さようならの先に
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声に誘われ、わたしはフェンスを回り、敷地内に入った。部外者がいいのだろうか、とおずおずとする。
声の主は保育士の女性で、「立花です。園長先生からお話は聞いています。杉本先生の娘さんでしょう?」
「あ、はい…」
「似てないね、杉本先生と」
三十歳ほどの女性はわたしを眺め、日に焼けた顔で微笑んだ。聡見さんと同じ意見で、どきりとする。わたしの反応をよそに、女性はよかったら見ていって、気さくに接してくれた。
十人ほどの幼児を立花先生が見ていた。ふざけ過ぎる子に注意を与え、「帽子を外さないで」と声をかける。
建物の中から、立花先生を呼ぶ声がした。子供たちへ差し入れられたスイカを配る、その用意のようだ。子供を置き中に入る背を見て、いつもあのようにしている慣れが見えた。ほんのちょっとのことで、目を離すつもりはないのはわかるが、気にかかった。
不意に立花先生が振り返り、「見ていてくれる? すぐ戻ります」
わたしは無意識に頷いた。気持ちをのぞかれたようで、少し恥ずかしくなる。
子供たちの傍らにしゃがむ。わたしを新入りの保育士と見るのか、中の一人が「先生」と声を掛けてきた。
「先生じゃないの、ごめんね。もうすぐ、立花先生が来るからね」
じき、保育士が戻った。手の盆には小さく切ったスイカが子供の人数分並んでいる。何となく手伝い、子供たちに配った。
「先生、この人先生じゃないって。じゃあ、何?」
わたしを指し、女の子が立花先生に訊く。先生は、「う〜ん、お姉ちゃん」と答え、わたしへ笑った。
こちらにいれば、年相応かもしれない呼ばれ方が、少し面映ゆい。ガイの側の世界で、わたしは人妻で母親だったのだ。
手伝いをしていると、今度は相馬さんが手にカメラを持ちやって来た。子供たちの光景を撮るのだろう。わたしを見つけ、「おや」という顔をしたが、頷いてくれた。迷惑ではないようでほっとする。
子供たちを中へ促す先生に代わり、スイカの後片付けを受け持った。「ごめんなさいね、手伝わせちゃって」
すまなさそうに詫びられるが、少しも嫌ではない。わたしは首を振り、手を動かした。
「ここは人が最低限しかいないから、保母さんらも忙しい」
相馬さんの声だ。それに、「じゃあお手伝いします」と返すのは、僭越で口に出来なかった。わたしは、保育士の資格を持たない。大切な子供を預かる場で、素人が適当に手出しすることは慎もうと思った。
「ユラさん、あんた子供が好きか?」
「それは…、はい。あの子が生まれてから、そう感じるようになりましたけど」
「それが実感する母性だ」
よかったら、と相馬さんは時間つぶしにでも、園の仕事を少し手伝わないかと誘ってくれた。素直に嬉しかった。表情にも出たと思う。そうだが、わたしは首を振り、適任じゃないと告げた。
「資格もないし、子供をよく知りません。却って迷惑になります…」
「そんなことは気にしなさんな。ここには、近くの高校生も実習で来る。その子らが資格を持つ訳でもない。難しく考えずに、近所の子供と遊ぶように思ったらいいよ」
「はい…、それなら」
その場から手伝うことになった。相馬さんが言うように、難しく考えず、保育士のお手伝い程度に考えた。ごみを集めたり言われたものを取ってきたり、掃除や片付けもした。
そんな時間は無心になれるし、全てを忘れていられる。先を悩むことなく時間が過ぎるのは、今のわたしにはとても重要だった。
朝起きて、家事をして園の手伝いに出る。子供たちの昼食があるから、自分の分はずっとずれるが、どうでもよかった。
保育士の真似事を忙しくしているうちに、四時になる。わたしはそこで先に園を出て、夕食の支度に帰った。スーパーで買い物をし、料理を作りお風呂の用意などをしていると、相馬さんが帰って来る…。
穏やかなそんな生活が、十日ほども過ぎた。
 
夏のことで、まだ六時を過ぎても外はまだ明るい。テレビのある部屋の小さな飯台に料理を並べ、手持無沙汰に、少しテレビを見た。
ローカルのニュース番組で、どこかの図書館で行われた、夏休みの子供向けイベントを取り上げていた。それを流し見ながら、ふと思いついた。
図書館であれば、過去の新聞が見られるかもしれない。相馬さんにも話した、わたしの家が燃えたあの夜の出来事のことだ。その顛末が、新聞沙汰になっているのなら、見られるのではないか。
どうしても知りたいという訳ではないが、思いつけばちょっとした衝動になった。どうせ予定のない身なのだ。次の日曜日にでも出掛けようと決めた。
と、そこで、頭に声が響いた。どこからか届くそれが、ふわっと頭を占めるように広がる。そのこと以外考えられなくなる。
それはガイの声だ。暖かさを感じるのに似ている。優しさや嬉しさ、心をほぐすような感覚を伴い、それはひととき、わたしの気持ちをいっぱいにして消えていく。
『僕を忘れないで』。
声はそう知らせてくる。長いメッセージはなく、伝えるのはただそれのみだ。繰り返す言葉に、そのことが、きっとガイがわたしに伝えたい全てなのだろう、そう感じた。
忘れられる訳がない。
忘れるなど、無理なのだ。今のわたしは、そのほとんどを彼で埋められているのだから。
どれほどかぼんやりとしていた。不意の足音が近くに聞こえ、小さな悲鳴を上げた。
足音の主は聡見さんだった。この人が仕事の帰りに実家に寄ることは、わたしがここに来て以来、四度ほどもあった。その都度、こちらで夕食を食べていくから、父である相馬さんの心配もわかろうというものだ。
家庭のある人が、実家とはいえ、取り立て理由もなく、頻繁にそこで夕食を食べていくのはちょっと変わっている。
「由良ちゃん、親父は?」
座りながら、そう訊いた。始末をし、七時前には帰宅するが、この日は時計を見ればもう七時だった。遅くなるようなことは聞いていなかった。
器ののし鶏の切り身をつまみ、わたしを見た。他にキャベツと油揚げの煮びたし、小鯵の南蛮漬けがある。もらいものが多く、献立はそれでほぼ決める。買い足すものは少しでいいから。
「何だよ?」
わたしの目が「お父さんを待てばいいのに」と言っているのが知れるのか、彼はちょっと笑った。
「食べますか?」
ご飯をよそおうと立つと「いいよ、親父が帰ってからで」と声が返る。次に小鯵を一匹つまんだ。
「そうですね」
「何だ、そのおかしそうな声は」
「いえ、別に…」
「旨そうにつまみ食いしてもらってるんだから、嬉しそうな顔ぐらい見せろよ」
「嬉しくないもの」
「可愛げがないな」とつぶやき、彼はテレビのチャンネルを変えた。その横顔に、わたしは思いついて、図書館の場所を訊いた。
「ああ、駅の裏にあるよ」
そこなら前に買い物に行った店の近くだった。歩いて行ける、と嬉しくなった。




             

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