みいちゃん
2
 
 
 
知らない街だ。彼女に指示し、さっきからペットショップを探させている。彼女は自分のケイタイをいじり、幾つか候補をピックアップした。
「●×ペット店は? 白田町? ってところの4丁目」
その声に、運転しながらナビの画面でざっと地図をチェックした。「遠い。市外に出てしまう」。
「ここも駄目? もう、ケチばっかりつける…」
彼女のボヤきに、
「高速で来た道を、下道で戻るのは馬鹿みたいじゃないか。せっかく目的地の近くにいるんだ。この辺りにないのか?」
「どうせ馬鹿ですよ。地図音痴だし」
「君に言ったんじゃない。金を払って飛ばして来た道を、意味なく引き返すのがおかしいと言ったんだ」
「お金お金って、大都の社長さんせこい」
「せこいって、無駄なことは避けたいってだけだ。それに、金のことは一度しか言ってな…」
「こんな高そうな燃費の悪い車に乗ってるくせに、無駄なことは避けたいって、変なの!」
「関係のないことを持ち出すな。…いいから、それを貸せ」
まあるい棘が潜んでいるような言い合いに倦んで、彼は車を路肩に停車させた。彼女へ手を出した。
「ちょっと待って…、あ、ここは?」
「どれ?」
彼女が示す画面をのぞき込む。
『ペットショップ ラブリー』とある。住所を見れば、ナビの現在地から近い。
「ここにするか?」
彼女の返事を待つまでもなく、彼は車を道路へ戻した。オフとはいえ、時間はふんだんにある訳じゃない。こんなことで悩むのは、時間の無駄遣いでしかない。
「うん。…あ、クーポンがある。これを見せれば、5パーセントオフしてくれて、猫のおやつもくれるんだって。お得でしょ、ね、ケチな速水さんにぴったり!」
彼は左手をハンドルから離し、彼女の右頬をやんわりとでもぎゅっと引っ張ってやった。
「どの口が、そんな嫌味を言うんだ。この口か」
「ひゃやひさん…、ひゃへれ…」
「えらく俗っぽいな。おい、ちびちゃん、一体誰から感化を受けた? 舞台の共演者か?」
放された頬を大げさにさすりながら、彼女は彼へ視線を向けた。いたずらっぽく笑う。こちらをからかって楽しんでいるのがわかる。
二人の間では、主導権を握っていたのはいつだって自分だったはずなのに、このところ、いつの間にかその位置が逆転してしまっていることがある。焦るほどではないが、彼はあきれるような拍子抜けしたような気分になるのだ。
往時を振り返れば、成長したものだとは思うが、ただこのまま芸能界に身を置くことになる彼女が、このまま横身に逸れすれていくのは好ましくない。
「えへ。俗っぽいですか?」 
「そうだな。君が下品に見える言い方だぞ。腐っても『紅天女』女優だ。その格を考えてつき合う相手を選べ」
彼女にこんな変化の影響を与えた相手が、俳優連中だろうがスタッフだろうが、ろくな男(なぜか)じゃないな、と思った。
「下品…、ですか?」
「そう。腹黒くて、計算高くもな」
彼女は、気分を害した風もなく、ふうんと相槌を返した。諭すところは諭し、正すところは正してやらないと、と彼女への長い癖でついそんなことを思うのだ。
「下品で、腹黒くて、計算高いのか…。でも長いつき合いだもん、しょうがないですね、影響を受けちゃうのは。うぶな思春期にしょっちゅう会ってたし。わたし、きっと悪い刺激を受けまくっちゃったんですね」
にんまりと、とぼけた口調でそんなことを言う。
そこまで言われれば、彼女が自分を指しているのだと彼にもわかる。返事など出ない。咀嚼しがたいものを感じ、口の中で舌を持て余した。
彼女の視線を感じた。彼を見ながら楽しげに笑うのがわかる。それに混じり、猫のか細い鳴き声が頻繁に響く。
「でも、好き。どんな速水さんでも、大好き」
そう告げられれば、何もかもがぼやけてしまう。突っかかって、からかって、絶句させたと思えば、滅多に聞けない殺し文句だ。
成長した彼女の女としての男を振り回す手腕に、ちょっと眩暈がする。しかも、彼女は演技と同じで、多分考えもせずにやっているのだろう。ごく自然にするすると。
(適う訳がない)
彼は少し笑って、
「いいのか? 元はゲジゲジだぞ、俺は」
「でも、すべすべしてるから、いい」
ど天然の返しに、とっさに言葉も浮かばない。何を踏まえてかは自明だ。以前の短い触れ合いが思い出され、ふっと胸が熱くなった。
言葉を選ぶうちに、目的の店が近くなった。犬と猫のイラストが載る看板が見えてきた。『ペットショップ ラブリー』だ。
 
明るい店内は、ペット用品であふれていた。犬用猫用が主力商品で、他にウサギやハムスター、鳥類がある。奥のブースには販売用の犬猫が個別に展示されている。
彼女がタオルに包んだ猫を抱き、辺りをきょろきょろ見回した。
「あ、あった。これでしょ、速水さん」
彼女が指すのはペット用のキャリーケースだ。幾つか種類があり、彼女に選ばせた。オレンジの猫耳が付いたものを選ぶ。それを提げ、更にエサを選んでいると、背後から声をかけられた。白衣を着た店員の男性だ。胸に『ペットショップ ラブリー』と赤い縫い取りがある。
「子猫ちゃんをお連れですか?」
問われるままに答える。拾ったこと。世話をするのに何が必要かよくわからないこと。店員は頷き、まずはケースとエサ、他トイレ用品が必須だという。
「こちらがお薦めです」
薦められるまま、カートにそれらを放り込んだ。
レジで店員は彼女から猫を受け取った。あやすように抱き、あちこちを見ている。生後一週間だろうという。
支払いのため財布を出した彼へ、彼女がケータイを取り出した。それを手で制する。5パーセントオフなど、くそくらえだ。
店員は会計を済ませ、品を彼へ渡しながら、捨て猫を保護した場合は獣医に見せた方がいいと勧めた。
「ワクチンなどの摂取もありますし、ノミやダニの除去と、健康診断も必要ですし…」
「…どうしよう、速水さん」
彼はちょっと困り、彼女を見返す。時計を見た。正直時間を食い過ぎている。これからどこにあるかも知れない動物病院になど回れば、どれほどかかるかわからない。
「実は、出先なんです。動物病院を受診するのは、帰宅してからでも構わないですか?」
「ああ、それは構いませんが…。ただノミやダニは厄介ですよ、家に広がりますし」
伊豆の別荘がノミとダニだらけになるのはぞっとしない。ちょっと逡巡する彼へ、店員は追って、
「お急ぎでしたら、うちの動物医院はどうですか? すぐそこ、扉の奥にあるんです。診察は即できますよ」
彼が彼女を見れば、「速水さんに任せる」と言った目で見返す。それに軽く頷いておき、
「じゃあ、お願いできますか? すみませんが急ぐので…」
「はいはい、かしこまりました」
荷物はレジで預かってもらい、キャリーケースだけを持ち店員について行く。『動物ラブリークリニック』とプレートの掛かる扉の向こうは本当に動物病院の待合で、ソファが並び、患畜を連れた人が二三人掛けていた。受付の隣りには、三つ扉が並ぶ。その一つを、猫を抱いた店員が開けた。中は診察室だった。
診察台に猫を乗せると診察開始だ。店員兼獣医らしい。
「特に異常はないようですね。後は血液検査ですが、結果がわかるまでこれはちょっとお時間をいただきます」
「どれくらいでしょうか?」
「30分ほどです」
そんなものか、彼はほっとする。遅れた昼食でも行こうか、と彼女に問えば二つ返事だ。
キャリーケースに収めた猫を提げ、診察室を出る彼らの背へ、店員兼獣医が声をかけた。
「お目当ての場所がなければ、うちのカフェはどうですか? 猫ちゃんワンちゃん連れ大歓迎ですよ」
(はあ)
問う前に、待合入り口付近の扉の一つがその店につながると言う。『ペットカフェ ラブリー』。確かにプレートが下がっている。
「お腹すいちゃった」
彼女がぽつりともらした。それは彼も同意で、ちょっと投げやりな気分でその扉を開けた。
 
店内は昼食には遅い時間とあってか、三分の入りだった。壁に常連らしいどこかの飼い主とそのペットを写した写真がやたらと飾られている。
「いらっしゃいませ」
オーダーを取りに来た店員に、彼女はお薦めというオムライスを頼み、彼はクラブサンドを頼んだ。
猫は、彼がケースのまま自分の席の隣りに置いた。
「出して上げて下さって、よろしいですよ。ペットさんのお遊びOKですからね」
そう声をかけられるが、店内には、他にどでかい犬が二匹もいた。とても軟な子猫など出す気にはなれない。
ケース内でミーミー鳴いている猫の様子で、わかるだろうに。と彼は首を傾げたくなる。
注文の品が来た。その際に、また同じことを告げられる。返事をしない彼へ代わり、彼女が「まだ生後間もないんです…」と答えた。
「あの大きなワンちゃんを気にされているのなら大丈夫ですよ。常連さんのワンちゃんで、すご~くおとなしくてお利口さんですもの。噛むことなんて、多分ありませんよ」
(多分?)
彼はそのお利口さんだとかいう犬を見た。犬はちょうど飼い主のブーツの足先をがりがり噛んでいるのだ。ブーツは穴が開きそうな勢いだ。お利口さんな犬は、飼い主の履いた靴をあんなに強く噛んだりはしない。
「うちは結構です」
丁寧だが、はっきりとした拒絶だ。その冷たい口調に、前に座った彼女は彼の機嫌が悪いのかと思った。そんなようにものを言う彼を、彼女はよく知っているから。
気圧されたように店員が下がり、それぞれのメニューを口に運ぶ。咀嚼の途中で、彼女は訊いた。
「速水さん、怒ってる?」
行儀よく、彼は含んだクラブサンドを喉にやってから、
「どうして?」
「うん、ちょっと思っただけ…」
彼は、少しうつむいた彼女の唇付近についたケチャップを指で拭ってやった後で、お利口さんの大きな犬をさりげなく顎で指した。
そうして、ごく小声で、「飼い主の足」と付け足した。促され動いた彼女の視線の先に、牙に穴が三つも四つも空いた哀れなブーツが写る。犬は、今度はテーブルの足を噛み出している。
さっきの店員との話を聞いている彼女は、その状況に頬を緩ませた。嬉しそうにスプーンを運び出す。彼が怒っていないのがわかり、嬉しいのかもしれない。
食事は予想外にうまかった。びっくりするほどレベルが高い。食後に出たコーヒーを飲んで、何気なく彼が厨房の方を見た。そこにあの店員兼獣医がコックの格好で、外人に何かのトロフィーを渡される写真があった。彼がカフェのメニューのレシピなり指導なりをしているようだ。
(店員兼獣医兼コックか?)
おかしくなって、口元が緩んだ。
彼女はコーヒーに砂糖とミルクをどぼどぼ入れ、カフェオレのようにしたものをちょっと飲んだ。彼に顔を寄せる。
「ねえ速水さん、ここってすごいですよね。ペットショップがあって、そこでペットを飼うでしょ。ペットフードとかも一緒に」
「そうだな」
「それで、併設しているペットの病院で、ワクチンや治療もしてもらうでしょ」
「俺たちみたいに」
「うん。それで、ついでにペットも同伴でご飯やお茶ができるって、便利にできてますよね」
後はペットの葬儀場があれば完璧だ、と言いかけて彼は頷くに留めた。時計を確認し、立ち上がった。そろそろ病院の方へ戻った方がいい頃合いだ。
当たり前に伝票をつかんだ彼の手を、彼女がそっと握った。自分が払いたいのだと言う。彼女に支払わせる気は塵ほどもなかった。
「言っとくが、ちびちゃん、俺はけちじゃないぞ」
「あ、さっきわたしの言ったこと気にしてるの? 速水さん」
「ひどい言われようだったからな」
「もう、ごめんなさい。今日は振り回したから、そのお詫びです…」
その上目づかいの言葉には弱く、彼は譲歩した。手の伝票を彼女へ渡す。
「ありがとう、ございます。…あ、じゃなくて、ありがとう」
彼の言葉を覚えていて、律儀に言い直しているところが微笑ましくて可愛い。
「じゃあ、おごってくれ。よく考えたら、君には特に高い給料を払ってるんだった」
会計を済ませた彼女が、猫のケースを持たない空いた手をちょっと引いた。扉を開けて、『動物ラブリークリニック』へ戻る。
検査結果には今少しかかるらしい。ソファに掛けると、彼女が彼の手を引き、やや神妙な顔つきで言う。
「速水さん、わたしって、そんなに高いですか? その…、人と比べて、働きの割に…。『紅天女』のことがあるから…、それで? もしかして…、それとは別のこと?」
さすがに声を潜めて言うところが、少し大人になったと彼には思えた。
彼女が真剣な顔で告げるのは、さっきのカフェで彼が言った軽口のことだ。何の他意のないものだったが、彼女には別の意味に聞こえたようだった。「特に高い」とは、『紅天女』の上映権を握った後継者としての付加価値を指すのか、もしくは彼の思い人だからの特別待遇なのか。またはそれらの合わさったものなのか…、を訊いているのだろう。
もらえるものならもらっとけばいい。相手は自分だ。その名分など、どうでもいいじゃないか。そうは思うが、彼女にはその辺ははっきりさせておきたいところなのかもしれない。
口を開きかけ、名を呼ばれた。受付で検査結果を聞く。全て異常なしの健康体だという。ノミやダニの除去と予防、各種ワクチンの接種、診察費用…、それらをすべて合わせた金額は、保険が効かないため、ほどほどに高額だった。
彼の側でのぞき込むように明細を見た彼女が、「わたしが…」と口を出した。カフェの二~三千円とは違う。これを払わせる訳にはいかない。
無視して、彼はさっさとカードで支払いを済ませてしまう。都合がいいことに、ペットショップの方で買った諸々が、こちらの受付で受け取れた。
「お世話をかけました」
店員兼獣医師兼コックに礼を告げる。相手は慇懃にそれを返した。
用がすべて終わり、彼は猫を提げ、彼女を促した。駐車場へ戻る途中で、『ペットショップ ラブリー』の建物の影に、別のものが目に入った。来るときは気が付かなかったが、それは小さなドーム型をしていて、壁に銀色のプレートが『ペット総合葬儀 ラブリー』と読めた。
(本当にあるのか?!)
冗談ではなく、ペットの葬儀場も完備してある。先ほど別れた、店員兼獣医師兼コックには、他、坊主の肩書きも付くのではないか。
店員兼獣医師兼コック兼坊主だ。
 
車に乗り込んだ。彼が言い、猫は後部座席に乗せた。彼女は何か言いたげにもじもじしている。さっきの話を蒸し返したくて、口火を切るのをうかがっているのがわかる。
彼は、高速道路を使うのと、ここから下道で別荘を目指すのとではどっちが近いかをナビを見ながら考えた。このまま走った方が、若干近いとわかる。
車道へ乗り出しながら、隣りの彼女へ言葉をかけた。
「何を言いかけていたっけ、ちびちゃん」
「速水さん!」
彼が投げた問いに彼女はすぐに飛びついた。こういうところは、昔とあんまり変わらない。
「…わたし、速水さんにすごく、特別にしてもらっています?」
それは彼女の給与面でのことだとわかったが、そらっとぼけて、
「してるじゃないか、こんなにも。相手が君じゃなったら、知らない土地で、二時間近くも『ラブリー』漬けになんか、なるか」
「あ、…それは、本当にありがとうござい…、あ、あのありがとう…」
彼女は問いの気勢を削がれて、口ごもった。彼の放ったセリフにも照れているようで、頬がほんのり赤い。
「わかってるんなら、あっちに着いたら、せいぜい俺にサービスしてくれ」
「サービス? じゃあ、わたし肩揉んであげます」
「肩なんか凝ってない。君も大人になったんだから、その体で対価を支払ってほしいと言ってるんだ」
「え?! 速水さん、ちょっと、何てこと言うんですか! スケベ! エロおやじ!」
「おい、君だって、俺がスケベなエロおやじだとはよく知ってるだろう。初めてでもあるまいに。簡単なことだ。要は俺を満足させてくれればいいんだ、簡単だよ」
しゃあしゃあとつなぐ彼の言葉に、彼女は口ごもりふくれて、ようやく、
「簡単じゃないもん…」
と抗議した。
(これまでの関係と、これから…。すべてを含んで、それでも今日、なけなしのオフを合わせ、君は来たじゃないか。)
それを口にしたら、ふくれて拗ねて、しばらくは口もきいてくれなくなるだろう。そう思い、彼は言葉をのんだ。
話の流れに彼女は、むっつり黙り込んだ。彼はハンドルを握りながら窓を少し開け、煙草を吸った。




              

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