Daddy Long Legs
9
 
 
 
少しためらった。自然にこれまでの彼女とのさまざまが胸に去来する。彼女にとっては嫌なことも多かったに違いない。
ちょっと吐息し、口を開いた。「ちびちゃん、俺が紫のバラの人だと、気づかなかったのか? と言いたいところだが」と、前置きし、
「いつわかった?」
彼女は俯いていた。顔を上げないまま、「…『忘れられた荒野』の頃です」
そんなにも前から、と彼は絶句する。彼の目には、いつものちょっと不思議な部分はそのままで、彼女に変わった様子も見えなかった…。鷹宮家との縁談が持ち上がり、それが決まりかけた時分で、忙しかったのは覚えている。しかし、どうであれ、自分は愚かしいほど鈍感だったのだろう。
彼と紫のバラの人が重なり、どう彼女が自分を見ていたのか知りたかった。それを抑えて、
「どうしてわかった?」
彼女は、彼に嵐の夜の『忘れられた荒野』の初演の舞台のただ一人の観客だったこと思い出させた。そして、そのとき使った舞台の小道具が、事情でそれ以降とでは違うのだと教えてくれた。なのに、その初演の小道具のことに、紫のバラの人はメッセージ触れていた…。
「だから、最初のものを知っているのは、速水さんしかいないんです。それで…」
彼は猛烈に煙草が欲しいと思った。気を落ちつけるのと、動揺を紛らすためだ。居間にはないし、私室に取り戻れば、家人の誰かにばれて大目玉を食うだろう。しょうがなく、膝を指でたたいてやり過ごした。
「よく考えたら、当たり前だったのに…」
「え?」
彼女はそこで、この告白以後初めて顔を上げた。目に涙が生まれつつある。ふっくらとした粒が、瞬きにぽろりとあふれてこぼれた。自然に彼の手が伸びた。まなじりを指で拭う。
「困ったとき、助けてくれたのは、いつだって速水さんだった。何でこんなところにいるのか、ってときも、必ずいて、嫌な顔しながらも助けてくれて…」
彼女はあふれる涙に困ったように、両手で目を押さえた。そうしつつ、「ごめんなさい、わたし、わがまま言って、生意気言って。何にも知らないで、ごめんなさい」
堰を切ったように話す彼女に、そのまま言葉を紡がせたいと思った。なのに、抑え切れずに、彼は彼女を引き寄せて抱きしめた。
「気づかないで、ごめんなさい…」
髪をなぜ、彼女の涙がひとしきり波を超えるのを待った。彼女は、気づかなかった彼女自身をを責めるが、なぜ、気づかせ打ち明けなかった彼をなじらないのだ。
彼女は意識もしないだろうが、その言葉や振る舞いは彼を思いやってどこまでも優しい。
彼から身を離し、顔を背けて手の甲で涙をぬぐう。その後で振り返り、まっすぐに彼を見た。
「ありがとうございました。…わたし、速水さんのおかげで、『紅天女』まで辿り着けました。一人だったら何にもできなかった。わたしみたいな子が、あなたのおかげで…」
せっかく始末した涙が、またぶり返す。彼は彼女を肩に手を回し、腕を抱いた。そうして顔をのぞきこんだ。
「違うぞ、それは。君だからできたんだ。俺は見ていただけだ。一度だって、俺が裏から手を回したり、君の代わりに舞台に立ったことがあるか?」
彼女は彼の言葉の最後に、涙ぐみながらちょっと笑う。彼の肩に頭をもたせ掛け、目を見上げた。その仕草に彼は弱い。彼女の視線に射貫かれたような気がするのだ。
「気づいてから、ずっと言えなかったのは、そのときには速水さんが好きだったから。でも、あなたには、あのきれいな婚約者がいて…、言えなくて」
「俺は君が振り向いてくれないとあきらめたから、結婚でもしようかと思った」
「え」
「馬鹿だな、お互いに。ちょっと話せばいいだけなのに」
「そうですね、何してたんだろう…」
しばらく黙った。長い間の二人の秘めて閉じ込めた思いが、混じりながらゆるゆるほどけていく、そんな感覚を共有して持ったのかもしれない。
しばらくして、彼女が、ふと口にした。
「わたし、父を知りません」
彼女の身上はよく知っていた。残った唯一の肉親ともいえる母親を引き離し、無残な目に追いやった自覚も、彼にはくっきりと残る。彼の罪悪感を読んだかのように、彼女は首を振った。
「違うの。母さんのことは、もういいんです。速水さんと同じだけ、わたしも悪かったから」
「君は悪くないだろう。全部俺が仕組んだことだ」
「違うの」
彼女はそこで、劇団つきかげに入りたての頃のことを話し出した。家出同然に劇団に入った彼女を心配した母親が、連れ戻そうと訪ねてきたこと。それを突っぱねたのは自分だと言った。
「それでも、母さんは、わたしに着替えを送ってくれたんです。月影先生によろしくってお詫びの手紙を添えて…」
なのに、と言葉を途切れさせる。何があったのか、その頃の彼女のことは、彼にもわからない。
「先生、それを燃やして捨てたんです」
「え」
ひどいでしょ? と彼女は彼を見た。彼の知るあの月影千草ならやりかねない。演劇には容赦なく厳しい人だった。
「もっとひどいのは、わたしです。それを後で聞いて、母さんに連絡も取らなかった。どうしても演劇がやりたくて、その邪魔をする母さんがいない環境で、うきうきしていたの。それがわたしです。駄目な子だったけど、たった一人の娘だもの、それでもずっと気にかけてくれていて…、その後で大都芸能に入って、テレビに出て少し有名になりました。そこで速水さんが関係してくるのだけど…。わたしがもっと親思いだったら、絶対に違っていた」
速水さんが悪くないとは言わない、とつなぐ。「ひどいと思ったし、そんなことをしてまでタレントを売り込む世界なんだって、怖くもなりました」。
「でも、わたしも悪いんです。忘れないで」
どう返していいのか、彼は返事に窮した。彼女の思いやりで、とっさにこんな話を作ったのかもしれない。それを読むのか、自分はアドリブができないと少しだけ笑った。
「この話を速水さんにしたら、ひどい奴だって、軽蔑されるかもって、ちょっと怖かった」
「する訳がない」
「そうですね、速水さんも相当ですもんね」
そこまでを話し、彼女は「父を知らない」に戻る。紫のバラの人を知らない父になぞらえていたこともあるという。
幼さの残る多感で、そして孤独な少女だったのだ。当然だろう。彼はそこまでを意図したのではない。ただ、彼女に見ていることを伝えたかっただけだ。
「父さんだったら、こんなに優しいことを言ってくれたのかな、とか、見守ってくれたのかな、とか。いないけど、ちょっと夢見たりしました」
その表情は和やかで、悲壮感がない。彼女は自分の生い立ちを理解しているだけで、悲しがってはいない。知らぬ間に両親のどちらも失いながら、ここまで歩んできたのだ。強い子だと、改めて思う。
その彼女は、彼の前で指を広げて見せた。「紫のバラの人は、ファンだって言ってくれて」と、そこで親指を折る。
「わたしの夢の父親にもなってくれて…」
人差し指を折る。
「速水さんで…」
と中指を折り、彼を見た。
「大好きな人」
最後に折った薬指。その手を彼は左の手で握りしめた。抱いた腕に力を込める。「もう離さない」
「うん…」




           

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