さようならの先に
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「そんな男がいたら、魔法使いだ」
ぼやくように言った聡見さんに、相馬さんが続けて、「ああ、そうかもな」
わたしは二人の会話に、頬が緩んだ。
ある役目を受け継いだ使者といった捉え方をしているが、確かにガイは、魔法使いのようだ。わたしが心に望むものを、易く与えてくれる。「お嬢さんがほしいのはこれでしょう?」と。そんな風に。
それは、同じくガイも望み、意図するからだと思えた。幸福であるとか、二人の絆のようなノアの存在とか…。
なら、今の別離は何だろう。欲しもしない、考えもしなかったこの別れは、なぜあるのか。
幾度目かのこの疑問が、ふわっとわたしの胸を塞ぐ。
なぜ、離れることになったのか。未練など、こちらにはないのに…。こんなもの思いは、終わりのない繰り言だ。
そして、必ず泣きたくなるのだ。
「そうだ、忘れてた。これ、由良ちゃんに」
聡見さんの声がした。手提げの紙袋をわたしへ突きつけるように差し出す。服だという。ぼんやりしていたから、返事が遅れた。
「え」
「明日、同行して…」
クマのキャラクターのTシャツを着た若い女の子連れだと、「俺が不審者と思われる」かららしいが。よくわからない。
「でも、こんな…」
一見で、ファストファッションの品ではないとわかる袋を受け取り辛い。戸惑うわたしへ、相馬さんがもらっておくよう勧めた。「迷惑かもしれんが」。
「うるさい兄さんに買ってもらったと思えばいいんじゃないか」
その言葉に笑ってしまう。聡見さんは「迷惑って何だ」と、ちょっと不満げに口をとがらせたが、苦笑して、
「社の女の子が買い物に行くっていうから、頼んだんだ。君と同年代の子だから、そう趣味も変わらないだろ」
早口に付け足した。
のぞくと、リバティプリントのワンピースが畳まれている。きれいだと思った。もちろん迷惑ではない。でも、嬉しいのとはやや違う。不意に、花束を渡されたような気がしたのだ。飾る場所もないのに。
それでも、せっかくの気遣いだ。わたしは小さな笑顔を作り、聡見さんへ礼を言った。
 
 
翌朝、気だるい気分で目覚めた。浅い眠りを繰り返したため、睡眠が足りていないようだった。
隣りのこうちゃんを起こさないよう、そっと起き出す。無邪気なその寝顔を見ながら、この日程なく、お母さんから明るい連絡が来るといいのに、と願った。
朝ご飯が出来上がる頃、聡見さんが起きてきた。わたしを見て、おはようの前に文句を言う。夕べもらった服を着ていないからだ。
「何で着ないんだ。気に入らないのか?」
声が尖っている。そんなことでふくれるのがおかしい。食事の支度で汚すと困るから、着ていないのだ。後で着ると言うと、ふうんと納得してくれた。
相馬さんが、「うるさい兄さん」と彼をたとえたが、本当にそのようで笑みが浮かぶ。わたしは兄を知らないが、もしいたら、今の彼のように、あれこれと注意や文句を受けるのかも、とちらりと思った。
それは、やや辟易としそうで、それでもにぎやかで、やはり温もりなのだろう。
こうちゃんを起こし、食事を摂らせた。まだ眠そうにしているが、卵焼きは好きみたいで、ぱくぱくと食べてくれた。
聡見さんに促され、八時半頃には家を出た。こうちゃんの一日が気にかかるが、相馬さんは子供相手のベテランだ。余計な心配は不要だ。ただ、昼食の用意だけは済ませておいた。
聡見さんはわたしとは違い、母親の出方が気になるらしい。
「何かあれば、すぐに警察に言った方がいい。こっちにも連絡してくれ」
それに、相馬さんは浅く頷いて返していた。
車に乗りこみ、訊ねた。
「何かって、何ですか?」
「母親だけなら気にしないさ。一緒にいる男が気にかかるんだ」
「ああ。「ハマちゃん」…」
「繰り返すが、子供に虐待するような男だ」
その言葉に、胸にふわっと不安が広がる。子供を返せ(自分の子じゃないが)と、こうちゃを庇う相馬さんに、暴力をふるうこともあるかもしれないのだ。
「大丈夫でしょうか?」
聡見さんは、後ろのわたしをちらりと振り返って見る。
「逆に言ったら、子供にしか強く出られないようなレベルの男だろ」
だから、聡見さんは父親に、何かあれば警察に連絡することを念押ししたのかもしれない。警察の名が出れば、そんな人だからこそ怖気づき、出方も変わるだろうから。
わたしがそんな風に納得していると、
「由良ちゃん」
「はい?」
「で、何で後ろに座る訳?」
「いけませんか?」
「…いけなくはないけど」
困っているようだ。でも笑ってもいる。
「前においで。話し辛いから」
「そうですか?」
助手席に移ると、彼はまじまじとした目でわたしを眺めた。何かを言おうとして、口を閉ざす。また、浮世離れしたなどと思い、あきれているのかもしれない。
車窓を流れ去っていく景色を、何となく目に入れる。高速道路を降りても、親しんだ風景は見つからないでいた。家屋の群れや工場の連なり、木々で囲われた広々とした公園。サッカー場で走る人々は、ゲームの小さな駒のように見えた。
家の墓地は、実家とは全く別の場所にあった。母方にゆかりがある土地らしいが、詳しくは知らない。わたしがまだ幼い頃、父が企業の運営するそこに墓所を移したと聞いた。
運転中、聡見さんはふと、相馬さんが用意してくれたわたしの背景のことを訊ねた。彼にしてみたら、当然の疑問だ。ときどき降るようなそれらに、ややどきりとしながらも、曖昧に答えた。
「杉本先生、○●市(墓所がある地名)の出身なの?」
「…父の方に関係があるらしいです」
「らしい? 自分の家のことなのに」
「……ちゃんと訊いたことがなくて…」
「墓参り、一緒に行かないの? 先生と。舅さんの介護の手が空いたって、親父が言ってたけど、なら、いい機会じゃないのか?」
「さあ、母も忙しいみたいだから…」
「まあ、あの先生なら、色んなことに首突っ込んで、世話焼くタイプだろうし」
会ったことはないが、その言葉に、杉本先生の人となりの輪郭が描けるようだった。
昼前に、墓所に着いた。広い駐車場には、お盆に時期に合わせて、たくさんの車が停められている。花を手に持つ人々とすれ違う。
以前訪れて以来、随分時間が経っている。ゲートの事務所で、墓参者は記帳することになっている。二名以上は一人の名があればいい。わたしは、少し離れて待つ聡見さんから手元を隠すように、本名を綴った。
久しぶりに書いた名は、馴染みがあるのに、どこか空々しい。もう忘れかけた、気に入りの小説のヒロインの名前みたいに。
きれいに区画された霊園内を、案内図を思い起こしながら歩く。聡見さんは辺りをきょろきょろ見ていた。まぶしげに、目を細めている。
夏の日盛りで、暑いのだ。
場所の見当をつけ、彼を見た。
「ごめんなさいね。暑いでしょう」
「…ここ、高いだろ?」
「え」
「いや、これだけ管理が整っていて、景観良くて、交通アクセスも悪くない。相当値がするんじゃないか?」
この墓所の購入やその費用など、わたしは全く知識がない。ただ、その頃まだ余裕があった父が希望した場所だろう、と考えるだけだ。返事に困っていると、
「ごめん、悪い。下種の勘繰りだ」
彼は土地開発の仕事に関わる人だ。ふと浮かぶ疑問なのだろう。わたしは「いえ」と首を振った。
管理する人の手か、不思議なほど墓地はきれいに掃き清められている。花が供えられているのは、誰の手によるものなのか。父のもとに長く勤めてくれた、矢嶋さんの顔が浮かんだ。帰りに、事務所で墓参者の記帳を検めさせてもらおうか、ちょっと迷う。
墓碑銘が杉本でないことに、聡見さんは何も言わなかった。言い訳を考えてあったので、ちょっと拍子抜けした。
そして、しゃがんで墓に手を合わせることに、思いがけず感慨が薄いのに驚いた。ここを訪れるのに、胸が高鳴りもしたのに。
淡々と心の中で言うのは、両親への礼だ。幸せだと告げたいが、それはためらわれた。ガイやノアと離れた今の自分を、わたしは幸せと認めたくなかったのだ。
聡見さんが待っていてくれるので、程なく立ち上がった。
「もういいのか? せっかく来たんだし…」
「いいえ、ありがとう。もういいです」
最後に、もう一度だけ墓を振り返った。供えられた花が見つめるわたしの前で、風に揺れた。何かの言葉に思えた。なぜか嬉しかった。聞こえない言葉の意味は探らないでおこう。
熱い風が、ふんわりとワンピースの裾も揺らす。きれいな柄の、軽やかにちょっと踊ったそれが、気持ちを和ませた。
夕べ、これを聡見さんがくれたとき、わたしは持て余しただけだった。しかし、実際袖を通し、それが今風をはらんで揺れれば、心が気持ちよく騒ぐのだ。
嬉しい。
素敵な新しい服を着れば、当たり前に嬉しい。
「よく似合う、それ。可愛いじゃないか」
不意に聡見さんに褒められ、ふんわりと和らいだ思いが、萎えそうになる。生の感情に抗えず、こんな風に心を楽しく遊ばせて、いいのだろうか。望むのは、ここで生きることではないのに。
そんな迷いが、瞬時に胸を暗くする。
「つまんなさそうな顔して。嘘じゃない。本当だよ」
「あ、…はい」
頬を強ばらせ、適当に返し、俯いた。
辛かった。
それが本当の思い。
気持ちに蓋をする。そうあるべきでないと否定する。
いつしか独り決めした妙な戒めだ。続けることに意味があるのか、正しいのか…。
答えが欲しいと切実に思う。
ガイの答えが、今欲しい。
 
管理事務所を通るとき、やや迷ったが、墓参者の記帳を見せてもらうことを止めた。花を手向けてくれたのが、矢嶋さんであってもそうでなくても、もういいような気がしたからだ。
誰であれ、両親の墓を訪れてくれたのなら、ありがたく嬉しいから。
車に戻る前に、聡見さんが歩を止めた。わたしを休憩スペースの日陰に誘う。
「ちょうど昼だし、近くで何か食べよう。由良ちゃんは、何がいい?」
「わたしは、何でも…。あの、こんな所まで、ありがとうございました。暑いのに…。すみません」
「それはいいんだって、俺から言い出した…」
ちょっとぶっきらぼうにそう言う彼が、ふっと言葉を切った。不自然な感じだ。何か見つけたようで、わたしはその仕草に首を傾げた。
それからすぐ、何も言わずに腕をつかむから驚いた。なぜか庇うように車へ促す。
「あの、聡見さん…?」
「いいから」
早足で進む彼に、走るように従った。意味がわからない。
車のドアを開けたところで、息を乱した人の気配がすぐ後ろに迫った。何だろう。
気味悪さより、単純な興味が勝った。振り返ると、ポロシャツの男の人がすぐ側にいる。走ってきたのか、息が荒い。顔中に汗をかいていた。そこで初めて、怖くなった。




             

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