天涯のバラ
4
 
 
 
思いがけず早く来た約束の日、彼女と待ち合わせた。彼女の都合で、夕食にはやや遅い時間だ。それでも人通りが多い街を歩く。
「どこへ連れて行ってくれるんだ?」
てっきり予約してあると思った彼に、彼女はお薦めの候補が三つあるのだと言う。今からいきなり行って大丈夫かと、首を傾げる。無理なら、自分がどこかに席を取ろうと思った。
「一つは、多国籍料理のお店で、照り焼き味のパエリアがおいしいんです」
ここから十分ほど歩いた小路にあるという。ふうん、と彼は答えた。彼女が好むのなら多国籍でも無国籍でも何でもいい。
秋も深まり、肌寒い空気の中を彼女と歩く。彼女の歩幅に合わせ、ゆっくりと彼は歩を進めた。こうして穏やかに二人でいるのが、信じられない気持ちだった。
彼は仕事帰りのスーツだが、彼女は今夜いつかのジャージではなく、アイボリーのワンピースを着ていた。清楚なお嬢さんといったいでたちで、可愛らしかった。
彼は、ふと自分との二人連れは、傍からどう見えるのかと考えた。恋人同士には似つかわしくないぎこちない距離がある。職場の上司と部下、もしくは親戚にでも見えるのかもしれない。
十分もせずに、彼女がある看板を指さした。『エスニック万歳!』とある。
「あそこ。桜小路君のお父さんがやってるんです。仲間が行くと、お父さんが桜小路君に連絡してくれるから、大抵来てくれますよ」
「…別の店にしないか?」
「え」
「エスニック苦手なんだ。悪いな」
「そうですか。じゃあ。ちょっと戻って…」
来た道を少し戻り、別の小路に入った。彼女はすぐの小さな店を指す。鉄板焼きのようだ。看板に『くれない』とあった。彼は何だか嫌な予感がした。
「ここ。源造さんのお兄さんがやられているんです。サービスしてくれますよ。壁に役者時代の源造さんのお宝写真が一杯! 黒沼先生が常連で、ボトル置いてあるんです。みんなで行くと、いつも勝手に飲んじゃってるんです。へへ」
「…もっとあっさりしたものにしないか? 和食とか…。俺が…」
彼は自分のケイタイを取り出した。知った店に連絡しようとして、彼女が「あ、そうだ」と手を打った。
「和食がいいのなら、少し先の割烹はどうですか? 演劇協会の山岸理事長の奥さまがされているお店で、仲間で行くと、飲み代はタダにしてくれるんです。蒸し物がおいしいんですよ。『紅天女』の関係者が行けば、理事長はお近くの住まいから出ていらっしゃることも多くて…」
なぜこの界隈は、関係者の身内経営の店がそろっているのだろう。その謎は置いておいて。
彼は空咳をして、彼女の手を引いた。せっかくの時間を、ややこしい知人たちとねばっこく共有したくなどない。自分の知っている店にしようと言った。
「思い出したんだが、君は好きな甘いものが好きだったろう。デザートも豊富で、きっと気に入るから」
「そうですか」
彼女は素直に頷いた。タクシーをつかまえ、乗り込んだ。その中で予約の電話をかけた。名を出せば、まず個室を都合してくれる。
店に着くと、彼女は辺りをきょろきょろする。その仕草がおかしい。和装の女性に付いて、用意の個室に入った。落ち着いた和風のしつらえだが、創作フレンチの店だ。何度か仕事で使ったことがある。女性受けがいいので彼女に向くと思っただけだ。
席に着くと、出されたアペリティフを口にしながら、彼女は「高そうですね、ここ」と目を泳がせている。
「言い出してなんですが、わたし、あんまり持ち合わせが…」
カードを持ち歩かないのか、とおかしくなる。訊ねれば、「あればっかりで払っていると、金銭感覚がおかしくなりそうで…」という。質実なのは、彼女らしい。
「君に奢ってもらうつもりなんかないよ。取りあえずお任せでコースを頼んだから、他にも気にせず好きなものを食べたらいい」
「でも、お土産の代わりなのに」
「君が時間を割いてくれたから、もうそれでなしにしよう。十分だ。実は頼みたいこともある。その穴埋めにも、俺に持たせてくれ」
「はあ…」
彼は今度ある、社が主催のパーティーのホステス役を彼女に頼みたいと告げた。自分について、挨拶をしてくれるだけでいいと言い添えた。
「大都を名乗って俺の側にいてくれるだけで構わない。頼めないか? 君ほどうってつけの人物はいない」
「客寄せキャットですね」と笑い、
「いいですよ」
運ばれた前菜をつまみながら、彼女は頷く。オーダーしたワインを互いに飲み、少し沈黙が続く。彼にしたら、この話題が済めば、もう社長としての責務は終わったも同然だ。後は単なる彼女のファンとして、このひと時をただ楽しみたかった。
彼女がグラスから目を上げ、
「あの、どうしてわたしなんですか、さっきのパーティー…」
「言ったじゃないか、君ほどの適役はいないって」
「奥さまがなさるんじゃないんですか? そういう役目は」
彼は彼女の口から妻の件が出、少しうろたえた。当然の問いなのに。彼らの結婚前に渡米した彼女は、何も知らないのだ。もっとも紫織の状況は、伏せられるだけ伏せ、知る人も限られている。
軽い戸惑いを飲み下し、真実を告げた。
「家内は、病気の療養中なんだ」
「あ、そうなんですか。ごめんなさい…」
今度は彼女が口ごもった。彼は首を振る。気まずい思いをさせて悪かったと思った。
「いいんですか、もう遅いのに…」
妻が病気中に、その夫とこんな場にいることがいたたまれないのだろう。彼はちょっと吐息をした。彼女に嘘をつく気はない。
「もう長いんだ。もう四年に近いな。体調を崩して、ずっと蓼科の別荘で静養している。東京にいても気持ちが塞ぐようで、色々知った人の少ないあちらにいる方が気楽だと言ってね」
彼女は彼を見つめ、瞳を下げた。唇の辺りに指を置き、あんなに幸せそうだったのに…、とつぶやいた。間接照明を受け、白く浮かぶ彼女の顔は、いつもより大人びて見えた。いつかの素顔ではなく、妙齢の女性らしく、きちんと薄化粧を施してある。それもひどく愛らしく、彼の目にまぶしい。
彼は自分のグラスを飲み干し、自ら注いだ。彼女の少し残ったワインを飲むよう促し、新たに注いだ。そうして、空気を変えるように、
「いつも、さっきみたいな店に行くのか? 理事長だの源造さんだの、関係者絡みの」
「外で飲むときはそうですね。ああいうところが落ち着くみたい。知った人ばっかりで」
他はやはり仲間の誰かの家で、のんびり飲むことが多いという。前から自分を知っている人たちが、気楽でいい、と言った。
そこで彼は、これまでのアメリカでの暮らしを訊ねた。現地の者から、ある程度は知らせを受けてはいるが、彼女自身から聞きたい。
屈託なく彼女は教えてくれた。語学研修中も、映画やミュージカルを観て回り、言葉を覚えてからはオーディション活動に精を出した…。
「今までの演技が通じなくて、悩んだこともありました。なり切っちゃえばいいってものでもなくて…」
「どういう?」




           


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