さようならの先に
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書斎にガイを置いて、わたしは相馬さんと共に庭に出た。ガイがこちらまで見送らないことには理由がありそうだった。送る者と送られる者、その他の者があの列車を見ることは、何かの禁忌に触れるのかもしれない。
その推量が当たっているのかどうか、きっと自分はガイに訊ねることはないと思った。
見上げた夜空にちょうど真ん中あたりに満月が輝いていた。瞬きをする間もなく、金鎖のような物体が目に入る。
ああ、とわたしは吐息をもらす。やはりあるのだ。あれが現れる事実に、ガイがさっきまで話したもの全てが、そのままわたしに突きつけられるような気持になる。
誰かの何かの、意図した可能性は、ほらそこにある、と。
程なく、するすると梯子が下ろされた。無意識にわたしはそれに手を掛けた。もう片方の手で相馬さんの手を取り、握る。彼と目が合った。そこに脅えはなく、不思議な夢に酔っているような表情をしている。いつかのわたしもそうだったはず。この梯子に手を掛けたガイに手を取られれば、頭の中を靄が舞い、何もわからなくなった。
手を握ったまま、わたしは瞳を閉じた。身体が浮く浮遊感が少し怖かった。伴われる立場でないことを実感する。わたしの意識はくっきりと鮮やかなままだ。
梯子は巻き取られるように、滑らかに上りつめた。ステップに立ち、空いた扉から車内に入る。相馬さんの手を引き、彼を導いて座らせた。久しぶりに見る車内は、重厚で落ち着いた装飾のラウンジカーのそれだった。以前と同じに見えるが、もしかしたらどこか違うのかもしれない。
静かに扉は閉じた。
懐かしい場に佇み、わたしが辺りを見回すと、相馬さんが我に返ったように伸びをした。
「どれほどかかるんだ?」
「さあ、わかりません。来るよりは早いと思います」
わたしは椅子に掛け、暗い車窓を眺めた。何も見えないのに。外套を脱ぎ、そのポケットに小箱があるのを認める。これはもう少し後で渡そう。
「さて、帰ったらどんなことになっているかな」
彼が外套を脱がないので、寒いのかと訊いた。「少し」と言うので、温度が上がらないのか、いつかのボーイを呼ぼうと、見回す。
「いや、いいよ。大したことじゃない。それより、あっちの方ではどれほど経つのかな?」
「わたしのときは、十日程経ったことになっていました。だから、ちょっと旅行に行っていた、みたいな言い訳が効きました」
「伯爵は、時間の流れが一定しないと言っていたな。とんでもないほど時間が過ぎていたら、困りものだぞ」
「それは、ないでしょう」
「何だ? 彼から聞いているのか?」
「そうじゃないけど。悪くはならない気がして…。それだけです」
相馬さんは優しく笑った。「頼りないな、ユラさんは」。
いつかのわたしたちが、望んでこの列車を呼び、別の世界に移ったのだとする。なら、その世界はわたしたちの願いそのもののはず。なら、幾度移動しても同じじゃないだろうか。意図し、叶えた願いの中で、わたしたちは移ろうだけなのかもしれない。そう思えば、不安は軽くなるのだ。
過去のさまざま、嫌なこと悩んだこと。それらのいずれもわたしは通り抜けている。知らず変わってしまった自分もあるに違いない。けれども、一番今の自分が好きだ。全ての意図の先にいる自分。過去のわたしではない。
そんな思いは、この列車に出会って以来の、わたしの雑感でしかない。説明するのは難しいし、わたし以外の誰にもそれほどの価値のあるものにも思えなかった。だから、相馬さんの言葉に、曖昧に笑うに留めた。
しばらくして、お茶が運ばれた。その際になじみあるボーイの彼に車内の温度を少し上げてほしいと頼んだ。頷くのみで下がる。
「あの人、喋らないんです」
「へえ、何でだ?」
「さあ、ガイになら話すのかもしれません。訊いたことはないけど」
「訊かないのか?」
「多分…」
「そういえば、さっきの、伯爵が迎えに来た人数の話でも、大層驚いていたな。どうして訊かなかったんだ? あれこれ訊きたくはならないのか?」
この相馬さんは、邸に来て早々、わたしへ矢のように質問を浴びせかけた。面食らいながら、それでも当然に思い、一つ一つに答えたのを思い出す。今だって、疑問をすぐにぶつけて来る。こんな彼にはわたしの無頓着さが信じ難いのだろう。
ガイを前にすると、浮かんだ疑問は意味を成さなくなる。わたしが問う、彼がある答えをくれる、くれないかもしれない。彼の何かがわたしを怯ませ、たじろがせるのでもない。そういったことを、わたしは求めなくなるのだ。
「必要なことなら話してくれるから。それに、ガイは言いたくないことは、上手にはぐらかして、どうしたって教えてくれないんですよ」
「あんな映画から飛び出したみたいなご亭主なら、他所から来たあんたが惚れ抜くのもわかるが…」
相馬さんはそこで言葉を切った。わたしが注いだカップのお茶を引き寄せ、少し口をつける。熱さに驚くように、ちょっと目をしばたいた。
「この列車に乗ったのは、チャンスではあるぞ」
「え」
「元の暮らしを取り戻したい気持ちはないか? 欠片でも。あんたが、居場所がないと感じた頃と、事情も変わっているかもしれん。それに、わたしも力になる。あんたが消えてから、時間がどれほど経っていようが、本人が戻れば、どうとでもやりようがある」
わたしは彼が広げて見せた、過去への選択肢に目を見開いた。思いもかけないものが、目の前に飛び出したよう錯覚する。ふと、記憶が甦った。燃えたあの家はどうなったのだろう。去り際に、放火したのは叔母のように思えた。そう、あの人はどうなったのだろうか…。
「あそこもいいが、こっちの可能性も捨てるのは惜しい」
相馬さんは既に、元の世界を「こっち」と呼び、ガイの側を「あそこ」と呼んだ。もうあの邸での日々は、過去なのだ。無意識だろうそれは、彼の現在とこれからの在りかを示している。




             

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