天涯のバラ
10
 
 
 
クリスマスイブが暇だというから、彼は驚いた。恋人がいなくても、それ候補の男が、彼女なら幾らでもいるだろうと思う。
「劇団の連中はどうした?」
彼女は「だって…」と、もごもご言って要領を得ない。
「女の子が一人は寂しいだろう、遊んでもらいなさい」
「誘われたけど、予定がない人は合コンに行くっていうから、気が乗らなくて…」
「行けばいいじゃないか。いい時間になったら、俺が迎えに行ってやるから」
「想像して下さいね。合コンで居酒屋に行ったら、北島マヤがいるんですよ。ぎょっとしませんか?」
「するな」
彼は大笑いした。
じゃあ、どうするんだと訊けば、決まったレッスンを終えたら部屋にいると答えた。ふうんと彼は間を置いて、
「なら、会わないか? ご馳走するよ」
「え」
今度は彼女が驚いたのか、黙ってしまった。イブに誘うのはやり過ぎだったかと、急いた失言を悔やんだ。
「あの、速水さん、ご家庭でクリスマス、しないんですか?」
「七十を超えた父と二人でか? こっちこそぎょっとするだろう」
彼女の問う意味はわかった。しかし、答えを言う前にそんな軽口を利いたのは、大きなイベント日に彼女を誘う照れがあったからだ。
「あの…、奥さまとは?」
「会わないよ」
「え」
「速水の家がそうだから、俺も仏教徒だろ。ちびちゃん、君はアメリカで洗礼でも受けてきたのか? 単なる年の瀬の休前日じゃないか。気にするな」
「まあ、そうですね」
口車で彼女との約束を取り付けた。
当日、社に呼び出した彼女は、コートの下にやはり例のアイボリーのワンピースを着て現れた。以前彼が触れて以来、意地にでもなっているのか、パーティー以外で他の服を着るのを見たことがない。
「俺と会うときの制服か?」
からかえば、「自分だって」と笑う。だから、違うのだ、君とは。言いたいが止めておいた。
食事の場所は、秘書の水城に予約を頼んだ。「まさか?」といった顔をされたが、知らん顔でいたところ、彼女がやって来たから、全てを飲み込んだように一瞬にんまりと笑った。
この秘書は、彼と彼女が仕事のパーティーを含め、よく会うのも知っている。彼の時間が空くまで、社長室で待たせると、彼女にお茶を出し、
「マヤちゃん、大したホステス振りで、社長のお役に立っているのですってね、評判よ。そのご褒美に、遠慮なくご馳走してもらったらいいわね」
「はい、たかりに来ました」
昔と変わらず、彼女は元気に答えた。デスクでペンを走らせながら、彼にはそれが、懐かしも微笑ましいのだ。
十五分ほども待たせて、彼女と外へ出た。社用車で、予約した店に向かう。帰りはタクシーを使うからと断り、車を返した。
「鍋が食べたいって言ってたな。ブイヤベースでいいか? 水城君のお薦めなんだ」
「あ、はい。何でも…」
そう高級な店ではないが有名店らしい。しかもイブとなれば、ほぼ満席だった。それでも簡単な個室が取れたのは、秘書の功績だろう。席について、互いにビールを頼んだ。部屋が外との寒暖差で、暑く感じられたのだ。
何となくグラスを合わせてから飲んだ。
「すみません、こんな日に、つき合わせて…」
「誘ったのは俺じゃないか。面倒なら誘わないよ。君こそ、せっかくのイブに、俺が相手で残念だったな」
「そんなことないです」
料理が来た。彼女がまめに取り分けてくれる。改めて思うが、こんな細やかさをいつ身につけたのか。ふと気づけば、彼女は彼の知らない美しいものを、幾つも備えてしまっている。
その間、自分はうかうかとただ日々を送っていたのだろう。何を成した気持ちもない。そんなことをちらりと考えれば、彼女の視線に気づく。
「どうした?」
「あの…」
スプーンを口に運ぶ。冷えたビールの後で、ひどく熱い。それでちょっと顔をしかめたとき、
「こんなこと、わたしが言うの、おこがましいんですけど」
「ん?」
「きっと大丈夫ですから。奥さま、きっと良くなられます。無責任なことを言うなって思うかもしれないけど、きっと、きっと…」
真剣な顔で、両手を握り、そう言うのだ。彼は返事に窮した。彼女は彼が病気の妻を思い、悩むように見えたのだろう。心根の優しい子だ、彼の何かが彼女の目にはそう映り、その状況に同情を寄せてくれたのに違いない。
「ありがとう、だといいな」
軽く返した。彼が話さない以上、彼女は何も知らないのだ。
少しだけ重い空気を払うように、彼がポケットから小さな包みを取り出した。彼女に差し出す。「クリスマスプレゼント」。
「え、だって、前にドレスを…!」
「あれは紫のバラの人からだろ、これは俺からだよ」
「え、だって、そんな…」
彼女が更に言うのを封じるように、顎で開けるよう示した。小箱にはネックレスが入っている。
「わあ」
気に入ったのか、顔をほころばせた。それを見るのが彼には嬉しい。「いいんですか?」と訊くから、それに返さず、彼はネックレスを取った。立ち上がり、後ろから彼女の首につけてやる。
華奢な金ゴールドのそれはトップにダイヤのモチーフが輝いている。あるハイブランドのものだが、彼女の白い首元によく映えた。
「君は毛糸の襟巻が好きかもしれないが、たまには違うものもいいだろ」
「毛糸の襟巻なんかしてません。あれはファーです。フェイクだけど」
言い返しながらも嬉しげだ。欲しいものがないなどと嘆き、彼を心配させたが、やはり若い女性らしく、こんなアクセサリーにはときめくようだ。
「ありがとうございます。いつもご馳走になっているのに…」
「水城君も言っていたが、君には本当に助けてもらっている。こちらこそありがとう」
「パーティーのことなら、あれは仕事だから…」
「なら、その給料だよ」
食事が進んだところで、彼女が切り出した。いつか彼に言った「聞いてもらいたい話」をしたいという。形になったら話すと言ったが、どうなったのかと、気になっていたのだ。
「ああ、いいよ」
応じながら、胸が痛む内容でないことを願った。彼女は彼を見て、少し視線を下げた。そうして、
「速水さん、わたし、子供が欲しいんです」
「え」




           


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