Daddy Long Legs
3
 
 
 
その知らせを聞いたのは、九時半を幾らか過ぎていた。鷹宮家絡みの外出を終え、社に戻ったところだった。少し仕事をしてから帰るか、そのまま帰宅してしまおうか、迷っていたときだ。
既に秘書の水城は帰した。エレベーターで階上に上がり、部屋に入った。上着を脱いだところでそのポケットのケイタイが鳴った。表示は堀口とある。彼女のマネージャーだった。
彼女が大都芸能との契約以来、念のために自分の番号を渡してあった。しかし、マネージャーからの連絡はこれまでなかった。
社長に電話するのが煩わしいのは彼にもわかるし、それほどの問題もなかったからだ。出ると、緊張した声が名乗り、『恐れ入ります、夜分に…。北島マヤの件です。今お時間はよろしいでしょうか?』
くどくど詫びの枕詞がないのが、耳触りがいい。この堀口とは話したことがほとんどない。入社二年の若い男で、彼女が、気が張らずつき合えるだろうと、水城が手配していた。彼と彼女の関係の件では、水城が手厳しく因果を含めてあるらしい。
そのマネージャーが何を? とちょっと彼は身構えた。
話を促せば、
『…帰宅時に襲われ、怪我をして今病院にいます』
 
え。
 
衝撃に、頭をがつんと殴られでもしたように、目の前が一瞬揺らいだ。息を飲み、「それで、 怪我の程度は?」
『顔と腕に、打撲と切り傷です。医者によると、深刻なものはないそうで、全治ひと月ほどと。ただショックがひど…』
「病院はどこだ? これから向かう」
声を遮って問う。電話を耳に当てながら、上着を引っつかんで彼は部屋を出た。堀口の返しを聞き、さっき乗ったばかりのエレベーターで、今度は降りる。それが地下へ着くまでに通話は終わっていた。
いらいらと車に乗り込み、社を飛び出した。スピードを上げ運転しながら、堀口から聞き出した内容を反芻する。
マネージャーが彼女の知らせでマンションに駆けつけたときには、既にすべてが終わっていた。彼女は襲われた後すぐ自力で部屋に逃げ、堀口に電話をしたという。そして怯えながらマネージャーを待った。
堀口が現れ、彼女を伴い急いで病院へ向かう。治療の間に、彼へ連絡を取ったということだった。怪我よりも襲われたショックが大きく、発熱や嘔吐などもあり、鎮静剤を打ち休ませている、と。
マンション近くの病院に飛び込んだ。時間外の救命室は煌々と明るく、中を白衣の職員が行き交っている。その一人に、声をかけたところで、奥から堀口がこちらへ走って来る。時間外入口付近で自分を待たずに、彼女の側を離れなかった堀口に、ふと好感が持てた。
「こっちです」
処置を終え、検査待ちや入院待ちの軽度の患者が寝かされる場所らしい。小部屋にベッドが三つ。一つベッドは空き、仕切りのカーテンが二つ閉じられていた。その一つの前で、堀口が小さい声で彼女を呼んだ。
「マヤちゃん、いいかな?」
中から声が返った。「あ、はい、いいです」。思いがけずしっかりしたもので、ほっとする。堀口がカーテンを引いた。照明にまぶしそうに眼をしかめた彼女は、彼の姿を認め、すぐに涙で顔を歪ませた。頬に一つ、腕にも大きなガーゼが見える。その姿に、彼は胸が詰まった。
そして、長かった彼女の髪は、無残なまでに切り刻まれていた。長いものでも耳までで、残りはごく短く、自分のそれと変わりない。子供が人形の髪でも切ったように、ぐちゃぐちゃだ。彼はその場に身を屈め、彼女の手を取った。
痛々しい髪に手を触れかけ、「ちょっと待って」と立ち上がった。堀口を連れ、外に出る。声を潜めた。
「検査は何をした?」
「頭部のCTを取りました。異常はないとのことです…」
彼に対し、緊張しつつもこれまで淀みなかった堀口が、そこで言葉を濁した。彼は嫌なものが胸を占めるのを感じ、促す。彼女のあの髪を見たときから、そんな恐れはあったのだ。
「あと、同意があったので、レイプ検査を。マヤちゃんは否定していたんですが、事件時に意識を失った時間があったらしくて…」
気づいたとき、下着を脱がされていたと、堀口は言い辛そうにつないだ。それでも、レイプの形跡はなかったという。知らず、長く吐息していた。
次いで、通報義務があり、病院から警察に既に届けが出されたこと。聞き取りなどは、彼女の体調があるので医師からも、明日以降にと頼んでもらったこと。それらを報告した。彼は小さく頷いた。
「あの、マスコミは嗅ぎつけるでしょうか?」
「それは、君の上とも相談して、表に出ない穏やかなやり方を探ってくれ。きっと彼らは慣れているよ。また報告を上げてほしい」
「はい、わかりました。…社長、申し訳ありませんでした。僕の不注意です。自宅まで送り届けていればこんなことに…」
全て報告を終え、うなだれた様子になった堀口は彼に頭を下げた。それを上げさせて、「ありがとう、世話をかけた」とねぎらった。
マネージャーに自宅まで送る義務はない。そんな社則もないはずだ。担当のタレントらが嫌がればそれまでで、強いることはできない。彼らそれぞれのリスク管理の問題だ。
義父の計らいで引っ越しを済ませ、セキュリティー万全の住まいだと、それで安心していた自分がのんきだったのだ。
彼は堀口に、彼女の友人の連絡先を知っているかと訊いた。「青木さんなら、マヤちゃんと一緒にいることもあるので、わかります」。青木麗だ。彼女の長い友人で、彼と同じく世話役のような一面がある。今電話するように言い、マネージャーに名乗らせてから代わった。
「速水だ、夜分に悪いね、ちょっといいか?」
『はい…。あの、マヤがどうかしました?』
彼が出て驚いたようだが、すぐに察しのいいところを見せた。彼は事情を手短に返した。それでも彼女が遭った災難に、息をのんでいるのが伝わる。
「できれば、今夜彼女についてやってほしいんだが、構わないか?」
『はい、行きます。今どこに?』
今は病院で、帰宅するときに君をマネージャーに拾わせると言った。自宅で待つと言うから、それに礼を言い、堀口に電話を返した。
少し外してほしいと頼んだ。
彼女の元へ戻ると、ぬれた目を向ける。空いたままのカーテンから、彼とマネージャーの様子を見えないまでも、気にしていたようだ。
彼は再び側に屈み、彼女を抱きしめた。彼のシャツに彼女の顔が当たる。すぐに嗚咽が聞こえ、やるせない気分になる。
怖かっただろうと思った。
どんなに恐ろしかっただろう。
ぎゅっと彼の腕をつかむ力は強く、やや痛いほどだ。
「ごめんなさい、前から歩いて帰るなって、言われていたのに…」
それに、応じる余裕が彼にはなかった。当たり前だと叱ったり、頬をつねるなどし、これまでの彼女の前での彼らしく振舞うゆとりが、このときなかった。
「もらったケイタイも、ぼろぼろに壊されちゃった…」
彼女がこんなひどい目に遭っている間、自分はあの婚約者と共にいた。笑った振りで食卓を囲んでいた。そのとき、彼女はレイプされる直前までの暴行に遭った…。
守れなかった申し訳なさと、不憫な思いで、胸がふさがった。
髪まで、こんなに切られて。
指で触れる。血が固まった個所がある。腕を解き、彼女の顔を両の手で挟んだ。そして口づけた。気持ちが昂り、何度も深く唇を合わせた。
そのとき彼の胸でケイタイが鳴った。どうでもよかった。誰でも何があっても。ただ、鳴る音がうるさく、手で探り、電源を切ろうとした。そのとき表示が見えた。彼の婚約者だった。
そして、何かが彼の中でつながった。
 
そうか。
 
ふに落ちるのと同時に、瞬時に考え、答えが出た。




           

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