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帰宅し、バラを活ける彼女の背に、義父の発案を持ち出した。彼女は唖然とした顔をしたが、すぐに笑い出す。彼と義父がそっくりだというのだ。
「どうして?」
「だって、前に速水さん、わたしに養女になれって誘ったでしょ? 考えることが同じ。さすが親子ですね」
雰囲気も似ているし、と付け足す。彼女は、彼と義父が血のつながりがないことは知っている。それでもこんなことを言うのだ。ふと、以前黒沼と飲んだ際に、その店の店主にも同じようなことを指摘されたことを思い出す。
嬉しくもないが、ショックでもないのだ。意外でもあるが、三十年以上も長く親子をやり、家業も継いでいる。似てきてもおかしくない。
彼女はバラを活け、それをテラスの前の床にに置いた。ソファに掛けた彼の側に来て、その足元に座った。頬に両の手を当て、彼の膝に肘を置く。
そのまま彼を見上げ、
「理由も同じ?」
以前、彼が彼女に養女になることを勧めたのは、家族になるためだった。今回もほぼ同じと言っていい。
頷き、彼は、
「飾らずに言うよ。俺も義父も、今後君を失いたくないんだ。そのために、戸籍上でも家族のつながり欲しい」
「速水さんと兄妹か…」
「戸籍上だけだ。嫌か?」
彼女は少し考える風に、目を彷徨わせる。その彼女に、彼は言葉を継いで、
「ゆっくり考えてくれと言いたいが、いい返事が欲しい。できるだけ早く。頼む」
「…じゃあ、今返事をします。いいですよ」
早くとは言ったが、即答されるとは意外で、彼は虚を衝かれた。彼女は彼の様子に、ちょっと笑う。
「早くしてくれって、自分で言ったのに」
「そうは言ったが…。いいんだな?」
「わたしは、別に構いません。二人がそれでいいのなら。…でも、どうして急に? 
速水さんと会長さんの親子で、何か企んでいると、怖いな。ふふ」
からかうように言う。
(俺と親父には、確かに前科がある)
彼は少し言葉に迷った。義父と話したことの全てを告げれば、彼女は嫌な思いをするだろう。しかし、理由をぼやかしたままでは、のち彼女の不信を煽ることになりかねない。
彼は腹を決め、彼女を見つめた。その髪に指を触れさせ、義父が口にした不安を、ほぼそのまま伝えた。
「俺もそう思うんだ。…子供を産んだら、君は、俺から離れていくんじゃないかと、少し怖い」
自分が妻帯者であること、離婚はすぐには難しいこと…。自由な今は、彼女にそう負担ではないそれらが、子供を持ったのち、変わってしまうのではないか…。それが怖いのだ、と。
彼女は目を伏せた。彼の膝から肘を離し、代わりにそこに手を置き、頬を寄せた。
かつて、彼とこうなる前の彼女は、『精子バンク』で子供を作り、一人で育てようと決心していた。元よりその覚悟も度胸も、経済的な余裕もあるのだ。
彼女は顔を上げ、彼を見た。
「…かない」
「え」
「行きませんよ、わたしは。速水さんが、わたしを捨てない限り、どこにも行かない。前に…」
と、彼女は『精子バンク』にこだわったのは、彼が妻の元に帰ることを決めたときのための、逃げなのだ、と言った。だから、自分から彼の元を去ることはない、と言う。
「速水さんと別れることを考えないことはないけれど…、それは、きっとわたしからじゃない。信じて、としか言えないけど…」
「いい話じゃないのは、わかってる。すまない」
「ううん」
彼女はちょっと間を置き、「止める?」と訊く。
「え」
「子供、止めますか? 速水さんがそんな風に感じるのなら…。欲しい気持ちに嘘はないけど、わたしたちの関係の方が、大事でしょ?」
「いや、それはよくない。君に我慢させることになる。それに、俺だって、君との子供は欲しいよ」
彼は、彼女が、彼の不安を拭うためなら、願っていた子供の方をあきらめようとする姿勢に驚いた。強く気持ちを揺さぶられた。彼女の手を引き、自分の膝に抱き上げる。
「君が、義父の養女になってくれれば、それでいいよ。それで、俺と君は、家族になるんだ。少々、…かなり歪だが、悪くない」
彼女は彼の胸に身体を預け、くすくす笑った。「速水さんと、兄妹か…」
「吹聴して歩く必要はないんだ。形だ、気にするな」
「ねえ、速水さん、…ちょっといいですか?」
「何だ?」
「お兄さん」
それは彼女の女優の声だ。放ったそこに、兄への親しみと愛情がにじむ。たった一声だけで、兄への距離の近さと妹の優しい心持ちが匂うのだ。まるで知らない彼女がそこにいる。
彼はぎょっとなり、彼女を見た。その刹那、「幕」と告げるように、彼女はぱちりと瞳を閉じた。微笑んだ。
「びっくりした?」
「…したよ」
「ふふ。面白い」
「面白がるな。普段は忘れていてくれ。俺もそうする」
彼女は、はいと頷き、「ねえ」、とまた呼びかけた。彼は応じるように目を彼女へ向ける。
「愛人にしてくれって、わたしが言い出したの、速水さん、覚えていますか?」
「ああ、忘れられないよ」
ひどく驚かされ、うろたえ、混乱した記憶はまだ新しい。彼女の熱意に押し切られる形で一線を超えたが、あれは、彼女が彼の気持ちを知り、引き出してくれたのだと思う。彼の楽な方へ、願う方へ。
今そのことを持ち出す彼女へ、言葉の先を促すように彼はその髪に触れた。指に絡める。
「わたしから、今の状況を作ったの。だから、その責任は取るつもりでいます」
「責任って。そんな気持ちは俺にはないぞ。それに、君は責任感で俺と一緒にいるのか?」
そうじゃない、と彼女は首を振った。「そうじゃないけど」。
「それくらいを覚悟して言ったの。速水さんとなら、どうなってもいいって思ったの。…今もそう」
「え」
非常な告白をさらりと告げ、彼女は驚く彼を措き、「あ、でも、速水さんは好きなときに逃げていいですよ。そんなことで、わたし、あなたを恨んだりなんてしないから」
彼は言葉を継げなかった。
(いつもそうだ)
彼は思う。何気なく、彼女は彼の心の深いところに染み入るような言葉を投げて来るのだ。その効果を、彼女は量るのだろうか、探るのだろうか。
そうではないと、彼は知っていた。そういう子じゃないのだ。ずっと前に彼が見つけ、夢中になった少女は、その無垢をそのままに魅力を増し、大人になった。そして、まだ人の気持ちを弄ぶ術を知らない。
(十分、その腕があるのに)
返事の代わりに、彼女をぎゅっと強く抱きしめながら、離さないと、彼女ではなく自分自身に誓った。
ちょっと苦しいと彼女は抗ったが、彼はそのまま彼女をしばらく留めていたくなるのだ。自分の中に閉じ込めるように。




           


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