さようならの先に
6
 
 
 
ガイはわたしの目を見つめた。
彼がわたしについて、こんな今何を口にするのか読めず、気持ちが騒いだ。そこへ、ノックと共に、ハリスが現れる。彼へ客が来ていると伝えた。銀の盆に載せた名刺を差し出した。
ガイはそれに一瞥し、客には少し待つようハリスに伝えさせる。
ハリスが下がり、わたしは彼に、用ならわたしが待つから、と言った。どうせ何もすることがない。待つのは構わない。
ガイはわたしの言葉に少し迷うようだったが、立ち上がった。「申し訳ない、すぐに戻るから」詫びを言い、部屋を出て行く。ガイには本来の大学での教授職以外に、王子の後見人というまばゆい肩書きがある。そのために彼にとっての煩雑事に追われ、邸を空けることも増えた。
それに文句を言う彼をわたしは知らない。ただ面倒そうに、眉を寄せたり、肩をすくめて見せるだけだ。いつか相馬さんが、伯爵はそれらしく威張っていなければ、周囲が困るのだといったような話をした。彼が威張ることすらも社会を構成する一部だと。
なら、ガイが倦んだ様子を見せつつも、身分柄の課された責務を果たすのは、社会を成す一端になっているのかしら、そんなことをちらりと思った。それで、彼を取り巻く誰もが安心し、それぞれ別な役割を果たし、更に彼らの周囲を納得させる。それを繰り返し、社会の隅々に至るのかもしれない。
最後にはどうなるのだろう。ガイが眉を寄せる。その波紋の効果の果てに何があるのだろう。ガイやわたしの知らない誰かが、花を買うことで終わるのかもしれない。どこかの子供が、母親にお話をせびることがそれなのかもしれない。
ガイは思いがけず長く戻らなかった。わたしは相馬さんの部屋に見舞いに行き、変わりないことを確かめてから、書斎に戻りお茶を頼んだ。
舌に熱いお茶を口に含み、ふとあの列車の中で供される、ウバ茶のような濃い、そしてひどく熱いお茶を思い出した。もう一度あれをわたしが飲むことになる。いきなりのガイの申し出に、心はすぐ決まったが、まだ信じがたい気持ちがある。
過去に、勇ましく火の中のわたしを救い出してくれた、ジュリア王女のやりようを思い出しもした。わたしもあんな風に、列車から降りた梯子に手と足をかけ、相馬さんを彼の家のどこかにそっと返すのだろうか。
しかし、そうではないと思い直す。
ガイがわたしを一度あの世界へ帰すとき、わたしたちはあの列車に乗った。そしてお茶お飲み、話し合い、離れ難く抱擁を交わした。そして、いつかの段階かで、わたしは気を失ったのだ。気がつけば、元の自分に戻らされていた。ガイの姿もなく、もちろん列車の影もない。長い夢から醒めたように思えたのを覚えている。わたしの記憶の中にのみ、こちらの世界があった。
その夢の儚さ、遠いガイと交わした約束のあまりの途方のなさに、味わう孤独は胸を貫くようだった、愕然とした…。
うろうろと記憶をたどる。トレイに並んだ菓子の内から、薄い蜜のかかったおせんべいを一枚食べた。いつからかの癖で、お茶に浸してもう一枚食べた。夕食に障ると思いながら、そんなことを繰り返した。
ガイが戻ったのは、わたしがカップの中に柔らかく戻したおせんべいを口に頬張ったときだった。ナプキンで口元を拭き、すぐに喉にやった。
彼へ熱いお茶を注いだ。断りを入れて煙草をくわえた彼が、わたしの様子がおかしいのか、ちょっと笑う。
「どうぞ。もっと食べればいいのに」
「もういいの」
互いに黙ってお茶を飲んだ。彼が中断した話を始めてくれるのを待つうち、彼に問いたい疑問が浮かんでくる。ガイは「送る方が易い」と言った。では迎えるのとは違うのか。
口にすれば、彼は灰皿に煙草の灰を落とし、
「違います」
「どこが違うの?」
「お嬢さんは、二度目にあの列車に乗ったことを覚えていますか?」
「ええ、多分…、でも途中から記憶がないの」
そのことを考えていたのだ。途中までは覚えているが、ある部分から先がない。わからない。それが何となく怖い気がし、彼の手に触れた。
彼はわたしの手に自分の重ね、
「止めましょうか? 不快なのでしょう」
話の先なのか、相馬さんを送る役目なのか、わからなかった。しかし、わたしはそれに首を振る。知りたいのだ。
ガイは煙草を灰皿に捨て、わたしを引き寄せた。肩を抱きながら言葉をつなぐ。
「ある地点で、あなただけがあちらに渡った。途中で僕は列車を返したのです」
「え」
「きっとあのとき、こんなように僕はあなたを抱いていた。あるとき、あなたの影が薄くなりとても軽くなって、消えてしまった…。僕の腕から、あなただけがいなくなったのです。違った次元に、あなたは引かれて同調したのだと思う」
相槌が打てなかった。わたしのイメージと異なり、虚を衝かれたのだ。ここを訪れた人は、迎えに来たときに近い形で帰って行くのだと思った。しかしそうではなく、まるで相容れない異物が消滅するように、あの列車から消えてしまうとは…。
だから、ガイは「送る方が易い」と言ったのだろう。ただ列車に乗せ、待てば、ある地点で勝手に消えてくれるのだから。
「怖がらせた?」
ガイはわたしが怯えていると思うようだった。首を振った。怯えではなく、驚きと妙な納得が混じり合ったものだ。確かにわたしは、彼ともこちらの世界とも異なる別ものだった。属した元の次元に引かれれば、たちまち取り込まれてしまう。そういうことならば、よく理解できた。
「わたしの話って、何を?」
「そう、その途中だった。ねえ、お嬢さん、僕を怒らない?」
「ガイの何を?」
「今から訊くこと」
「だって、何をあなたが話すのか、わからないわ」
「それでも、怒らない?」
「…わからないけど、ガイに怒ったりしないわ、きっと」
「あなたはときどき猫みたいな目で僕を見るから」
「猫? 嫌なガイ」
「ほら、そんな目ですよ」
わたしが頬をふくらませ、顔を背ければ、ガイは逃げる顎を捉えて口づけた。唇を舐め「まだ甘い」とちょっと笑う。
そんな仕草に恥じらって俯いた。そのわたしの耳に彼の声が降る。
「あちらに未練はない?」




             

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