天涯のバラ
11
 
 
 
飛び出した内容に、彼はグラスを取り落すところだった。テーブルに置き、彼女を見た。声が尖るのを意識したが、どうしようもない。
「結婚するのか?」
身勝手な思いだが、彼女に裏切られたような気がした。この間まで、「当分そういう人は作りません」とはっきり言っていたのだ。
彼女は首を振った。
「子供が産みたいんです」
「…妊娠してるのか?」
冗談でなく、視界が狭まり目の前が暗くなるように思った。いったい誰の子だと、落ちた目がうろうろと辺りをさまよう。
「違います。でも、しようと思っています」
「…誰と?」
「それは、これから…」
「は?」
彼は目を上げ彼女を見る。目の前の彼女は、彼の視線に合い、頬を赤らめている。妙齢の女性が、男を前に妊娠するつもりだと打ち明けるのは、恥ずかしいことだろう。
「ちびちゃん、俺は意味がわからない。わかるよう言ってくれ」
「はい…」
それから彼女が述べたことは、彼には信じがたい話だった。開いた口が塞がらないとは、このことだと、首まで振った。
「君、それは…」
「無茶に聞こえますよね、でも、実際そうして子供を持った人を知っているんです。彼女から色々聞いて、考えました。アメリカでは事例も多いですし…」
(しかし、『精子バンク』はないだろう)
彼は額に手を当てた。彼にだって、アメリカでは精子や卵子の市場が盛んなのは知識としてある。そうして希望を叶えた人も多いことも理解できる。
(しかし、ここは日本だぞ)
若く健康上の問題がないはずの彼女が、どうしてその手段を選ぶのだ。十歩も百歩も彼の常識の先を行き過ぎている。
まず、と彼はその手段は置いておき、どうして子供を欲しいのか訊ねた。まず相手があってからの子供だと、それが順当だと彼には思える。
彼女は小さくちぎったパンを口に入れ、まだ頬をふくらませながら、「家族が欲しいんです」と言う。パンを噛みながら言うには重い内容だった。彼女には家族がいない。改めてそのことを彼女の口から聞くと、胸に突き刺さるようだった。
演劇一途にやって来て、願い以上の成果を上げられた。でも、と彼女は言う。
「誰も喜んでくれないんです」
「おい、それはないだろう。君には古くからの仲間もいるじゃないか。彼らは家族みたいなもんだろう?」
「それはそうです。でも、劇団の皆も、特別な相手ができたり、家庭を持ち始めたり、昔と一緒と言う訳には…」
「なら、君には俺がいる。それじゃ駄目なのか?」
そこで彼女はちょっと笑った。大人びた笑い方だった。
「速水さんは、速水さんだから…」
(何だ、それは)
まるで、所詮は事務所の社長、とくっきり線を引かれたようで、彼は鼻白んだ。
「自分の子供を産んで、その子にこれからわたしのすることを見ていてほしいなって。それって、大きな張りになる気がして…」
これは、以前聞いた「欲しいものがない」という話からの派生なのだろう。懸命な努力の果て、望み得る以上の高みに着いた。彼女は今、少し燃え尽きた気分になり、目的を失っているのではないか。
「速水さんは、ちびちゃんちびちゃんって、わたしのこと言うけど、それほど若くもないんですよ。出来たら、あと四年ほどの間に、一人は産んでおきたいんです」
三十歳までに、と彼女なりに現実的な期限を切っての計画だ。彼が思うほど無鉄砲な思い付きでもないらしい。自分に打ち明けるのは、妊娠・出産となれば、長期の休暇が必要になる。そしてスキャンダルの迷惑は避けられない。所属の社長へのその配慮からだろう。
確かに、事後報告されるよりははるかにマシだが…。彼はため息をついた。
「君が自分の子供を望む気持ちは、よくわかったよ。それは俺がとやかく言う筋のものじゃない」
次は、その手段の話だ。
彼は彼女の目を見ながら、
「普通に恋愛をして、その相手と子供をもうけようとは思わないのか? 結婚したり…」
彼女はゆらっと首を振る。
『紅天女』以後からの考えだと前置きし、
「ねえ、速水さん、北島マヤと恋愛をしたい人っていると思いますか? わたし、いないと思うんです」
「え」
「遊んでくれる人はいます。好きだとか、そんな振りをしてくれる人はいるんです。けど、本気でわたしと恋愛をしてくれる人って、いないんですよ」
「そんなことはないだろう、君、それは…」
「本当ですよ、これ」
彼女は自然な口調で言う。彼女のビッグネームに、並みの男は引いてしまうのは想像がつく。冷静に周囲を観察しての意見だとは思うが、しかしあまりにも、自己批判的過ぎる。
「桜小路はどうした? マヤちゃんマヤちゃん、君にべた惚れのはずだろ」
「そんな昔のこと。仲良しだけど、彼にはちゃんと彼女もいるし、そんな気はとうになくなってますよ」
「なら、アメリカにいる里美はどうだ? ブロードウェイで活躍していると聞く。よく会っていたんじゃないのか? 向こうで」
彼女に惚れた男の総ざらいをしてやる自分がおかしいが、他にしょうがなかった。
「ああ、里美君。よくしてくれましたよ。でも、あの人もそういうんじゃ…」
声を潜めて、アメリカ人の恋人と一緒に住んでます、と言う。ここだけの話ですよ、と。
「海外で探す気はないのか? 君なら出来るだろう」
「わたしの知り合いは、業界の人ばかりです。男の人はプライドをきちんと持った人が多いし、思う以上にキャリアの釣り合いを気にすると思う。同じです。他を探せと言うかもしれないけど、それも四年と決めたら不可能じゃないですか? 探して、見つけて、そういう関係になって、子供を作って、出産する…。現実的じゃないかな、って。そんな目的で接触するのも、相手に失礼だし…」
だから、合理的に実際的に、『精子バンク』なのだ。彼は唸った。よく考えている。しかし…、




           


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