天涯のバラ
6
 
 
 
「俺が紫のバラの人だと知って、大都に入ってくれたのか?」
「それもあります」
そして、彼女はいつか聞いたことを繰り返した。「速水さん程『紅天女』にこだわっている人を知らないから。役者でもないのに」。
「やっぱり、恩返しがしたかったんです。速水さんにはたくさん助けてもらって、そのお返しがしたくて…。今もそう思っています。でも、ご馳走になって打ち明けたりして、間が悪くて、変ですね」
「そんなことは気にしないでくれ。君のおかげで、俺個人とは別にしても、社は大変な盛り上がりだった。あの水城君が、飛び跳ねてたぞ。正直かなり儲けさせてもらうことにもなる。株価まで跳ね上がってとんだ余禄だ」
彼女は少し俯き、「速水さんだけだった」と言う。
「あんな最初から応援してくれていたの。バラを贈るのを止めようとか、わたしには見込みがないとか、思いませんでしたか?」
「君は何か誤解していないか?」
「え」
「見込みがあるから、ファンになるんじゃないんだ。ファンになってから、君の可能性を夢見るんだよ」
「それは…、どういう?」
意外な展開だったが、この日彼女に対し、こんな話が出来ることは彼には楽しかった。先ほどの彼女の母親の件もそうだが、胸に長くせき止めていたものを取り払い、屈託を流す作用に似て、打ち明けるほどに心が軽くなるのだ。
気づけばコースは終盤で、ワインはほぼ空いた。ほとんど等分に飲んでいるのに、彼女に乱れた様子がない。彼女の意見を聞いて、ワインを一本追加した。
届いたワインを注いでやりながら
「君は見かけによらず、飲めるんだな」
「見かけって何ですか? またちびちゃんですか?」
「俺は何も言ってないぞ」
「いいけど。ちびちゃんは本当だし」
彼女はグラスを両手で挟み、旨そうに口に運んだ。
「いつもワインを飲むのか?」
「いいえ。好きですけど、普段はビールかな。ワインは亜弓さんと会うとき、がっつりいきます。彼女おいしいワインに詳しくて」
「贅沢な席だな。君と亜弓君か…」
「…あの、速水さんさっき、何を言いかけました? わたしが誤解しているって言っていたでしょ」
「ああ、そうだな」
彼は途切れた話を繰り返した。「見込みがあるから、ファンになるんじゃないよ」。
「そりゃ、大女優になってほしいと思ったが、それは君がそう望んでいたからだ。『紅天女』だって、君が目指したからこそ応援してきた。俺は…ファンとしては、君が君らしい女優であってくれれば、それで満足だったよ。だから、止めようと思ったりはしない」
彼の言葉を聞き、彼女は頬を強ばらせた。あり得ない男の似合わない告白に驚いているのだろう、彼はそう納得し、その頬をちょんと突いた。
「…果てに、その女優が晴れて念願の『紅天女』を継承し、更に前人未到の賞まで獲ってくれた。こんなファン冥利に尽きることはない。いい夢を見させてもらった」
「どうして、そこまで…?」
それに、彼は返事を窮した。羨望と憧れ。それはいつからか強い恋情に変わった。そこまでを打ち明ける勇気はない。ただ、今夜彼女の気持ちを聞けた、そして彼も、全てではないが告げることができた。その成果に十分満足しているのだ。
「さあ、な…。ファンなんてもんは、そんなもんじゃないのか」
 
 
次の週に行われたパーティーで、彼は彼女を伴い、ホストを務めた。彼女は華やいだ着物姿で彼の隣りに立ってくれた。
彼女の存在の効果は計り知れない。「大都の北島です」とさらりと口にし、彼と共に客のあしらいに励んでくれる。とぼけたところはそのままに、それでもそつなく場をこなすのは、ありがたかった。
とにかく時の女優だ。彼女が声をかけるだけで相手は喜ぶし、それを緒にして話がし易い。これを見込んでのことだったが、彼女を伴いながら会場を動き回るのは、いつになく晴れがましく楽しいことだった。
パーティーが終わり、客を見送った後で、彼女が会場にしたホテルの控室に消えた。着替えて帰るのだ。送ろうと思い、それを告げたかったが、一足遅い。彼はタイを外し、コートを着ればおしまいだ。
ロビーで待てば、エレベーターから、以前の夜に見たワンピースに紺のストールを巻いた彼女が現れた。急ぐのか、小走りで髪を揺らしエントランスに向かうから、ちょっとウサギのようだと思った。
「ちびちゃん、送るよ」
追いかけて肩に手を置いた。今夜の礼も言いたかったし、空腹だろうから予定がなければ何か奢ろうと思った。
「あ、速水さん」
「急ぐのか?」
ホテル近くの十時閉店のカフェで、食べて帰ろうと思ったという。あっけないほどの答えに、笑みが出る。彼女の言葉はいつもどこかほのぼのとおかしい。
「俺も一緒にいいか?」
「いいですよ」
二人で連れ立って、彼女の目的の店に向かった。着いてすぐ、コーヒーとお薦めのバゲットサンドをオーダーした。
食べながら話すのは、今夜のパーティーの話だ。テレビで見た政治家がいたと、彼女はちょっとはしゃいでいる。ハリウッド女優が何を言うやら、だ。と彼はおかしかった。
「嫌なことはなかったか?」
「嫌なこと?」
「…誘われたり、何か頼まれたり…」
「ないですよ。速水さんがべったりついていて、そんな隙ある訳ないじゃないですか」
「べったりって何だ。心配してるんじゃないか」
「へへへ、すみません」
「君さえよければ、また俺の相手役を頼まれてほしい。幾らでもあるんだ、こんな場は。嫌じゃなければ、な」
ハムスターのように頬張っていた彼女が、カフェオレで流し込んだ後で、
「あ、ありました!」
「何が」
「誘われたり、何か頼まれたり、です」
「誰だ?」
彼は意図せず、声が低くなる。客をさばきながら、彼女にも目を配ったつもりだったのだ。どこのどいつが粉をかけた、と少し前の記憶を探った。
「速水さんですよ」
「は」
彼女の答えに気が抜けた。確かに彼は今夜、送ろうとこの場に誘って、次のパーティーの件も頼んだ。
「嫌じゃないですよ。わたしは「大都の北島」ですから。使って下さい」
店を出てタクシーに乗った。彼女の部屋まで送り、帰りがけ、ついでにと、次の食事の約束を取り付けた。




           


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