天涯のバラ
21
 
 
 
彼女からは画像付きのメールが送られてきた。ドラマの撮影を終え、今はニューヨークだという。縁のできたフィットネスクラブの元オーナー夫人が、彼女をコネのあるアーティストのライブに連れて行ってくれ、その折の写真を送ってきたのだ。
彼にはちょっとぼけて映る、その写真のアーティストの男性に見覚えがない。しかし、楽しげな様子は伝わった。
『この後、友人のところを回ってから帰ります』
仕事まみれの自分とは別世界にいる彼女が、ちょっと羨ましくもなるが、虚無的で寂し気な彼女を見るよりよほどいい。
帰国を知らせてくれ、と返した。
彼女が帰国したのは、それから十日後になった。この夏は『紅天女』の公演を予定している。それまで彼女は単発には渡米するかもしれないが、長い滞在は許されない。会った際、「よく遊んできたか?」と聞いたら、元気良く頷いた。
食事をして、約束のペトリュスを飲むのに、彼は部屋に呼んだ。レストランに持ち込んでもよかったが、趣味人のワインの会でもあるまいし、と部屋で気軽に飲むことを選んだ。
食事の後で、ワインのつまみにケーキを二切れも食べるのが、彼には理解不能だ。旨いのかと訊けば、フォークで味見をさせてくれた。
そういえばと、以前提案した養子縁組の件へ話を向ける。
「考えたか?」
「やっぱり、変です」
「何が?」
誰かに意見をもらったのかと訝しんだが、彼女は誰にも話していないという。「言える訳ないじゃないですか。速水社長と義父娘になるかも、なんて」
「周りを気にするな」
「それに、わたしが速水さんの娘になったりしたら、イニシャルが同じになるんですよ」
「ああ、そうか。便利じゃないか、海外に行くときは、俺のトランクを使ったらいい」
彼女はぶつぶつ、そんなの嬉しくない、とつぶやく。気が乗らないようだ。
(まあゆるゆる口説いていけばいい)
彼がそう思ったとき、
「わたし、やっぱり自分の子供を持つ方がいい」
そして、先だってのアメリカ滞在中、知人の紹介で『精子バンク』に登録を済ませてきたという。彼は目の前の風船が割れるようなショックを受けた。
「『ミラクル・ラボ』っていうところで、会員数も実績も、ベストらしいですよ」
「…ちびちゃん、半年は待つって約束しただろう、どういうことだ?」
彼女はワインを飲み、ちょっとてへっと笑う。約束の期限終了後に、時間を置かず人口受精の処置を取ろうと思う、という。
笑いを引っ込め、神妙な顔になり、
「手続きもあるし、実際行うのはもっと後になります。処置後もそれで必ず妊娠できる訳ではないし、何度か繰り返すことを考えて…」
出来る限りロスタイムを減らすよう、申し込みを前倒ししたのだという。
彼はくわえていた煙草を取り、テーブルに投げた。ため息が出る。
「ちびちゃん、君はいつからそんなに手回しがよくなったんだ?」
彼の知る、昔の彼女は、行き当たりばったりの、天然娘だった。根は変わらないはずだが目の前の彼女の、周到な計画性には驚かされるばかりだ。
「違いますよ、そんな風に説明を受けて、マリア、あ、知人ですけど、彼女もそう言うから、わたしは納得して決めただけです」
確かに、これまでの彼女の道程で、大きな決断は彼女自身が下してきたのだ。迷っても悩んでも、不思議な天性の勘のような冴えで、正しい道を選び取ってきた。
認めたくはないが、今回もそうなのだろうか、とわずかにその意思を尊重する気持ちが起こる。結局のところ、彼が止めようが諌めようが、彼女が決めたら、やるときはやるのだ。
「それで、君がその『ミラクル・ラボ』で子供を授かったとしたら、あちらに住むのか?」
問いながら、前にあの夜、彼女が言ってくれた言葉を思い起こしているのだ。『速水さんと離れない』と言ってくれたあの声を。
彼女は彼を見た。その目尻がやや笑っている。自分は拗ねた、情けない表情をしていたのだろうか。それを隠すのも面倒になる。彼はそのまま彼女の瞳を受けた。
「それも向こうのスタッフの人のアドバイスを受けました。出産はあちらで行うのが、国籍の件でも子供に有利だけど、育児は日本でも問題がないのじゃないかって」
父親を公表しないという対処の方法もある、と彼女は言った。
「誰かは言わないけど、向こうの恋人との間に生まれた子供です、って通してもいいんじゃないかって。子供のアイデンティティーが〜、って話も聞いたんですけど、それはアメリカでもこっちでも同じでしょ」
「そうだな、父親に顔がないのは一緒だな」
「やっぱり日本の方が、ご飯がおいしく感じます。友だちも多いし、速水さんもいるし」
「ついでか」
苦い思いを、ワインと飲み下し、今後彼女がどんな決断をしても、自分はそれを支えようと思った。世論やマスコミのバッシングがあれば、どうやっても守ってやるし、苦労が見えているその選択を助けようと覚悟した。
 
 
忙しい日々が続いた。
義父が膝の手術をし、時間を作っては業務の報告に、病院に日参する仕事が増えた。帰ろうとした際、彼を呼び止めた。聖から連絡があった、という。それで、話の目途はつく。
鷹通最大規模を誇る流通部門での理事の自殺の件だ。
「お前は会ったことがあるのか? その男とは」
「会合で一度。親しく口を利いたことはありませんが」
顔色の悪い壮年の男だった。必ずそうだが、同族色強いあのグループ内で、やはり自殺したあの理事も、鷹宮翁の顔色をうかがう人物だったように思う。そうでなければ、あの狭い世界で生きてはいけない。
「気の毒に。五十五なら、まだ子供も成人前かもしれんな。どんな悩みがあったのやら」
それほど同情している風もないのに、そんなことを言う。義父には、鷹通の流通部門で起きてきたことが手に取るようにわかるはずだ。自身が経験したことなのだから。
「向こうの取締役を辞めたと言ったな、それはいい。引いて置くに越したことはない。どこまで広がるか、わからん」
「追って、調査はさせています」
義父は頷き、
「…真澄、お前も息抜きのできる女くらい作れ。あの嫁さんには、気兼ねも要らんだろう。仕事にかまけていると、あっという間に歳を取るぞ。何も残らん」
「はは、お義父さんはどうでしたか?」
「わしはお前のおかげで、『紅天女』を手に入れることができた。それ以上は何も求めんよ」
「では、肝に銘じておきます」
彼はそれで病院を辞した。義父の言葉は、いつかアメリカで聞いたあのクラブの元オーナーのものに似ていて驚いた。表現は違うが、いずれも「悔いは残すな」と彼に伝えている。
『紅天女』を手にし、大都劇場での上演を叶えた。そして自分が運んだ紫織と彼との結婚が破綻したのを機に、義父は、やや老いたように見えた。鷹宮翁の精気のしぼむような衰えとは違ったが、以前にはない穏やかさと気楽さがのぞくように思えた。これまでの重責を彼に譲ったことも原因だろうか。
どんな悪人でも、寄る年波にその精神が澄んでくるのか、と彼はふと思う。




           


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