さようならの先に
19
 
 
 
眩しい日を受けながら、外を歩く。彼が声をかけたのがパソコンで調べ物をしているときでなくてよかったと思った。わたしが何を見ていたかを知れば、事情を知らないこの人は、きっと怪しむだろう。暑い気温を感じつつ、そんな思いで、ちょっとうなじが寒く感じた。
促され、あるカフェに入った。記憶にあるものとはデザインがやや違っているが、チェーン展開しているコーヒーショップだった。
窓際の席に座り、向き合う。彼はアイスコーヒーを頼み、わたしは少し迷ってホットのカフェラテを頼んだ。
「この暑いのに、そんなもの飲むのか?」
ホットドリンクを注文するわたしに、あきれた声を出す。外にいる間は冷たいものが恋しいが、冷房の効いた室内では、身体が冷える気がするのだ。
そんなようなことを答えてから、どうしたのかを訊ねた。訊きたいこととは、何だろう。
聡見さんは、グラス一杯に汗をかいたアイスコーヒーを一口飲み、わたしを見た。
「親父は何か、言っていないか? 園のことで…」
「え」
首を傾げるわたしへ、彼はあの地域が開発の対象になっており、以前から土地の売却の話が持ち上がっているのだと説明した。それを聞き、わたしは思い出す。ガイの側の世界にいたとき、相馬さんからそういったことを聞いたことが、確かにあった。
園を閉鎖することも考えの一つにあるようなことを、あのときの相馬さんは口にしていた。相馬さんの園をまだ見ぬわたしは、その話を頷いて聞いただけだが、あの園に通う子供たちや送迎の親、保育士たち…、それら雰囲気を知る今は、受ける感覚がぐっと違う。
「園の子供の数も減って、近くに、前にはなかった幼保園もできたしな。昔とは状況が変わった」
前に相馬さんが理由にしたのと同じようなことを、この彼も言う。
少しばかりあの園の中を手伝い、小規模だからゆえのアットホームさや、きめの細やかさはあると感じた。この間、親の迎えが遅れたこうちゃんという子供がいたが、園長自ら自宅に連れ帰り、夕飯を食べさせるなど、他の園では見られないのではないか。
相馬さんによそとの差別化を図る意識は見えないが、何となく、他の園の条件から外れた場合の受け皿にもなっている、そんな様子もうかがえた。新しい園ではなく、敢えて相馬さんのところを選んだという、親御さんもいる。
家を出たとはいえ、家業のこれからが気にかかるのか、父にそれを辞めてほしいのか。直接、訊けばいいのに。わたしに探りを入れる訳が見えない。
カフェラテのカップを手のひらに当て、わたしは返事をためらった。余計なことも言いたくないし、わたしが知るほどのことなら、親子である、とうに聡見さんもわかっているはずだ。
「その、開発を請け負う企業が、俺の会社になるんだ」
「あ」
「開発地区の用地買収は俺の任じゃないが、所属の部署が関わってる」
そうなのか、と納得がいく。この人は仕事の面で、父が園をどうするつもりか、興味があるのだ。もちろん直に訊きもしたはずだ。その上に、父の声を拾うわたしの耳も期待しているのだろう。
「さあ…」
「本当に何も聞いてないのか?」
わたしはカフェラテを口に含み、知らぬ振りを決め込んだ。少し前でなら、どきどきしたはずのこんな仕草も、大して苦もなく済ませてしまえた。ガイの側の世界で、あちらの紳士連に対し、同じようなことを幾度もしているからだ。
相馬さんがどうするつもりであれ、この聡見さんが父をどう説得する腹であれ、わたしはいい加減に関わってはいけない、そう思った。園の行方に関心はあるが、それは、相馬さんが決めることだ。
聡見さんはわたしを眺め、それ以上の追求はしなかった。ただ、今が土地売却の一番いい時期であると言う。こんなことをわたしに言うのは、わたしの口から父の耳に入ることを考えてのことだろう。
直接話をしないのは、相馬さんが既に申し出を拒絶したためなのかもしれない。だから、わたしを介してこんな話を父に流そうとしているのでは…。
「学校が近くにある土地は建築指定が厳しくて、概ね環境がいいんだ。そこを複合の商業施設と分譲マンションに充てるっていう計画が、もう三年も前からある」
相槌を打ちかね、わたしはテーブルで組んだ指を絡めてやり過ごす。何も返さないわたしに、聡見さんは少し笑った。
「だんまりか」
「難しいお話で、わたしには何とも…。お父さんにお話ししてみたらどうですか?」
「したよ、何度か。由良ちゃんと同じで、だんまりだ。黙った挙句に、園を退いたら、何をすればいいんだ、と来る」
頬杖をつき、ため息をもらした。「そろそろ引退する年だろうし、それほど酷な話でもないと思うけどな。どんと老後の資金だって入るし」
口にはしないが、園を辞める気が全くないのではない、という感触だったはず。状況次第では、自分の役の引き際をちゃんと考えている、わたしは相馬さんに、そんなような印象を持ったのだ。
「聡見さんが、お父さんの説得を任されているんですか?」
「いやそうじゃないが…。できれば俺の手柄になるな」
「ふうん」
進展のない話を、そこで彼は打ち切った。ふとわたしに問う。何を調べていたんだ、と言うから驚いた。わたしが気づかなかっただけで、先ほどの図書館のパソコンで何かを注視するわたしを、この人は見ていたのだ。
嘘やごまかしがとっさに浮かばない。わたしはちょっとうろたえ、
「…言わなくちゃいけませんか?」
「いや、いいよ。ニュースみたいなものを真剣に見ていたから、気になっただけだよ。君みたいな子が似合わない」
「…ちょっと気になることがあっただけです」
「ふうん。…いつまでこっちにいるの? 家庭の問題だとか親父は言ってたけど。この後の計画もあるだろう?」
「いたら、迷惑ですか?」
「そうじゃない。君がいてくれた方が、親父はありがたいだろ。飯とか旨いもの作るし」
「じゃあ、聡見さんもそうですね。ありがたいでしょ?」
微笑んだ。ささやかな意趣返しのつもりだった。パソコンを使う場面を見られたことが、少なからずわたしの肝を冷やしていたのだ。
「え、あ、ああ…」
この彼も、しょっちゅう実家に来ては夕食を食べて帰るのだ。なぜか彼が慌て、ちょっと偉そうないつもとのギャップでおかしい。思わずくすくすと笑った。
しかし、いつか相馬さんが、実家に顔を出し過ぎるこの彼を「家庭が面白くないから」と言っていたのを思い出し、笑いを引っ込めた。社長令嬢に見初められ、望んで婿入りしたことも。
確か、結婚五年と聞いた。わたし自身のものもそれと重なる。わたしはガイとの関係に満足しているが、それでもわずかに何かしか、愛情だけではない厄介はあるのだ。夫婦とは、きっとそんなものを抱え続ける共同体のような気がしていた。




             

『さようならの先に』ご案内ページ

お読み下さり、ありがとうございます。
ご感想おありでしたら、よろしければ メッセージ残して下さると、大変嬉しいです♪
ぽちっと押して下さると、とっても喜んでます♪