さようならの先に
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夕食の後で、わたしはガイにこの後のことで説明を受けた。空に満月が顔を出し、時計が九時を過ぎていれば、列車は現れてくれるという。
屋外であれば場所はどこでもいい。帰るべき人を伴って立つ。すると列車から梯子が下ろされる。上らなくても、手と足を掛けるだけで、梯子は二人を上に運んでく。列車に乗って、どれほどかの旅の後だ。ある地点で帰る人のみが姿を消してしまう…。
彼にはわたしが行くと意志を伝えてあった。しかし、改めて話を聞けば少し怖い気がした。相馬さんが消え、それを見届けたわたしが、またこちらの世界へ一人であの不思議な列車で帰ることになるのだ。どんな思いがするだろう。何も起こらないのだろうか。
「怖いのなら、敢えて今回あなたがやることはない。また機会もあるでしょうから」
ガイのこんな救いの言葉に、少し迷った。気持ちはあるが、まだ覚悟が決まらない。そのとき、書斎のドアが開いた。従僕と共に現れたのは相馬さんだった。寒いのか、準備のためか外套を羽織っている。
その人を見ただけで、どんと背を押されるように心が決まる。わたしは行かなくてはならない。そして、このたびの自分の役割に区切りをつけるのだ。
ガイは相馬さんへ笑顔を向け、暖炉の前の椅子を勧めた。わたしは飲み物を頼むのに、呼び鈴を鳴らした。
お茶が運ばれ、わたしはそれをカップに注いで、相馬さんに渡した。彼は熱い紅茶に口をつけ、こちらへの述懐を語る。礼を繰り返し、
「珍妙な経験だったが、最後かと思うと寂しい気もするな」
「お気に入ったのなら、もうしばらくいかがですか?」
ガイが笑いを含んだ声で言う。答えが翻らないと知っているのだ。相馬さんはやはり首を振り、いや、申し訳ないがもう結構、とこちらも笑った。
「お気になさることはないのです。こちらに残ってくれるのは、珍しい。前の祖母のときも一人のみだったと言ったし、僕に代わっても、お嬢さんとその前の博士だけです」
「…伯爵には労を取らせて悪いが、やはりどうしても相容れない。少しの滞在なら、こんないい場所はないんだがな。浮世を忘れる素晴らしい宿だ。世話好きの可愛い女将もいることだし」
「お嬢さん、ここはいい宿屋だって」
ガイは相馬さんの言葉を拾い、わたしへ笑った。そうだ、そのくらい軽いつもりでいればいいのだろう。いつか帰って行くお客に、短くても素敵な滞在を約束するのだ。その割り切り方は、悪くない。
断ってから、ガイが煙草に火を点けた。相馬さんはその彼へ、
「今まで、どれほどの人を運んだのかね? 差し障りなければ、教えてくれんか」
ガイが首を振る。「差し障りなどありませんよ」。そうして顎の辺りに指を置いた。少しの後で、
「二十五人ですね。運べなかった人を含めれば、ちょうど三十になるか…」
その答えに、わたしはカップを取り落しそうになった。「おいおい、大丈夫か」。相馬さんがわたしの様子に声をかけてくれた。
「あんた知らなかったのか?」
頷いた。ちゃんと訊ねたことがない。それほど多いとは、思いもしなかった。想像では、わたしを含めても、三〜四人程度だと思ったのに。ガイは、祖母の存命中もその任を果たしていたと言った。ああそうか、と納得する。認めた人であれば、役割を託すこともできるのだ。先のジュリア王女や今夜のわたしのように。
わたしの驚きを外に、相馬さんは次々とガイに質問を重ねる。わたしも耳を澄ました。一心に聞くその姿勢がおかしいのか、彼はわたしへちょっと微笑んだ。
「その、迎えに行く間隔みたいなのは、決まっているのかい?」
「いえ、全く。もしかしたら、あなたで最後かもしれないし、明日あるかもしれない」
「そんな役目を伯爵は疑問に思わないのか? まあ家業だと思えばそうでもないか」
「思いますよ。今でも思っている。僕は数字が専門の学者だから、このことについてかなり考えました。回答は得ていません。けれども、仮に数式であちらとこちらを結ぶ時空のねじれの証明が効いても、それでは全ての説明がつかないのです」
相馬さんは興味深げに相槌を打った。自分もその不思議に引かれてこちらに来たのだ。当然の反応だ。わたしも、暖炉の日が爆ぜる音に混じる、ガイの静かな声を聴いている。
「なぜ人を運ばねばならないのか。…ここはあなた方のいた場所と、だいぶん違うのでしょう? それでも、個人的な違和感はともかく、訪れる人をこの世界は必ず受け入れるのです。僕には、あなた方が生え抜きでないとわかる。しかし、他の者にはどうしたってそれがわからない。どう見えても、何が異なっていても、絶対に溶け込むのです。…これは、お嬢さんはよくわかりますね」
ガイはわたしを見た。それに頷いて返し、ちょっと場違いなことを考えている。彼が大学で学生を前に教えるとき、こんな声音と調子でいるのではないかと思った。ふと、瞬時自分をガイの教え子の一人であるかに感じた。
「しかし、帰って行く人が多い。それは…?」
ガイは相馬さんの声にちょっと頷き、言葉を継いだ。
「「帰る帰らないは、関係がないのでしょう。そう思います。こちらの地を踏む、もしくはあの列車に乗る。それで、やって来た人の意味の全ては完結しているのではないかと」
「どういう意味だ? それで我々に何か変化があるのか?」
「多分ある」
それに相馬さんは、黙り、わたしを見た。同じ境遇のわたしに、その変化を見ようとしたのかもしれない。
「安心して下さい、ここに来たことで、悪い変化を引き起こすことはありませんよ。ただ…」
そう言って、くわえ煙草のまま、彼は卓上のシガレットケースから煙草を取り出した。それをテーブルに並べる。おかしな仕草に見入る。
「見て下さい」
相馬さんとわたしに示し、一本を指さした。「これが、あなた方の世界。そして」ともう一本の煙草を横に平行に置く。「ここが、今いるこちらの世界」
そしてお茶のセットから角砂糖を一つ摘まんで、二本の煙草の間に置いた。
「これが、あの列車です」
ガイは、並べた煙草と砂糖を見ながら、もう一本の煙草をまた横に置く。その隙間には砂糖を置かず、指でとんとんとテーブルを叩いた。
「ここには、また別なルートがあるような気がします。列車ではないかもしれない、船かもしれないし…、または、そんな手段すら必要がないときもあるでしょう」
「こんな世界が横にまだあると…?」
「多分。僕はそう思う。きっとそんな平行世界は無数にあって、互いに願いさえあれば、行き来が叶うのだと思います。その手段が、こちらの場合、何かの法則であの列車であるだけの話で…。だから、あなた方がここにやって来た時点で、もう叶っている。すべてが終わっている」
「願いって、考えたこともないぞ。こんな小説の中みたいな邸のことは」
ガイは笑って、
「そう…、例えば、先生は、時計を見るとき何か考えますか?」
「いや。時間が知りたければ、勝手に時計に顔が向く」
「その「勝手に」が願いなのだと思いませんか? 叶っているでしょう、必ず。時計が銃で打ち抜かれて、時刻が読めなくなることもないし、急にその時間が逆戻りしてしまうこともないでしょう」
「しかし、時計を見るならそういくが、例えば重い病気の快復や、大金を願ったときなんかはどうなんだ? 叶ったことなんかないぞ」
「叶っていないと、どうしてわかりますか?」
「そりゃ、目の前にないから。どうしたって、願ったくらいでそんなことは起こらんだろう」
「目の前にないから、ないのですか? では、ここにあるとしたら?」
ガイは新たに置いた煙草をちょんと指した。そして、また別な煙草を取り、その横に平行に並べた。「願うたびに可能性が生まれ、こうして世界が増えていく。そこに移るには、何らかの手段が必要となりますが、我々が何かを望んで思えば、見えなくても、それは生まれて確かに「ある」のだと思います」
ガイの話に、唸るような相槌を打つ相馬さんを眺めながら、わたしはふと自分を振り返った。そして、願いという言葉を繰り返し胸につぶやいている。わたしは、知らず何を願ってここに引き寄せられたのだろう。相馬さんが否定したように、ガイやこの世界を夢想したことなどないのだ。
「願いというほど大袈裟でなく、可能性を意図するといった方がしっくりくるかもしれません。起きて眠るまで、我々はうんざりするほどその作業を繰り返す。特別に執着するもの以外は、意識など向けません。気にも留めずに埋もれた、その中の一つが…」
「この世界か」
相馬さんが引き継いだ答えに、ガイは頷いた。立ち上がり、短くなった煙草を暖炉に投げ入れる。
「信じなくてもいいのですよ。これは僕が思う解釈に過ぎません」




             

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