天涯のバラ
7
 
 
 
彼女はスケジュールが合えば、彼が頼むパーティーに欠かさず出てくれた。社の所属代表として、彼の隣りでふんわり佇んだ。
帰りは軽く食事をしたり飲んだりし、彼が彼女の部屋まで送ってやる。上がるよう誘われたことも、誘ったこともない。
二人で出かける習慣も続き、二週間に一度ほど、都合を合わせて食事をし酒を飲んだ。彼にとっての、新たに生まれた楽しい秘密で、その日が近づくだけで、気持ちが浮立った。
彼にとって彼女は既に、話し相手として不足がない。知らぬ間に彼女は見識を広めており、視野の広さもうかがわせた。何も、飲んで難しい話をするのではないが、気負わず誇るでもなく、彼女の言葉で気の利いたことを言う。名誉が先だった、馬鹿な女優では決してない。ただ、馬鹿な振りはうまくなったようだ。
せがむので、一度演劇協会の理事長の奥方が経営する割烹にも顔を出した。こじんまりとした洒落た店だ。カウンターで少しつまむうち、奥方から連絡の行った理事長が現れた。彼と彼女の来店に相好を崩し、演劇談議が始まったから堪らない。
「若い北島君の前で言うのは、小言に聞こえるかもしれんが、やはり、往年の月影千草に及ぶ女優はまだ誕生していないとわしは思う」
月影千草の名が出れば、彼女は威儀を正してその話を聞きたがる。小一時間も演説めいた話が続き、彼は辟易とした。似た話を、つい昨日会合で理事長本人から聞かされたばかりだった。
その後、飲み直しが効いたから良しとするが、あれで彼女に帰ると言い出されたら、彼の落胆は大きかっただろう。
 
撮影に入った映画で、彼女は準主役を務めている。ヒロインのライバルに当たる悪役の芸妓だ。あるとき、彼に相談があると持ち掛けた。
「芸者さんの仕事がしたい」
開いた口がしばらくふさがらなかったが、役をつかむためだと思えば納得がいく。つてを頼って、新橋の料亭で座敷に出られるよう手配してやった。もちろん客は彼だ。踊りは稽古で仕込まれているし、座敷前にもかなり作法を教わったようで、他の芸妓と遜色ない。色っぽく艶やかで、見とれるほどの見事な化けっぷりだった。
一日で満足すると思ったら、三日は続けたいという。
「無理だ。俺の日が空かない」
「来てくれなくてもいいですよ。女将さんが、速水さんがいいのなら、他のお客のお座敷に出ても構わないって」
「君をあんな場に一人にさせられるか」
大丈夫だと請け合う声を無視し、場所の違った接待とある会合の流れ先を、彼女の座敷へ設定し直すことで調整した。最後の晩の席では、既に酔って出来上がった客に、彼女は尻を撫でられている。頭に来たが、それを抑えて、彼女へ目で合図し自分の側に呼んだ。「離れるな」と囁いた。
座敷の終いに、客と別れ「僕はもう少し」と彼女を送るため彼が残ると、
「はは、さっきの子は、速水君の馴染みか」
と含み笑いで納得された。否定できなかった彼に非もあるが、その後も会えば、別れ際に「どう? 新橋の」と決まって符牒のような言葉を受けるのには参った。
人脈はどこかでつながる。決して大っぴらにはならないその種の噂も、何かのきっかけで伝わってしまうこともある。事実ではないからどうでもいいが、彼に若い芸妓の愛人ができたようだという近況は、彼の妻の側にも伝わるかもしれない。
噂を知れば、彼らは却って喜ぶだろうか。身辺のきれいな彼へ、紫織の状況の後ろめたさから、それらしい気晴らしを勧めることは再三あったのだ。
彼の労に報いてか、彼女は役をつかみ、撮影も上手くいっているようだった。
 
月に何度も顔を合わせるようになれば、距離も近づく。彼女はぐっと彼に打ち解けてくれるようになった。彼が話すよう促すからだが、トラブルがあると相談も持ちかけられる。
あるとき、帰国後すぐに知人を通して接触のあった投資家の男に、ケイタイ番号を知られ、困っているとぼやいた。彼女の番号は、知人から投資家に伝わったという。
「教えていいなんて言ってないのに」
彼はそれに、面倒でも番号を変えろと指示し、その知人にも伝えるなと言った。それでも接触があれば、社に丸投げして、彼の名を出しても構わないから、と。
彼女はそれに頷いた。礼を言う。
「君は投資に興味でもあるのか?」
「ないですよ、わからないし。でも、向こうの人たちって、みんなそういうのやっていて、勧められることはよくあります」
「その気になったら、まず俺に言うこと。間違っても、もらった名刺の人物にコンタクトを取らない。わかったな」
大体、正規の手続きを踏まず近寄る手合いに、ろくな者はいない。素人の彼女などいいカモで、あっという間に貯めたギャランティーを搾り取られてしまう。
興味があるのなら、そっちの相談もすると請け合った。彼は資産の運用にはキャリアも実績もある。投資家並みのアドバイスはできるのだ。
彼女は『紅天女』の上演権を持っている。公演の都度、売り上げに応じたあるパーセンテージが彼女のポケットに入る契約だ。毎度盛況の舞台で、それだけでも実入りはでかい。ふと、その金の管理が心配になるのだ。
「振り込まれて、それっきりじゃないのか?」
「あ、よくわかりますね」
「どれだけつき合いが長いと思ってるんだ」
問えば、彼女は上演権に発生した収入については、演劇協会と折半しているのだと告げた。初耳だ。彼は唖然とした。
彼女はけろりと、「演劇をしたいけど、家庭的に難しい人のために使ってもらえたらいいなと思って」。演劇志望者の若者の奨学金に当ててもらっているのだという。
「誰もが、『紫のバラ』を贈ってもらえる訳じゃないから」
「当たり前だ、俺だって君だけだ。公園だの社務所だの、あちこち出張らされて身体が足りなかった」
彼女は彼の述懐に、ふふっと嬉しそうに笑う。
自身の過去を踏まえてのその発想は、実に尊い振る舞いだが…と、、彼の頭にあの山岸理事長の仙人めいた顔が浮かぶ。何度も会う機会などあったのに、一度たりとも彼女の寄付の話を聞いたことがないのだ。
(あの奥方の割烹に、資金を流したんじゃないだろうな)
彼が嫌な目をしたのだろう。彼女は「ごめんなさい」と言い、
「内緒にしてほしいと言ったのは、わたしなんです」
「何で?」
「恥ずかしいじゃないですか、いいことしてますよって、宣伝みたいで」
「宣伝しろよ」
「自分だって、隠してきたくせに」
「意味が違うよ」
そして、彼が告げられず来たのは、多分に自分の弱さのためだ。
それにしても、公表しないのは彼女の意志であっても、関係者の自分に一言もないのは、どういうことか。と彼は面白くない。
(やはり、あの割烹に…)
まあ取りあえず、疑惑は置いておく。




           


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