さようならの先に
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「その格好で行くのか?」
「いけませんか?」
わたしが着ているのは、前に買ったTシャツだ。その下はコットンのサブリナパンツだ。それを上下二枚ずつ買い、洗っては交互に着回していた。
今日のTシャツは、身ごろの前に黄色いカエルが、飛び出しそうに大きく描かれている。もう一枚の方は、茶色いクマがだらけているイラストだった。
「もうちょっと、着る物を考えたらどうだ? いい年をした女の子が…」
渋いように言うので、見苦しいのかと思った。しかし、無意味なお洒落はしたくないのだ。清潔にしているのだから、文句も言われたくはない。
「それで、おふくろの帽子を被って出歩くんだろ。ほんとに…」
帽子は、相馬さんの亡くなった奥さんのものを借りている。つば広のキャンバス地で、洗えて便利なのだ。
聡見さんが、何を苦った顔をしているのかわからない。そのとき、玄関の扉が開く音がした。相馬さんの声がする。誰かと話しているようで、わたしは部屋を出た。
靴を脱いでいるのは、園で見たことのある男の子だった。その子に「上がりなさい」と促している。男の子は、わたしを見て「あ、お姉ちゃん」と声を上げた。
わたしは反射的に微笑んだが、どうして夜になる時間に、相馬さんが園の子供を連れて帰宅したのか、わからなかった。
「夕飯を食べさせようと思ってな」
手を洗わせて、食卓に着かせた。子供の向くものがあるとは思えないので、すぐに、別にふりかけを使っておにぎりを作って、その子に出した。
「いいのか、親は?」
思いがけず、好き嫌いなく食べる子を見て、聡見さんが訊いた。相馬さんは息子の問いに、すぐに答えず、「お前はまた来てたのか」ともらす。わたしも来過ぎだと思うから、少し笑ってしまった。
相馬さんは、子供に目をやりつつ首を振る。「迎えに来ない」というのだ。
え。
驚いて、わたしは思わず、聡見さんと顔を見合わせた。
時間になっても親の迎えがなく、この子一人になった。親に連絡を取るが、ケイタイは出ず、勤め先は「もう帰った」の返事で、書類には母親の他に、遠方に祖父の名があるのみ。保育士もとうに帰す時間で、困って連れてきたとのことだった。
「大丈夫か? 後で連れ去りだとか、文句言われないか?」
「園の玄関に貼り紙をしてきた。勤め先の人にも伝言を頼んだし、留守番電話にも用件を入れてある」
「お腹が空いた」と言うから、いつ連絡が取れるかわからず不憫で、連れてきたらしい。迎えが遅れがちなのはよくあるらしいが、ここまで遅いのは初めてという。
食事を摂りながら、聡見さんが、子供に話しかける。口にしたことはなく、実家に単身で来るのだから、子供はいないのだろうが、案外子供好きそうなのが見えた。
「ママはいつも遅いのか?」
「うん」
ぶっきら棒に答え、がつがつと食べる。空腹だったのだろう。昼食は園で給食が出るからいいが、夕飯はどうなのだろう。不意に来たよその家で、好き嫌いなく食べる様子から、少し不安になる。毎晩ちゃんと食べているのか…。
「朝は何を食った?」
「お弁当」
「ママが作ったやつか?」
「ううん…」
「毎日か?」
「…もう、園長先生に言った。うるさい、このおじさん」
子供は聡見さんから顔を背けた。同じ種の質問は、保育士からも何度もされているだろうし、確かにくどく感じ、うっとうしいのだろう。
「うるさいって、何だ」
ぼやいて彼はわたしを見た。「うるさいか?」
「…多分」
「多分?」
睨むので、わたしも目を逸らしご飯を口に入れた。
気になったのは、子供の服が昨日と同じように感じたこともだ。汗をかくこの季節、同じものを着せることはあり得ない。脱いだ後で洗濯したのか、同じものが二枚以上あるのだろうか。
食事を済ませればほどなく、子供は眠いのか、うとうとし出した。飯台から離し、寝かせようと抱えると、聡見さんが腕を出し、子供を抱き取った。わたしがいつも寝ている部屋に運び、横にさせた。
戻り、すぐ、
「あの子、風呂に入れてもらってないんじゃないか? 臭うぞ」
相馬さんは頷いて食後のお茶を飲んでいる。食事の片付けをしながら、胸が落ち着かなかった。
時計は八時近い。電話も鳴らず、玄関の音もしない。
長くもかからない片付けを終え、わたしは手を拭き、もしいいのなら、と相馬さんに訊いた。
「お風呂に入れてあげようかと思うんですけど…。駄目ですか?」
相馬さんの返事より、聡見さんが先に声を出す。「何、言ってんだ」。この人のこういうところは、ちょっとおかしい。
「夏だし、あせもとかできたら、可哀そう。わたしなら、怖がらないだろうし」
「よその子だぞ。勝手に風呂になんか入れたら、こっちは親切でも、相手はそう取らないかもしれない。家庭の干渉だとかうるさいことを言い出したらどうする? ただでさえ左前の園に、余計な面倒の種を持ち込むなよ」
そうやり込められれば、返す言葉もない。確かに考えが浅かったかもしれない。わたしが黙ると、聡見さんは追って、
「…いいように使えると見て、今度は利用されることもあるだろ。余計な手出しは控えた方がいいぞ。由良ちゃんは単純に優しさから言ってても、そのまま受け取ってくれる相手ばかりじゃないんだからな」
相馬さんは息子に手を振り、「ああ、うるさい。お前はそんな風に、やり込めるように嫁さんにもものを言うのか? 疎ましがられて当たり前だ」
「はあ?! 親父は何を言ってるんだ。俺は当たり前の常識を言ってるだけだろ、浮世離れしたみたいなこの子に」
「いいんじゃないか、ユラさんがいいのなら、してあげていいよ」
相馬さんは聡見さんに返さず、わたしに言った。「昔は園も親も余裕があったのか、そのくらいの融通は利いた。杓子定規に窮屈になった分、割りを食うのは子供の方だ」
親が文句をつけたら、あせもの予防で洗浄してやったとでも言っておくよ、と相馬さんは請け合ってくれた。そして、
「そんなような親でもないような…」
とつぶやく。
わたしは、子供を起こし行った。子供は違った部屋の感覚と人の気配かに、すぐに目を覚ました。身体を起こし、すぐに首の辺りを掻いている。痒いのかと、気にかかった。
「こうちゃん、お姉ちゃんとお風呂入ろうか。痒いの治るよ」
子供は素直に頷いた。園長先生の家であるし、園でよく見るわたしにも警戒心は湧かないようだ。
父親に言われてさじを投げたのか、聡見さんはわたしをじろりと睨むように見ただけで、何も言わなかった。ああ口うるさくしても、父の園を心配してのことだとわかるから、腹も立たない。何にしても物静かな相馬さんと比して、ちょっとおかしいだけだ。




             

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