さようならの先に
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親切で説いてくれるのがわかった。わたしが頷けば、身寄りのない厄介なわたしを、きっと保護してくれるだろう。自分の力で立つまで、わたしを見届けてくれるような気がした。
気持ちは嬉しく、ありがたかった。あの世界のどこに、わたしへここまでの親身を見せてくれる人があるだろうか。
彼には大体の身の上話はしていた。しかし、細かなところはわたしが避けた。そんな過去を持つ自分が惨めであるし、忌まわしく触れたくもなかった。わたしとガイが、レディ・アンの名を口にするのを避けるように。
敢えてそれを晒そうとしたのは、本気でわたしの今後を気に掛けてくれる相馬さんへの、せめてもの思いと、過去を選ばないわたしの覚悟だった。
「わたしの父は、事業が行き詰って、自殺したんです」
ほのかに彼の目が大きくなったように見えた。しかし、小さく頷いて相槌をくれる。始めの告白が済めば、せき止めていたものが外れたように、すらすらと言葉をついてくる。
「父が亡くなって、莫大な借金があることが発覚しました。わたしは子供で、どうしようもない。後で知るんですが、相続を放棄できるんですよね、でもそんなことも知らなかった。しばらくして、その借金を肩代わりしてやるっていう人物が現れました。でも、ただではなくて、わたしが結婚することが条件だったんです」
妻にしようとする女よりも年上の子供が、三人もいる男性だったと言い添えた。
相馬さんは口元に手を持っていき、癖なのか、ちょっと唸ってみせる。わたしは話を続けた。
断る間もなく、家にその人物の側近が乗り込んできて、身辺に張り付いたこと。頼りに思っていた父の仲間が、そちら側についていると知り、愕然となったこと…。
「そんなとき、ガイが現れてくれたんです。この列車に乗って。彼はとても親切にしてくれました。別世界で暮らして、わたしは過去の嫌なことも徐々に薄らいできて、あの環境になじんでいきました。…運がよく、彼が選んでくれて、妻にもなれました」
「一度帰るんだろ、ユラさんは、確か」
相馬さんに話したのはここからのことが多かった。それは、ガイが相手の意志をひどく尊重する人であることを示したかったためだが、この相馬さんに話すことは、あのときの振る舞いを今も悔やむ、身勝手な告解の一面もあったように思う。
「ええ、ガイに諭されて、もう一度この列車に乗りました。帰ってしまえば、元のわたしです。一年程も過ごしたのに、時間はほんの十日ほどしかたっていませんでした」
その後は、また嫌な日々の始まりだった。しかし、わたしにはガイの迎えを待つという秘密の期待があった。だから、耐えて待った。来てくれなくても、待った。
「長く待って、もうあきらめたつもりでも、身体が待ってしまうんです。気づけば、毎晩夜空を確かめている…。ある晩、唐突に迎えが来ました。でもそれはガイじゃなかった」
「他に誰が来るんだ?」
相馬さんの驚く様子がおかしい。自分もびっくりしたことを告げ、ガイの従妹にあたるお姫さまだと言った。
「何で伯爵じゃないんだ?」
「ガイは、海外で大怪我をして、その治療で動けなかったんです」
「伯爵の婆さんもその筋と言ったが、従姉もそうなのか? 不思議一族だな」
「そうですよね」
言葉がおかしくて笑う。あの高雅なイメージの伯爵家をひっくるめて、「不思議一族」と断じてしまうのだ。ガイが聞けばどうするだろう。ちょっと眉を上げ、肩をすくめるのかもしれない。それでも彼は笑うような気がした。「おやおや」とでも言いながら。
「ジュリア姫、その従姉のお姫さまです。彼女が来てくれたとき、家が燃えていたんです。放火されて…。火を点けたのはきっと叔母です」
「は」
「驚きますよね、次から次へと。あの人は、わたしの結婚をどうしても進めたかった一人です。相手から、たくさんお金ももらっていたみたいですし。でも、わたしが思いがけず反撃して結婚から逃れたものだから、逆上したのかも…。火災保険金とか家の土地とか、そういったものも狙っていたのかもしれません」
そういう場所なのだ、と締めくくった。だから、とても選べない。何もない。先もない。あの世界と比べるまでもない。ガイがいて、ノアがいる。そしてわたしに親しみを隠さないジュリア王女。いつも優しいその弟のエドワード王子…。
いつか相馬さんは、わたしが居場所を作ったと言ってくれたが、そうではないだろう。「ある」のだ。あそこには、わたしの望むものが全て「ある」。
わたしの告白に、相馬さんは何度も頷いた。そうして、「それなら、いい」と自分の提案を下げた。
「お気持ちは、とてもありがたいんです」
「でも、だな。ならいい。あちらで幸せなら、それで構わない。それと、これは爺の老婆心だと聞き捨ててくれ。ひょっとして、あんたが前にこっちに帰ったとき、縁のできた医者の彼に、顔向けができないから、というのが理由かとも思った。それが、気に掛かったんだがね」
「ああ…」
頬が強ばるのを感じた。相馬さんに話すことが、告解だと感じながら、改めて恥部を衝かれれば、こんなにも狼狽してしまう。わたしはカップに掛けていた手を放し、自分の頬を覆った。
過去を選ばないのは、それが理由ではない。彼に指摘されるまで、思いも寄らなかった。だから首を振る。
「その彼から逃げているんでないなら、安心だ。そこまでの責任は、あんたにはないよ。あんたはその彼を利用したことで、自分を責めているみたいだが、もう気にしなさんな」
「…ガイには言わないくせに、相馬さんには打ち明けて、聞いてもらえて、それで楽になった気でいるんです。普段は思い出しもしないのに…」
「後悔ってものはそういうもんだろう。じくじくずっと思うのは最初だけで、薄らいだら、頻度も下がる。わたしはあんたを、家族の縁に薄いが、苦労を知らない娘さんだと思った。伯爵があんたを呼ぶだろう、「お嬢さん」と。そのまんまだと思った。今、初めて詳しい話を聞いて、それほどの目に遭ったとは驚いたよ。他人事ながら、胸が痛い」
同情を誘うつもりで話したのではない。だから、わたしは首を振った。
「そんな…」
「「何もない」、「先もない」あんたが、困り果てて、それでも助かりたくて、その彼を頼ったんだろう。伯爵の言葉なら、可能性を意図したんだ。それなら応じた彼も、どこかで何かを願ったんだ。それであんたに手を貸した。訊ねるまでもないが、どうせ彼の方から手助けを申し出たんだろう、放っておけないとか、力になりたいとか…」
頬の手を外し、わたしは相馬さんを見返す。どうしてわかるのだろう。彼は笑って、わたしの腕をぽんと軽くたたく。
「そんな驚いた顔をしなくても。もう枯れても、わたしにも若かった時分がある。男の下心ぐらいわかるよ。とにかく、あっちが好きでくれた行為だ、受けとればいい。相手の望む相応の気持ちを返せなくたって、あんたがくよくよする理由にはならないよ。それくらいで人生を駄目にするような男なら、蚊に刺されたって駄目になる」
「とても優しい人だったんです。わたし、それにつけ込んで…」
「話だけ聞いた、わたしみたいな者からすれば、その彼だって、あんたの弱みにつけ込んでいる。…どうあれ、お互い様だ。それに、あんたは知らないだろうが、とても優しい人間は、誰にも優しい。このメガネを賭けてもいい、もう別な女を見つけているよ」




             

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